ダークナイト ライジング | Electronic Dolphin Eats Noise

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空論上の九龍城

ダークナイト ライジング
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2012年9月 @ シネパレス山陽座

うっ、あっ、えっーと…
混乱しますね。
手放しで絶賛してる方々には勿論違和感ありますが、一方で色々批判されてる部分にも、それ程かしら?だ。
まぁ、何にせよ、劇場での上映に間に合って良かったよ。
『ダークナイト・ライジング』。


最早事件だった『ダークナイト』と比べたらそりゃ部が悪いし、綻び沢山だけどさ、あれと比べなきゃ充分に面白いし、三時間飽きずに堪能出来る。が、前二作観た上でないと成立しないのも事実だ。


ノーランは『フォロウイング』以外、リアルタイムで劇場で観られてる思い入れ強い監督だけど、ここまで人間臭い作品って初めてだよね。まぁ、ブルース・ウェイン=クリストファー・ノーランと断言して間違いない。それぐらい喜びも惑いも自己投影されてるよ。

例えばトレント・レズナーを思い出す。象牙の塔に独り篭っていた漆黒の皇子様が不器用ながら自らの足で現世へと踏み出した『ウィズ・ティース』辺りの感触と『ダークナイト・ライジング』は似ている気がする。『ダウンワード・スパイラル』=『ダークナイト』、『フラジャイル』=『インセプション』。

完璧な均衡が保たれていた筈の世界=自分が崩壊していくカタルシス。


まぉ、俗世を知らない皇子様だからさ、簡単に騙される・騙される・騙される(苦笑)。可愛い、ウェイン。


でもさ、何か、あれ?ノーランってこんなに下手だったっけ?な、ギコちない部分も結構あって、そんなとこは大体ブルース・ウェイン/バットマンが女性と絡むシーンなのも納得だったり。

あとは、ド迫力のシーンでも結構淡々と撮っちゃってんだよね。それは彼の狙いで持ち味だと今までの作品では思ってたけどさ、実はそうとしか撮れないのかも?と。今回は基本真昼間のシーンが多いのも大きいのかもしれないけどさ。

閉鎖された街での戦争には、確かに皆さんが指摘してる通り押井監督のあの傑作が過ぎりましたが、原作の『AKIRA』とかも想起した。
引きの画とか素晴らしかっただけに、もっとあの空間活かしたアクション見たかったですね!

これは特殊な英雄譚などではなく、ごくごくありふれた出来事の(ちょっと歪な)フォーカスなんだ。ってのがさり気なく描かれてるのには好感持てたな。
で、その意志が個から個へと受け継がれてく様にはグッと来た。


結局“個”の物語で、ブルースですらその一部なんだよね。
そして、これは終わりでなく、新たなる始まり。
あのエンディングには、ノーランの生身の想いが不器用ながら描かれていた。
お疲れ様でした。


胡乱なアイデンティティで、一線の見えぬ状態そのものを描き続けたノーランは、これで一旦ケリをつけたんじゃないのかな?答えは見つからずとも、そんな自分をやっとこさ認める事が出来たと。