2014年6月 @ 元町映画館
衝撃だなんて言葉じゃ生温い。思わず目を覆い、不意に嘔吐が込上げる。
大虐殺は悪魔の所業でも何でもなく、それは状況さえ整えば、直ぐ側、いや各々の内部にも潜む狂気なのを厭と言う程に見せられる。
大虐殺を追うカメラが、やがて“個”対“個”に迫った時、その記憶の感触が当人を揺さぶる衝撃!
そうなのだ、多数の人間が多数の人間を殺したのではなく、ある誰かがある一人を殺した事実が無数に積み上げられているのだ。
昨年の海外での映画ランキングの多くで、あの『ゼロ・グラビティ』を抑えトップに並んだ本作。
それを知った年末辺りに内容を知り、えっ!?と衝撃受けてた訳ですが、昨年秋の山形国際ドキュメンタリー映画祭で一足早く『殺人という行為』として話題にもなってたんですよね。
やっと観れた。
1965年、インドネシアのスカルノ大統領がクーデターにより失脚後、共産党員狩りとして行われた100万人規模の大虐殺“9月30日事件”を、その当事者(虐殺者側)達に映画として再現させて驚愕のドキュメンタリー。
その、余りの設定に観る前から虫酸が走りそうでありましたが、何処かでゾクゾクと奇妙な高揚があったのも事実。
しかし…
まぁ、これ、唯の再現に非ず、
当然50年も前の事件で、当事者達も歳を重ね、子供・孫も出来、家庭を築いている訳で、そこで重ねられた時間や想いは、本人達の思惑を、本人達が思う以上に、遠い処迄連れて来てしまったのではないのだろうか?
意気揚々と虐殺の映画を撮るべく集った面々のその決定的齟齬は、次第に事件の本質を緩やかに解きほぐして行く。
今作、当然ながら再現が目的なんかではなく、その巧みな構造に拠って、当事者達の虐殺との距離感や、その周辺者達の反応、そして姿は表さない監督との対話…が、“虐殺”と“私たちの日常”との距離感を縮めて行くとこにこそ注視すべきだろう。
やがてカメラが終始追う事になる殺人舞台のリーダー、アンワルと監督との時折挟まれる会話、その変化、縮まる距離感…
20世紀を生きた人類必見の一本。
21世紀を生きるに外せない一本。
