夢見るように君を想う | Electronic Dolphin Eats Noise

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空論上の九龍城

『春にして君を想う』

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2013年7月。

神戸映画サークル例会。@ 朝日ホール。


この一瞬で記憶に刻まれる邦題からのプレッシャーをするりとかわし、観終えたら、まさに!と、永遠に心囚われてしまう必殺の名作。
こんなんフィルムで観れるなんて、神戸映画サークルはヤバイ。


『春にして君を想う』、をスクリーンで!と想い続けて、干支も一巡り。
嘘偽り・誇張なく、全方位型にして永遠に限りなく近く名作。

スクリーンでのフィルム上映なんて、焦がれつつも、半ば諦めかけてた奇跡を、こんな夏に訪れて来てくれた事に先ず感謝したい。
そして、且つて駆られた想いは間違いなかったと。 


『春にして君を想う』は、90年代一部で高い人気と評価を得た、アイスランドの監督フレドリック・トール・フリドリクソンの代表作。ではあるものの、ここ近年は監督の名前も、その作品も記憶の彼方に埋れ、忘れ去られつつある。 

アイスランドと言う土地の持つ幻想と現実の狭間とズレと、そして溶け合いを、郷愁を越えた強い眼差しで切り撮ったフリドリクソン監督作品。
その映画愛のダイナミズムと、時空軽く越える普遍性を考えれば、もっと観られ、語り継がれねばならないと強く想う。


おじいちゃんとおばあちゃんが、唯々生まれ故郷に帰る。
言ってみれば、それだけの話である。
それだけを、ここ迄の逃亡劇➡幻想譚へと紡ぎながら、確りと二人の想いを観客へとフィードバックする訳だから、これこそ映画の持つダイナミズム&マジック!
現実の目盛りを映画内のそれへと狂わす術!

それも僅か85分でだよ!
アイスランドの幻想的な景色がやがて世知辛い現実へと溶けて行きつつも、やがてそこから時空越える逃亡劇へと我々を誘うまで。


ゲイリが、大切に娘宅➡施設までお供するあの壁時計。とても印象的で、色んな想い共に刻んで来たんだろうなぁ…と迫る一方で、彼にはもうそれぐらいしか残されていなかったのか…と残酷さを感じさせる部分もあり。

しかし、ゲイリ、施設の壁に奥さんの写真残したまんま逃亡した訳で、ステラとはどんな思い出を嘗て共有していたのであろうか?
唯の同郷だけであんな風に強く何もかも捨てれるものなのだろうか?
その辺り細かく言及されないものの、彼が娘宅や施設等で目にする現実が、その辺りの説得力強める。


娘宅での、義理の息子や孫娘とのやり取りの描写は結構ステレオタイプなれど、アイスランドと言えど、その辺りは普遍的な問題なのかしらねぇー
矢張りあのブランコのシーンが色々想起させる。
因みに孫娘が爆音で聴いてたのはビョーク?シュガーキューブス時代の?


何気に驚くのが権力(けーさつ)に対する反抗的描写。
彼の地ではあんなもんなのかしら?
若しくはあの当時の時勢?


まぁ、後半、あの突破してからの映画のトーンには、その寒々しい風景をすら越え緊張が漲る。
あんなんフィルムで観ちゃっていいの!?観せちゃって大丈夫!?
いやー、凄いもん観た!!!


あの幽霊の描き方も映画史に確実に残るけどさ、やっぱあの天使様だよ!
ま、ま、まさかのスピンオフ的ゲスト出演!!!
粋な演出。ってか、最早あの描写により虚構と現実は綯い交ぜになり、映画史はリアルを凌駕した。

あの空撮天使目線ヤバイくねぇ!?

タルコフスキー的廃墟。水。光。はフィルムでこそ映える。
あっこからの数分間はタルコフスキーもヴェンダースもフリドリクソンも越えた映画の神の眼差し。

何気に運動靴のエピソードとか残るよね。
あの運動靴、足掻きでもなく、逃避でもない、決意を見た。

そして、あの棺桶。
所作。
誰に見せるでもないのに、あんなにも丁寧に、冷静に、念入りに。
重みを感じさせた、綱の軋みが耳に残ってる。

撮影は随分過酷だったんじゃないだろうか?

そしてこのタイトル…“春にして君を想う”とは、訪れを待っている訳だ。いや、待てる喜びと言っても良いかもしれない。
それも“時間”と言う概念に囚われないサイクルでの。
“死”を終わりでなく、永遠に溶かし込まんとす、とても過激な、映画的挑戦。


そうそう!『春にして君を想う』はVHS時代最初こんなんでリリースされてたのだ!

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邦題“ミッシング・エンジェル”
ヴェンダース/ジャームッシュの盟友が贈る…もう一つの『トゥルーロマンス』!!って、おい!!!
しかも、まさかの無修正版表記(涙)。

にしても、ここまで歪めるのも感動的だな。


そして、初朝日ホール。
リーブル、何回も来てて、上は初めてやわ~
キャスパとはまた違う居心地。

全く初めての会場で、見知らぬ人達と息を潜め、同じ空間、時間、闇、光、色、音…想いを浴びる興奮!
こんなんあるから抜けられない!辞められない!


『夢みるように眠りたい』 

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@ 京都文化博物館。


でした。
はぁ…一日にこんな風に(『春にして君を想う』と同日に観た)続けて夢叶えちゃったら駄目じゃないか!なぐらいに、これまたスクリーンでのフィルム上映を待望してた一本。
デジタル上映なんてノン!

1986年、林海象監督、衝撃のデビュー作。

まさに、これは衝撃の一本であったろう。

映画への偏愛を、その手法で以って(ここではサイレント)批評的な眼差しも織り込みつつぶちまける。だなんて、洋の東西数多作られてますが、こんな風にミイラ取りがミイラになるが如し呑み込まれた例は稀。


近年の『アーティスト』なんかも近いんだけれど、より入れ子構造が徹底してるし、メタな側面もあったりして、手に負えない。のに、一切混乱せずに美しいエンドマーク打てるんだから参りました!

そもそも誘拐されたのが…ってのが映画好きには堪らないロマンとロマンス含んでて最高。
その辺はコリン・マッケンジー的モキュメンタリーな味わいも!?


この露原桔梗さんがモデルなんかな?

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サイレント映画の愛ある引用が素晴らしいよなぁー。

私、今作を初めて見たのは深夜のTV放映でだったけれど、よくオッケー出たなぁ~。

今日の文博会場、固唾呑みスクリーンへと注がれる、皆さんの気配も共演者でありました。


台詞は無音。
生活音は鳴る。但し全部ではない。
言葉も録音されたものは鳴る。
この辺の線引きが粋。


そして、モノクロームの美しさ。
表現主義的影の演技。
大正~昭和初期の再現も絶品哉。
浅草って、それだけでもうズルい!


改めて観て嬉しい驚きだったのが、佐野史郎さんの美しさ。
ここでは怪演も、知的さも奥の奥でなりを潜め、独特の線の細さが、その世界観へと溶け込み、あの探偵の眼差しと我々観客のそれがシンクロする。

例えば次作の三上博史さんや、後の探偵永瀬正敏さんでは、ちょっとここまでは静寂へと同化してくれなかったであろう。


当然濱マイクのルーツである訳で、依頼の解決よりも、依頼者のその心の琴線に触れてしまう、ある種の図々しさは近い(笑)。


しかし、あの卵好きって設定はどこからなんだろうね?
佐野さんの輪郭は確かに卵っぽいけどさ(失礼!)。
まぁ、モノクロームに映える食べ物で、偏食エピソードにはもってこいではあるか?
名前の魚塚は?ウォッカ?


製作にも関わってる映画好きのあがた森魚さんや、エンケンさん、更には梅津和時さんや篠田昌已さんなんかも出てたりで、当時の海象さんの音楽人脈が謎だ。


そして、今日やっと念願だった京都文化博物館行けた訳だけど、素晴らしい施設だし、その器に溺れてないのがまた良い。
もっと通いたいがなぁ…

クールスポットって事で無料上映。
なので、涼みに来てはった方も沢山だったのか、上映始まって暫くは賑やかだったなぁ(笑)。
まぁ、その後、本編の異様さに固唾呑んでく感じ伝わりました。
結果席は四割ぐらい?埋まってた。
まぁ、そんなもんか。


『春にして君を想う』、そして『夢みるように眠りたい』。
こんな脈絡ない今日の二本を繋ぐのが永瀬正敏さんで(この辺は調べておくれ)、そんな永瀬さんに遭遇しちゃった(文博の喫煙所で煙草吸われてた)のも何らかの導きであろう。


『春にして君を想う』と『夢みるように眠りたい』の共通点をもう一つ手繰り寄せれば、過去のある想いに囚われてしまった老人の暴走かと(笑)。
そこにそっと手を差し伸べるブルーノ・ガンツ=佐野史郎の透明な眼差し。