アートアニメーションの素晴しき世界/著者不明

“アート・アニメ”とは、言ってみれば一般的なTVや映画で見れるアニメーションとは一線を画しているクレイ・アニメだったり、パペット・アニメであったり、ストーリー性の希薄な短編作品であったり、いや、もう、時にディズニー以外の海外アニメ全般に使われちゃったりもしてるけど、これは、完全にここ日本での造語である。
日本はご存知の通りアニメ大国である。
長年に亘りTVでは毎日の様にアニメが流され、映画館やレンタル・ビデオ屋でもバンバン需要されている。海外のアニメーションがこれほど幅広く楽しめる国もないだろう。
“ジャパニメーション”なんてタームが生まれ、それがどれ程海外で需要があり、影響を与えたかなんて我々の想像を絶している筈である。
が、しかし、そうは言っても、そんな状況と矛盾しているのか?若しくはだからこそなのか?そのアニメ観は驚く程了見が狭い。
と、改めて実感するのが“アート・アニメ”って言葉の誕生と、その使われ方である。
この言葉の下に、どれだけの作品が正当な評価から外されてしまったか?どれだけの作家がその息の根を絶え絶えにされてしまったか?
“アート”なんだから解る訳ない・解る必要ない。“アート”なんだから極一部を対象にしていれば良い。“アート”なんだから・・・etc.
作家も批評も論客も作品のその前に“アート”の囲いを意識してしまう状況。
何だそりゃ???
いや、私は言うまでもなく“アート・アニメ”が嫌いなのではない。そこに括られている作品群はどれもこれも愛すべき対象である。
だからこそ、この状況が煮え切らないのだ。
と、そんな前提での本書。
これは名著である。
所謂ここ日本で“アート・アニメ”と括られている作品群とその作家群の詳細な紹介や解説、その歴史、様々な関係者への取材・・・
可愛らしいパッケージとは裏腹に(中身も見易いけどね)、密度は濃厚。
皆が大好きなティム・バートンやチェブラーシカにアードマン・スタジオ、今や随分メジャーな存在になってしまったシュヴァンクマイエルやノルシュティンにルネ・ラルー、ジョルジュ・メリエスやウィンザー・マッケイ辺りの映画黎明期の才人からウィリス・H・オブライエン~レイ・ハリーハウゼンなんて巨人、果てはヴワディスワフ・スタレーヴィチやミハイル・ツェハノフスキーなんて異端の才能まで。
これを手にすれば、どれ程に私達が幼い頃から普段享受して来たアニメが、それこそそっちこそ特異なのでは?と思えてくるのだから・・・
まぁ、何にせよ、扉は至る場所に設置されているのである。
道を踏み外せば、そこには豊潤な世界が。
“アート”なんて言葉は全く以って足枷でしかないのだから、捨てちまうに越した事はない。
私的お勧めは、ハッタリたっぷりの無次元感覚な映像世界でクラクラさせてくれちゃうカレル・ゼマンだな。