そーいや、最近ブログ書いてないなー。就活中は1日に2つも書いたりしてたのに。


なんでだろーと考えると、就活中と今との差は『人とコミュニケーションが取れてる』ことなんだろうな、と思ったり。


就活中は『遊ぶ』っていう心の安らぎの部分で人とのコミュニケーションが取れてなかったから、誰かと間接的にでも話しがしたかったりして、ずっと書いていたのかな。「僕、こんなんやったら、こんなレスポンスが出たよ!聞いて聞いて!」みたいな感じで。


そうやって考えてみると自分にとってのブログってのは「日記」というスタンスじゃなくて「発信」になる。前者は自分との会話で、後者は他人との会話。別にコメントが付いてても付いてなくても「誰かがこれを読んでくれている」って淡い期待。心を本当にリラックスして話せる状況じゃない時に、唯一その心を出して発信し、不特定多数の誰かと「会話」することができるスキームなのかも。


ん、やっぱそれも違うかも。今書いてるのは別に発信じゃないし。かと言って、自分との会話でもない。


なんでこんなん書いてるかってゆーと、多分ブログを書き始めるのと同時に始まった一つの「障害」が解決したからだと思う。その障害を越える過程で無意識に書いていたブログが、その障害をクリアした後にどういったバリューを自分にもたらしてくれるのか。


人生って障害物競走に似てる。障害のないスペースは自分の好きなように走っていい。でも一定の年齢になったら全員が平等に同じ障害を迎える。平均台、網抜けなんかと同じように受験、就活とかが待ち構えている。


今はちょうど網抜けが終わったあたり。事前に知らされてる障害はここで終わり。でもどっかに予想もしてない障害が待ってるんだろう。それがまた目の前に現れるまでは、足の向くまま、気の向くまま。


もしかしたら、この障害物競走でブログが自分に与えてくれるのはGPS機能かな。自分はそこまで頭の良い人間じゃないから、目の前のモノに向かっていくことしかできない。今直面してるものが障害なのか。だとしたらどんな障害なのか。障害を越えてから、どんな道を歩いているのか。それを教えてくれるのかも。


そして今、網抜けを人の2倍かけて超えて見えた景色は、今年網抜けをした人全員が見る中で1番ではないけど心躍るものがある。


日本で1番になる力はなくても、その為の努力に間違いはない。全力で走ったら、気持ちよかった。


ブログ書いてたから、そのことがわかった気がする。


次はどんな障害があるのか。それまでは足の向くまま、気の向くままに。