孫羊が英検を定期的に受けている話はこのブログでも書きました。
ただ今でも観光の現場ではポケトークなどの自動翻訳機を使ってコミュニケーションが取れています。
これに深層学習をしたGPTのようなAIが合体した時に、かなりのコミュニケーションツールとなることは容易に想像できます。
そんな中で子どもに英語を習わせることは必要なのかという疑問が湧きます。
一方ではイマージョン学習と呼ばれる、母国語ではない言語環境に身をおいてその言語の習得を目指す教育機関も増えています。
新しくできる大阪公立大学では英語を公用語にすると発表されました。
これは相反する動きに見えますが、いったいどういうことなのでしょうか?
多くの英語教育の専門家はAI通訳が浸透したとしても英語学習は必要だと言います。
その理由はつぎのようなものです。
コミュニケーションの手段として必要
人と人が直接会って話す時に言葉以外のボディサインなどの非言語的コミュニケーションが同時に行われます。
日本人同士でもそうですよね。
まして英語をはじめとする外国語の多くは言語外に占める意味の比重が日本語より大きいと感じます。
英語を学ぶことで英語的なボディランゲージを習得することができます。
またバイリンガルの日本人、外国人どちらもが言うには、日本語を話すときと英語を話すときではスイッチが切り替わるというのです。
英語モードではより声が大きくオーバー気味にかつ率直な表現になるし、日本語モードでは少し声を落として周りに気を使いながら過剰な自己主張とならないようにすると。
日本に数年住んでいる外国人は、母国に帰ると日本人化したと言われるそうです。
その国の文化に染まるということなのでしょうか。
またYou Tubeで外国人にインタビューする日本人の動画もよく視聴するのですが、インタビュー中と解説を日本語でしているときと声のトーンが異なるのです。
つまり、より深くコミュニケーションしようとすると英語を学ぶ必要があるということですね。
言語に反映されている文化的背景を知る
言語にはその言葉が作られてきた社会の背景が反映されています。
相手がどのような意図を持って言っているのか、その判断の根拠はなんなのかなど、異なる文化的背景による誤解を免れるためには自動通訳ではなくて、直接話すことが必要です。
そうした細かいニュアンスをAIが理解できるようになるには、深層学習モデルを超えた技術的ブレークするーが必要だと思うからです。
今のAIは言葉の前後関係の統計的な処理により文の組み立てを行っているので、今この時にピッタリのニュアンスを教えてくれるわけではないのです。
「今まではこの表現が最大公約数だったよね」的な翻訳です。
つまり本当に言いたいことを本音で語り合うには不十分だと思います。
相手の社会的・宗教的・家族間等々を知った上でぴったりの表現を選ぶことは当分人間にしかできないでしょう。
また、英語を母国語としない人同士が英語という共通語で語り合う際にも誤解が生じないようにするのはAIには難しいと思います。
さて、これらのことからAI時代でも外国語を使って仕事をするなら、子どものうちから英語を学ぶことは意味があるという結論に達しました!
なんだか小論文みたいになっちゃいましたね(^_^;)(羊)