8月7日は、
恒例の奈良大仏さまのお見拭いの日
うつつの娑婆にまみれたわが身には、
たまには忘れていた信心を呼び覚ますことも必要かもしれない
たまには早起きをし
たまには朝焼けを拝み
たまには朝風呂で身を清め
たまには静謐な境内へ
たまには柔らかな朝日を浴びながら
たまには大仏殿へ昇り
たまには大仏に触れてみる
魂を抜かれたとは言え
やはり大仏は大仏
じっとそのまなじりを見やると
なぜか圧倒されてしまうから不思議である
心を見透かされたように思えるから不思議である
何か語りかけてくるように思えるから不思議である
荘厳で低い声が心の中でこだまするように思えるから不思議である
ばかげた妄想だとは思いながらも
絶対力、絶対善の存在は人には必要なものではないかと思う瞬間である
なぜなら人は愚かで学ぶことの少ない生き物だからである
人は人の上に立つことができない生き物だからである
毎年そんな感慨を抱きながらも
やはり次に思い出すのは次の8月7日である
