ひとふで4

 

三鷹市の千代の湯、露天は空が広く風が吹くのが心地よく、いやあ先ほど東谷チャンネルにおける世界も仰天ニュースがあって、ひとしきりそのことをその人らとわーわー騒いで本当に騒いでたのは心の内だがとにもかくにも銭湯行くわ、行ってちょっと落ち着くわ、と別れ、いやでも銭湯行く前にちょっとコーヒーでも飲もう飲まにゃこの荒い鼻息も開いた瞳孔もおさまらんしと思ってセブンのアイスカフェラテを路上で飲み、煙草をプカプカ。とおいー空からーふってーくるっていうーしあわせーってやつがーあたいにーわかるまーで♪ひらけた空を眺め、ああ人生、人には人それぞれの人生よ、吉井和哉の『人それぞれのマイウェイ』て曲が好きで10年以上前だけどよく聴いてたなと思うけど、ほんとに俺はオーライか?しかしなんだか楽しい気分だなと、そこの三鷹の路上で、たぶん1時間くらいはボケーっと空や車や人を眺め、そこから千代の湯へ。ここは公衆浴場としては広めで来るのは2度目だけど、なんといっても露天がいい、池にはでっかい鯉が泳いでるのか止まってるのかわからんくらいの2匹がいて、とにかくでっかいなーという感想を持つしかないほどでっかい鯉たちを見遣り、外気浴できる椅子というかベンチもあるし、露天も下半身を湯につけて上半身は風に吹かれて嗚呼極楽とはこのことですか?となる露天風呂なのである。水風呂もちょうどいい、から少しキンと冷えた水温、嫌いじゃないぜ。ああ、しかしなんだか驚きに次ぐ驚き、それを耳にして身体中の毛穴という毛穴が開いたんじゃねえのかという驚き、汗も吹き出っ放し、意味不明なことをつらつら喋り続けてしまうほどには驚き、の知らせある1日であった。ううむ、まさに事実は小説より奇なりと言う。言えるよこれは。これが演劇作品だとしたらこんな台本誰も書けないだろう。誰が書けるっていうんだい?こんなシナリオ。まま、その驚きの前に芝居を観たのだがその芝居の記憶が薄れてしまうほどの驚きだったのだ。とここまでフっておいてその驚きの内容は書かないけれども。まあでも芝居は三鷹のね、東京夜光の次の劇団献身を観まして、ジーニアス音響の中村光彩くんがきっちり仕事してました、会って少し喋れたのも顔を拝めたのもよかったなあ、4週間もこの劇場にいるって笑うよね、そう彼は東京夜光と劇団献身の三鷹2連チャンで音響をしているのです。芝居はね、なんか昔の早稲田を思い出す匂いで溢れてました、それこそどらま館や学生会館B203の匂いがそこかしこにあって。笑いを狙って取りに行く作品なんですね今回のは、や毎回そうなのかもしれませんが、それでいうと本と演技におけるツッコミが弱いなとぼくは感じました。お客を揺らさないとツッコミは。ボケを増幅させたりお客を近づけさせるのがツッコミでしょ?俳優も演出の具現したいボケや世界観にいまいち迫れていない感じがしたな。端的にいうと、芝居が小さい、聴き取れないセリフも多いし。身体の言葉になってないのがもったいない。もっと物語で言葉で空間を巻き込んでほしいんだ、客席の俺は。星のホールはやっぱナメちゃダメなのよ、と書いてみてじゃあ俺は先々週大丈夫だったんだろうか?と不安になってきた。しかし時は戻せない。でもそう思ったんだよ素直に観ていて。ややウケで満足するな、爆笑を常に狙ってとるを目論んでいるのだろうしそんな劇団になってほしいなと勝手ながら思います。ぼくも早稲田のときは笑いだったから、笑いの質と量のハードルを下げてくのって心が楽になる麻薬だからついつい自己肯定しがちになるんだけど、それは楽なだけで落ちるとこまで落ちるかんね。そうじゃない、演劇だから狙える笑いを劇団献身にはとことん追求して頂きたいと少し離れたとこから思います。もっといけるよこのカンパニー、なんて余計なお世話だね、ああやだやだ自分。早く芝居したいなーどう考えても演る側だよ俺は。演りたいから演る。文句あっか。ふぎ。