初めて日本の刑務所にカメラを入れたドキュメンタリー
『プリズン・サークル』を観た。
前半は「ええー刑務所ってこんな感じ?」て具合に、ドアの質感こんななんだーとか、
建物の内観は僕が見た老人ホームに近いなあとか、服は見事にだせえなあとか、
かと思えば作業のときはやっぱりあの帽子なんだーとか、あの石ころみたいなのを分別してるのは何の作業なんだろ?
看守の格好はイメージ通りだなあとか、この食事の自動運搬ワゴン、老人ホームのと似てるなあとか、
そんな風に好奇心が刺激されまくっていたけど、
中盤から後半にかかると、もはや頭や胸がギュギューっとしめつけられるような時間だった。
総じて言うと、ものすごい面白かったし、ドキュメンタリー作品としては最高峰だと思う。
TCというプログラムを受ける受刑者の様子や話を、特定の数名に絞って映画は進む。
犯罪は償われなければならないものだが、こうしてTCでの自分語りやロープレなどのワークを観ていくと、
そもそも傷害致死などで服役している人間の背景には、親の育児放棄や家庭内暴力、学校でのいじめがあったりすることがわかる。
それを一般化して考えることにはあまり意味はなくて、
大事なのはワークを通じて、自分の過去を紐解き理解し改心するためには、自分自身が変わるしかないということだ。
すでに出所した人たちの集いもカメラは捉えるがそこでの話し合いにも眼を見張るものがあった。
人が「集まる」ということのすごい力を思う。
心情を吐露するのも、それに耳を傾けるのも、意見を言うのも、人が周りにいることで発生するのだ。
当たり前かもしれないが、受刑者たちが、他者の話で涙するのも、触発されて自分の過去をさらけ出すのも、
すべて必要なことなのだろう。
人の痛みを知る、加害者は被害者を知る、それが自らの過ちを認め、思考するようになる始めの方の段階なのだろう。
印象的だったのが、窃盗や不法侵入、傷害だかで刑務所に入った人が「盗みはべつに悪いことじゃない」と言ってたことと、
出所した人が、出所後も万引きしてるという告白。二人は同一人物ではない。
ここにその人の人間としての根っこが絶対あって、
俳優的に言えば、人物を構成しているのはすべて「行動」ということだ。
ところでこのTCというのがなんだか身近に感じた。
というのもこれって演劇の現場そのものじゃん!て。
今、ぼくは世田谷パブリックシアター主催の「地域の物語ワークショップ2020」というのに参加しています。
「家族」というテーマで毎週自分の話をし、それを集団創作の形で立体化して発表するというのをやっています。
とてもいいなあと思うのは、嘘なく話せる現場の空気なので、普段人には話さない身の上話がボコボコ出てくるし、
過去/歴史を振り返る作業を通してこの自分を掘る行為にいつの間にか没頭してることです。
そう、まさにTCで行われているプログラムと構造はとっても似ています。
こないだはぼくが経験したいわば東谷家のエピソードを話して数人で立体化してみたのですが、
自分が当たり前だとか普通に思っていたことが、他者からみるとひどく異常なものだったらしく、いろんな意見や感想を耳にしました。同時にぼく自身、それまで誰にも喋ってないこと=取るに足らないことという認識だったのが、ああ結局こういう小さなエピソードのひとつひとつが今の自分を構成しているんだなあとも思い、なんとも新しい刺激を過去からもらったような不思議な気分でした。
もちろん犯罪も犯してなければ、受刑者でもない僕たちですが、「家族」というテーマひとつでこんなにもいろんな苦しみやトラウマやうまくいかないことが、人の数だけあるのだなあと思っている最近なのです。
演劇はある意味治療なのかもしれないなと思うこともあって。
それについて書き出すととてもとても長くなるのでそれは追々の機会に、としまして、
「プリズン・サークル」はちっとも遠くない、現実の自分と地続きの、塀のないドキュメンタリーでした。
坂上香監督はじめ、この映画を創った皆様に最大限の感謝を。
数値がうろ覚えなので、間違ってたら申し訳ないですが、
日本の受刑者は約40000人でTCを受けられるのはそのうち40人。
この言葉が、重い。