最近文章を意識的に書こうとしているのは、先日の上演WSでテキストを自ら書いた体験が大きい。周りの目とか全く気にせず、感性のまま言葉を紡いでいく。その行為は俳優にとって有意義な行動だ。できれば習慣にできるとなお良いと思う。別に作家じゃなくても、文章書いたっていいじゃないか。まして今の世界、俳優に限らず自分の言葉で話す必要に迫られる場面はいくらでもある。そして自分が本当に感じていることや思っていることは、言語化する意味がきっとある。価値がきっとある。どんな人間であろうとも。
『落語に花咲く仏教』にも似たような記述がたしかあったが、そしてぼくの持論もそうなのだが、「言葉」は人生を豊かにする。良くも悪くも。霊長類の中でも人間だけに許された特権、それは言葉との格闘である。言葉を使うから議論ができるし、意思表明もしやすい、またある場面では共有/反発を引き起こすことが可能である。
演劇は身体を伴った言語によって初めて成立する。身体と言葉の関係/可能性を四六時中試行錯誤するのが生業としての俳優業であるので、「言語」を用いない日はないのである(どんな仕事もそうかな)。言語は、人と関わるのに不可欠な道具であり、自らの思索を可能にする媒介である。
話がとっちらかった。
要するに今ぼくは、
俳優だって、自分の言葉で話すべきだし、逆に言うと話すべき自分の言葉を探し続けければならないし、自分から出てくる言葉を書くべきだと思っているのです。人に公開しなくてもいい。ただ言葉を紡いでいく行為は、お金もかからず、いつでも、誰にでもできる。やらない手はない人生の修業だと思うのです。言語化してみて発見できることって膨大にあるから。
だからどんどん書いていこう。他者と関わっていこう。と考えています。
人生はクイズじゃねえ。
ひとつの答えがあるとは限らない。
でも芝居つくりと一緒で、答えを見つけようとし続けることに意味がある。