DULL-COLORED POP vol.20

福島三部作 一挙上演

『1961年:夜に昇る太陽』

『1986年:メビウスの輪』

『2011年:語られたがる言葉たち』

 

東京公演(@東京芸術劇場シアターイースト)

大阪公演(@in→dependent theatre 2nd)

福島公演(@いわき芸術文化交流館アリオス 小劇場)

 

7/6〜9/8、いや去年の先行上演から数えれば2018年の7月からの、

この福島三部作が昨日、いわきアリオスにて全公演終幕しました。

 

まずこのプロジェクトに関わってくれた全ての関係者各位に感謝を捧げます。

出演者・スタッフに関わらず全てのセクションにおいて劇団史上最大人数の座組で敢行された本公演でありました。

毎回毎回「今回ほど大変な公演は今までなかった」と思うことが通例になっているわれわれダルカラですが、

間違いなく今回もそれは更新されました。あの、前回の同演目4作品立て続け上演の「ねこまつり」を超えたよ、どうやら。

3本立て(内2本新作)・芸劇イースト3週間・1日三部作一挙上演・3都市公演・・・・・・etc。

 

(いわきアリオスさんのTwitterより拝借)


東京公演の最初の方は空席もチラホラあって、この規模の劇場でロングラン公演で、

どうなるんだろう?まずい!いつも以上になんとか周知して、情報をあちこちに届けて、まだ見ぬ人に届けと、

そんで口コミで広がり続けるよう、肝心の作品を全力で濃いものにするんだ!と駆け抜けた1ヶ月の本番でした。

結果、後半は完売回続出、当日券、立ち見、観れなかったお客さんも相当数いらっしゃったようで申し訳ないなあと思いつつ、

大阪公演も福島公演も満席のお運びのなか、この芝居群を上演できたこと、当初目標に掲げていた「1万人動員」を驚くことに達成できたこと、それはすなわち、2万個の目玉と2万個の耳、2万個の鼻がこの福島三部作を体験したということであり、

ちょっとそれは一体、だから、つまり、どういうことなんだろう?とにわかに実感し難い現状であります。

なんにせよ、ぼくら有名人でもなんでもないですから、芝居を通じて、目の前の人や見える限りの人たちに、想いと意思、をあきらめずに必死に届け続けた結果、実に沢山のお客さんが「これは観るべき」とか「ぜひ観てほしい」という意思をその人たちなりに世界に拡げてくれた、いわば口コミが成し遂げた成果なのだと思います。もちろんぼくらもやれる限りの工夫や作戦は練りましたし、実践もしたつもりですが、やはり演劇は目の前で体験してもらって初めて成立する芸術であって、そのためにはわざわざ劇場に足を運んできてもらう必要があって、観た(観たい)お客さんひとりひとりがこの完売続出の状況をつくってくれたのは紛れもなく事実だと思います。現実的には不可能だろうけど、観てくださった1万人全員に「ありがとうございました」と頭を下げたい気持ちです。

開場時間も、終演後も、とにかく毎日感謝の気持ちでいっぱいでした。感想もすぐに述べられなかったり、言葉にできなかったりする作品群だったと思いますが、それは実はこちらも同じで、もう、ありがとうございました、というひと言をなんとか搾り出すしかない状態でした。舞台の上でやった芝居が全てですし、自分の知り合いにお礼を言うための終演後のロビーというよりは、観てくれた全ての人にただただ感謝です、という想いで日々を過ごしてました。


 

(宣伝美術・ウザワリカさんによる明快で情報もわかりやすい、ロゴと本チラシ)

ぼくは「今回ほど目撃してもらいたい演劇はない」と方々で口にしてきました。

それは、距離感の違いはあれど、

「原発・震災・福島」は日本人あるいは日本に生きる人であるなら必ずどこかで繋がっていると思うからで、

2011年の東日本大震災を起点として、福島生まれ・仙台育ちの人間として、僕自身にとってもあんまり客観視できない出来事でありますし、その場にいる人しか体験できない「演劇」という装置を最大限フルに使い挑むこの三部作を上演する社会的意義が充分にあると去年の第1部創作時から感じ続けてきたからでもあります。

 

正直、終わってしまった今も、「まだ終わってない」し「これからも続いていく」ことです。

「原発・震災・福島」に関する問題は山積みで、ぼくたちだけでなく、

次世代、次次世代、50年後100年後も無視なんてできない歴史・事実であることは間違いないですし、

それを風化させない、思い出し続けていく、向き合い続けていく、そのための演劇だったのだと思います。

 



昨夜、いわきアリオス小劇場のバラしを終えたメンバーは一泊した訳ですが、今朝はまさに台風の最中で電車は運休のアナウンス、

しかしトラックに積んだ舞台美術や小道具、大道具、照明機材などを倉庫に返す最後の仕事が残っていたので、

舞台監督竹井くん、演出部澤田ちゃん、制作ちかちゃん、と大原と僕は、

急遽レンタカーで嵐暴風雨のなか郡山までスイフトをぶっ飛ばす

→乗り捨ててからの郡山から新幹線というウルトラC作戦が見事成功し、当初の予定より数時間遅れたものの、

台風一過後のピーカン36℃強の埼玉の倉庫で汗まみれになりながらなんとか荷返し、収納、廃棄などを完遂しました。

(著者近影。疲れた。)

スイフトの乗車制限により、荷返しをやるはずだったメンバーや電車でゆっくり帰れるはずの仲間たちは、常磐線の倒木による度重なる運休、復旧などで足止めを食らいまくり、深夜未明に上野に到着、なんとか帰れた模様です。よかったよかった。

 

初めて参加の人はびっくりするかもしれねえけんちょ、最後までバタバタ、すんなりいかねえのは、

おらに言わせっと「安定のダルカラ公演」なので笑、ご安心ください(なにが?)。

というのは冗談にしても、このロングラン&旅公演、大きな事故も怪我もなく終えられたのはほんとによかった、本当に。

みなさん、おつかれさまでした、心から。

 

 

しっかしねえ……三本も、しかも連作の三本立てを、セットチェンジを繰り返しながらひたすら、ひたすら演じていくと、

雑感なんてものは際限なくでてくるもので、いくらでも話すことができますが、とりとめもなくなっちまうので、

やはり感謝の意をここでは伝えたい。


 

 まずは、もう何年も一緒にやってるとはいえ、うんにゃやってるからこそ、はっきりと言える「俺たちはがんばったぞ!」と。舞台監督の竹井くん。この嘘みたいな過密スケジュールを完遂するための計画・実行・統率力・包容力。福島三部作を裏で影で、時に字幕で笑、全てを把握し支えてくれたのが竹井くんです。ダルカラのメンバーをよおくわかっている彼なしでは成立し得ない公演でした、本当に。ちゃーんとゆっくり打ち上げもできてないから飲もうね、マジで。


その助手ってわけでもないけど、演出部でついてくれた澤田ちゃん。今回初めてだったけど、最終的には、塚さんとジャニーズの動画を見て盛り上がってる光景を見て、なんだかほんと嬉しかった。


これは第3部でぼくが使っていた小道具のパチンコ雑誌なんですが、右下に「AZUMAYA PAN」の文字が。超細かいとこまでこだわりなから遊びつつやってくれてて、見つけたときには燃えました。写真には写ってないけど、編集者 竹井祐樹 とかって印字もされてて。同じくパチンコ景品の小道具も毎日チェックやメンテナンスをやってくれて。小道具のクオリティーが高いと芝居も触発されるっていう経験をさせてもらいました。



クソ忙しい中(ほんとに今日本で一番忙しい音響家なんじゃね?)あれこれと動いてくれたシュガーサウンドの頭領、佐藤こうじくん。芸劇や倉庫やアリオスでたまに会えたときの頼もしさといったらない。トラメガ壊してごめんなさい。第1部の車掌アナウンス、録音でなしに肉声でやれたのはほんと良かったよね。あれ、すげえ褒められるのよ実際、あればかり笑。シュガーサウンドTシャツ1年前に注文済みなのでなる早でお願いします。


Twitterで何度も書いた通り、凄腕音職人であり、天性の明るさ、コテコテの関西弁、2部も3部も最高の音をありがとうございました。大阪でぼくの芝居における「音」と「声」に関する疑問をぶつけてきたときは「さすが専門家」と唸りました。ぼくら俳優もそこに関しては専門家でなければなりませんからね、お互い精進を続けて、ぜひまたご一緒したいです今里愛ちゃん。第3部の冒頭とラストの音はほんとに凄かった。音の細かい機微から大胆な変化まで、全てこの方の鋭い感性に裏打ちされた「音」でした。タブレットとタッチペンを両手に、サウンドチェック(なのかな?なにかをミリ単位で調整してる)ときの目が、どこか殺気立っていて並々ならぬオーラを毎日感じてました。


第1部の音響オペレーターであり、めちゃ大変で頭おかしい劇団だと思ったことでしょう笑。だって第1部なんて、あまりに時間なくて、実質10日も稽古してないですからね(全体としては。芝居的には時間の隙をみて自主稽古してましたが)、そんな中頑張ってくれた吉村日奈子さん。


(第3部の舞台美術)


あの巨大電球は1部2部3部それぞれの瞬間で俳優も多大なエネルギーをもらえる特別で特殊な美術でありました、お客さんだけでなく、俳優もみんなそうだったんじゃねえかな、まさに今三部作にピッタリで象徴的で驚きの美術でした土岐研一さん。第3部観てくれた後に、堅く握手を交わしたことが印象深いです。


セットチェンジで配線替えや灯台の移動、はたまた舞台のチェンジも一緒に行い、相変わらず誰よりも声はデカく。巨大電球も電球パネルももう一生分の豆電球に触る回数は超えましたよ俺あ。みんなで創るときの指示も明確で端的。安定の8時入り前、ドトール。中学生の時は素人として毎週火曜にラジオ出演。劇団員だからそんな書かなくてもいいか笑、松本大介さん。


その多彩な照明Qを引き継ぎ、東京公演後半からこの訳の分からん演劇戦場をともに駆け抜けた和田東史子さん。東京公演終わりからの大阪公演一挙上演の日々がまさに怒涛でしたよね、ソファに身体を預けながら遠い目をしてる東史子さんの姿をやたら覚えています。キャリーケースがすごいお洒落でカッコいい。同じの買おうかな。


いわき大千秋楽後のお店で「ああ…しあわせ」とつぶやくあなたは、いわきで台風の中いち早く見切りをつけ映画館で映画を観ていたとか、ぼくら衣装さんがいることの方が珍しいのですが、今回はあなたがいなければ無理でしたよ、第3部でぼくが着たあのオレンジのジャンパー、稽古場で袖を通した1発目からとても感じが良くて好きでした、喋り出したら止まらない友好まり子さん。


敏腕で端麗で、この劇団最大規模公演における票券管理をものの見事にさばき、東京公演後半では「空中に客席つくれないかなあ?」とつぶやくほど大変な状態になりながら誠実に闘う姿に「俺も負けらんねえぞ」と刺激を受けていました柿木初美さん。肩凝りすぎだから整体とか行ってね。お互いやるべきことに忙しくて後半ほとんど会話できなかったけど、いわきの千秋楽は客席で観れたのかなあ?感想とか聞きたかったなぁ。


物販コーナーでいつもニコニコ福の神の如く劇団員やお手伝いの方に指示を出し、バリバリ仕事をスムーズにスマートにやり切ってくれた徳永のぞみさん。うちら(特に劇団員のこと)ひとりひとりをよおく見てるなぁ、と会話しながら感じ取りました。演劇はどのセクションも「人をみる」「人と関わる」仕事ですものね。演劇超好きなのは一緒に仕事したらすーぐわかる。また次も?よろしくお願いいたします。


大阪公演で、場内案内をやってるぼくとしては大阪は自由席だから大変だろうなと思っていたものの、初日から「ああこれはなんの不安もないな」という仕切りスキルを縦横無尽に発揮して下さった竹内桃子さん。ほんとにお見事でした!


そしてその全てを総括し、そもそもこの福島三部作のプロジェクト立ち上げから谷を、僕たちダルカラを、制作面で仕切り支えてくれた小野塚央ちゃん。もう偉い昔のような気がするけど、第3部単独上演の初日早朝に俺と大原と3人でお参りに行きましたね。あれ、すごく意味があったんじゃないかなって終わった今も思う。第3部が特にそうだけど「死者の声を聴く」「亡くなった人を悼む」あるいは「祈る」演劇だったものね。制作ってお客さんにとっては演劇作品の玄関だから超重要で、実際大変な状況で矢面にも立ってたのを知ってるし、谷もブログに書いてたけど、あらゆる意味でこの公演の「母」でしたよ本当に。牛乳スープ美味かった!開場寸前にロビーにちょこんと座ってレッドブルを両手で持って飲む唯一無二の人笑

小野塚央と仲間たち。

(東京・第2部単独上演の初日開場直前)


そしてこの人たちとの出会いがなければこの上演は存在しなかったであろう、萩原さん、永沼さん、前田さんをはじめとしたいわきアリオスの皆々様。いま演劇頑張ろう!て志してる若手の子たちはみんなアリオスでやることを目標のひとつにしてもいいと思う。そのくらい素晴らしい劇場とそこで生きてる方々です。

(バラし後の、劇場。)


(竹井くん撮影)

他にも挙げればキリがない程沢山の方々のご助力・ご協力・ご厚意があって、この公演は前に進むことができました。重ねてどうもありがとうございました!



出演者の皆さんもほんとにお疲れ様でした&ありがとうございました。まぁ、みんな同業者としてはライバルなので、ひとりひとりについては書かない(書いたら止まらない+人数多すぎる笑)

俳優ってのはみーんな魅力も個性も違ってて、第1部10人、第2部7人、第3部13人だから、計30人ですか、共演するということは、毎日毎ステージその人の芝居を観る/聴く/感じるということでもあるから、そういう意味で非常に勉強になる実戦の日々でしたし、研究材料をたくさんもらいました。ロングラン公演だからこそ、変化することとしないこと、がひとりひとり、点でも線でも違ってて、でも確実にそれはある、ということ、俳優の身体はほんとにおもしれーなーと思います。飽くなき探究心が俺を襲います。



第1部は新キャスト2人いた中で、しかし去年の先行上演から続投でダルカラ色てんこ盛りの『1961年:夜に昇る太陽』。ちょうど1年経っての再演というのもなかなか珍しいし、あまり再演とも思ってなかったけど、俳優としての技量であったり度量であったり感性であったり、皆それぞれの変化を感じた今年の第1部でした。新キャストの阿岐之がね、去年出会った同輩ですが、ダルカラ出てくれたこと、あの役に挑戦してくれた姿、をみれた事実が個人的には嬉しく。内田・宮地・大内も去年より演劇知が増えて貪欲になってきた分、同時に苦しんだだろうけど、演劇にまみれる日々をどんどん送っていってほしいなと思う。


(Yahoo!ニュースより。)



ただただ観る側としてのダルカラとなった第2部については、ぼくはほんとにこの『1986年:メビウスの輪』が作品として好きでして、ゴリゴリの会話劇がやっぱり大好物ということなんでしょうが、客席から観てても裏のモニターで聴いていても第2部に出てるみんなが羨ましかったし、この想いが消えることはなかったです。特に岸田研二と古河耕史とは大阪一挙上演が終わった後にそれぞれ「今度は一緒にやりましょうね」と互いに言いあって握手を交わして別れました。どうやらこの世界に言霊てやつは存在しますから、言い続けていればきっと実現するでしょう。今までもそうだったかんね。人間欲には限りがねえな、なのです。

作品としてもですね、「死者は実はそこにいてあなたに語りかけている」と百花演じるモモが語っているような死生観が、そうだよそうなんだよって心から思ってて、それは第3部を稽古してて自然と湧いてきた視点でもあって、本番中は必ず2→3で上演でしたから、第2部を身体に入れてからの第3部、この繋がりは実際物凄くて、毎日多大なエネルギーを第2部から受けていました。

(宮地ダセえ…)




 そして第3部。

毎回勝負だったな。や、どんな芝居も勝負だと思っちゃいるけど、これは、野球で言うなら毎日が日本シリーズ、優勝決定戦みてえな大勝負だった。

なんかまだ冷静には振り返ったりできない気がするけど、全てはここに向かうための三部作だったような気もするし。。。

(一部のお客さんから「海物語おじさん」と呼ばれていたらしい……確かに劇中で名前呼ばれないしなぁ)

Twitterの下書きにこんなのが残ってた。たぶん後半の台本が来たときに打った下書きだろう。

野球で言うと、谷はど真ん中に「まっすぐ」を投げてきた。力一杯に。そして冷酷に。心を決めてから振りかぶって投げてきたストレートだ。なら俺はフルスイングするしかねえ。何打ちたいとかどこ打ちたいとかじゃねえ。全身で思い切り振り抜くだけだ。そういう勝負だ。


こういう闘いでした、ほんとに。

勝ったとか負けたとか、演じた回数分すべてぼくの中にははっきりあるけど、それは観た方にとっても作品にとっても大したことじゃない、どうでもいいことですが、それでもあの状況で打席に立たせてもらったことをありがたく思っています。

あんな、アドレナリンしか出てこない状況、なかなか体験できないものね。


第3部の物語の中心にいるのは第1部の3歳から53歳になった井上くん演じる穂積真ではあるけれど、それと同時に、もうひとつの主軸は、語られたがる「言葉たち」でありました。俳優の肉体を通して語られる「言葉」たちが主役であったともある意味言えると思います。

〈俳優の肉体を通して語られる言葉〉。

お芝居はすべてそうであるはずですが、今回ほどそのことを痛感する経験はありませんでした。

適切で、痛切で、正しい、語りとは、自分の身体がただの容れ物としてだけ存在していて、自分から発せられているはずなのに自分じゃない何かが喋っているような感覚があって、なんと言えばいいかな、そこには透明な身体だけが圧倒的に存在してるだけといいますか、そういう不思議な状態に突入した瞬間があったような気がします。ただの器・容れ物としての身体。そしてそれは俳優としては、純度の高い、いい状態であるのかもしれなく。


「閉じない」「手放す」「裸を着る」「龍が暴れる」


迷ったときに出てくるフレーズはこのくらいの端的なことだけで、それすらない時もあったけど、どんどんシンプルな闘いになっていったのかな。

終演して、まだまだ全然だぁって悔しい日々でしたが、それでもリングにあがって挑み続ける中で発見も刺激もたくさんありました。


客席、共演者、スタッフ、この劇空間に存在してるもの、空気すらも含めた全体の中のただの一人であると感じていられることも重要かなあ。



お客さんの感想でそんな風な内容をよく目にしましたが、

「語られたがる言葉」はきっと誰の身体の中にもあって、この芝居を観た人ひとりひとりに、それぞれの「言葉」があることに気づいてもらえたのなら、これはとても意義のあることだし、この演劇があなたに届いたということなのかもしれません。



まだまだ思い考えていくことは続きますし、今回も得難い体験だったことに異論の余地はありません。


そしてこういう「言葉」を媒介として、あるいは武器として、挑む闘い、を出演者は皆各々の役でしていたのだと思います。


舞台というのは、その人間がぜんぶ露わになる。他者の目に晒されて、裸になる。だからこそ俳優は日々の鍛錬を怠らず、たゆまぬ準備をし続けなくちゃあならない。そしてその鍛錬と準備だけが嘘をつかない。手ぶらで、裸足で、この借りものの身体を使って遊ぶ。そのことに際限はない。


東京/大阪/福島と、その土地土地だからこそ生まれる空気の中で、この三部作を上演できたことを心から嬉しく思います。



(いわきの朝)



(いわきの夜)



最後に谷川俊太郎さんの詩

「いまここ」を載せてこの文章を締めたいと思います。

 (いわきアリオス永沼さんのTwitterより拝借)


とりとめもなく、結構な長文になってしまいましたが、最後までお読み頂いて、そしてぼくらの演劇を観てくださって、

本当にありがとうございました。


これからもダルカラをよろしくお願いいたします。


DULL-COLORED POP

東谷英人