前投稿の続きです。

 

北野幸伯著「プーチン最後の聖戦」

 

 

第3章    休戦

~~ 米ロはなぜ和解したのか?

 

・この章を読まれる前に

・ルーズベルトにハメられて、負けいくさに突入した日本

・2008年に起きたロシア・グルジア戦争の真相

・欧米のプロパガンダに騙される「平和ボケ」の日本人

・ロシアとの戦争で得るものがなかったグルジア

・2008年9月、世界的経済危機の始まり

・リーマンショック後、「アメリカ一極世界」は遂に終焉した

・オバマ大統領誕生の意味

・一極世界から多極世界へ

・アメリカ、自身の没落を認める

・中国、「世界共通通貨」導入の提案

・浮上する中国

・プーチン、「想定内」の危機と「想定外」の危機

・オバマとメドベージェフによる、米ロ関係「再起動」

・米ロ「再起動」の更なる進展

・メドベージェフ、アメリカの訪問で一定の外交成果

・悪化する米中関係

・暴走中国のレアアースショック、世界に走る

・プーチンとメドベージェフの危うい確執

・欧米の本当の怖さを知らないメドベージェフ

・「神」、プーチンの帰還

 

・・・・・・

●半蔵門補注・・・本書「第3章」は

「メドベージェフ大統領の4年間」が描かれています。

プーチンは、なぜ、メドベージェフに大統領の席を譲ったのか?

当総研は、「わざと、意図的」だと見ています。

また、メドベージェフが、欧米DSに接近して、欧米かぶれして、

DSのように振る舞う有り様は、一見、「プーチンへの裏切り」「寝返り」

とも見えますが、これも、当総研は「わざと」だと見ます。

当総研ツイッター御覧の方々は御存知の通り、

日本の政治は、國體勢力が、「保守正統」と「偽装DS」「偽装左翼班」

など、スタンスの違いを意図的に振り分け、プロレスしています。

岸田首相が「偽装DS」として、増税派財務官僚たちの言うことに

「聞く耳を持つ」のも、そのためです。

同様に、プーチンは、メドベージェフに「偽装DS」として、

DSに「面従」(腹背)する作戦をした、と洞察できます。

なぜなら、プーチンは、事前に「世界金融恐慌・リーマンショック」が

来ることを、諜報的に知っていただろうからです。

「世界金融恐慌」は、DSが意図的に引き起こしたものですが、

その対処は、相手がDSであろうとも、協力して対処しないと、

うまく切り抜けることができないからです。

但し、このDSとの協調路線のために、人類は、

リビアのカダフィ大佐という貴重な人物を失うことになります。

・・・(補注おわり)・・・

 

 

・・・(要約開始)・・・・・・

第3章    休戦

~~ 米ロはなぜ和解したのか?

 

■     この章を読まれる前に

この章は新聞記事の引用を多用する。事実である証拠としての新聞記事を提示。

読みやすさは犠牲にしても。

 

■     ルーズベルトにハメられて、負けいくさに突入した日本

国際関係とは、「ウソ八百」でしかない。

アメリカに原爆を2発落とされて、無辜の民間人を大量虐殺されたのに、

広島原爆記念碑に「二度とあやまちを繰り返しません」(主語なし)と刻まれる。

真珠湾を奇襲攻撃した日本が悪い、と洗脳された戦後日本人。

しかし、911同時多発テロで(たった)数千名を殺されたアメリカは、

アルカイダを匿っているとされたアフガンのタリバン政権に対して

原爆を落としたか?原爆投下で、アフガン国民を大量虐殺して良いとでも

言うのか?

「いいえ、違う」と判断できれば、「真珠湾奇襲と原爆の関係」も同じこと

ではないか。

 

その上、ルーズベルト大統領は真珠湾攻撃を事前に知っていた。

そのことが記事にもなっている。ゆえに、奇襲ではなかった。

フーバー大統領が回顧録で暴露。

当時、ルーズベルト大統領は、米国がドイツとの戦争に参戦する口実を

探しており、日独伊三国同盟がある故に、日米開戦となれば、

欧州の対独戦に米国は参戦でき、英国を助けられる。ゆえに、

日本が米国に先制攻撃するように「仕向けた」のだと。

 

イラク戦争の開戦の理由(大量破壊兵器がある等々)も全部ウソだった。

 

 

■2008年に起きたロシア・グルジア戦争の真相

プーチン大統領が任期終了で退任。

後継に、2008年5月、メドベージェフ大統領就任。

2008年8月に、ロシア・グルジア戦争勃発。

小国グルジアを大国ロシアが侵略したのか?

断じてNO! グルジアがロシアに戦争を仕掛けたのだ。

グルジア軍が南オセチア自治州共和国の州都ツンバリに

侵攻して、駐留ロシア軍司令部を空爆し砲撃を浴びせた。

 

この経緯としては、1992年以降、南オセチアは

16年間、事実上「独立状態」だったが、

2008年2月に、セルビアの自治州コソボが独立したことで、

南オセチアもそれに見倣う動きとなったため、

独立阻止の鎮圧のために、グルジア軍が動いたのだ。

 

 

■     欧米のプロパガンダに騙される「平和ボケ」の日本人

西側報道が垂れ流す

「弱い小国グルジアが大国ロシアに侵略されている」と

いう情報に、日本人はすっかり洗脳されている。

親欧米派のサアカシビリ大統領が、欧米メディアで

「ロシアがグルジアを攻めた」「グルジアはロシアに侵略されている」

と、「ウソの宣伝」をしきりにやっていたため。

 

(半蔵門補注・・・現在の「ウクライナ事変」も全く同様のこと)

 

ロシアの国際的評判を失墜させることは

アメリカの国益に適うので、西側メディアによる

「ロシア悪玉論のフェイクニュース」がどんどん流された。

 

南オセチア自治州共和国へのグルジア軍の軍事侵攻が、

サアカシビリ大統領の独断とは考えにくい。

サアカシビリ政権は、アメリカの傀儡政権だから。

(裏でアメリカが指示していると考えるのが極めて妥当)

 

 

■     ロシアとの戦争で得るものがなかったグルジア

南オセチア自治州に軍事侵攻したグルジア軍は

「ロシア軍と南オセチア軍の連合軍」に攻められ敗走した。

8月16日、休戦協定成立

8月26日、ロシアが南オセチア自治州の独立を承認。

結局、サアカシビリ大統領は、南オセチア自治州を奪還しようとして、

逆に領土を失ってしまう事態に激怒した。

このままだと、NATOとロシアとの全面戦争か?

という緊張状態が発生した。

 

(半蔵門補注・・・現在のウクライナ事変と酷似した状況ですね。)

 

しかし、ここで、世界的大事件が勃発する。

 

 

■     2008年9月、世界的経済危機の始まり

世界的大事件が勃発、それが「リーマンショック」。

2008年9月15日

米国リーマン・ブラザーズが史上最大の

「64兆円の負債」を抱えて倒産。

「100年に1度の大不況」に突入。

日経平均株価は、2週間で、12000円から6000円へと

半額に暴落。

10月3日、米国が「緊急経済安定化法案」を可決。

 

 

■     リーマンショック後、「アメリカ一極世界」は遂に終焉した

「リーマンショック」により、

「2008年をもってアメリカ一極覇権は崩壊し終焉を迎えた」

 

しかし、その1年半まえの2007年2月に、

プーチン大統領は、

「ミュンヘン国際安全保障会議」の演説にて、

「アメリカ一極覇権時代は崩壊する」と予言していた。

 

2008年9月23日

イランのアフマディネジャド大統領も、畳みかけるように

「アメリカ帝国は終焉への道を歩みつつある」と演説した。

 

 

■     オバマ大統領誕生の意味

2008年11月、ブッシュJR.大統領の人気は凋落。

オバマ氏が大統領選挙に勝利。

オバマは就任演説で、

「アメリカは、キリスト教徒とイスラム教徒、ユダヤ教徒にヒンズー教徒、そして

無宗教の人々の国である」と述べた。

これは、米国が

もはや、「アングロサクソンによる白人基督教国家ではない」

と、多様性容認の政治スタンスを表明するものであった。

 

 

■     一極世界から多極世界へ

「一極世界 vs 多極世界」

2003年頃から「多極主義陣営」が形成され始めた。

フランス、ドイツ、ロシア、中国・・・。

2008年11月15日

ワシントンにて、「G20」首脳会合が開催された。

「G20」は、世界のGDPに占める割合の90%を占める。

もはや、G7とやG8だけで、

世界の趨勢を決めることができなくなった。

「G20」は、多極世界の象徴。

 

 

■     アメリカ、自身の没落を認める

2008年11月

米国の国家情報会議(NIC)は未来予測の報告書「世界潮流2025」で

2025年には、

1.チャイナとインドが興隆しているだろう

2.富と経済力が西側(欧米)から東側(アジア)へ移っている

3.世界は多極化している

4.アメリカの支配力は低下している

と予見した。

 

 

■     中国、「世界共通通貨」導入の提案

2009年3月、チャイナの中央銀行(人民銀行)総裁の

周小川氏が、世界共通通貨として、IMFのSDRを使おう、

=SDRの進化させて、国際通貨にしてしまおう、と提案した。

これは、アメリカの基軸通貨を単なるローカル通貨にしてしまおう、

という提案であり、「ドル基軸通貨体制」こそが、

アメリカの独占的な金融特権であるのに、

それを手放せ、ということを意味した。

オバマは驚愕し、「そんなものは必要ない」と一蹴した。

 

 

■ 浮上する中国

リーマンショック後、勝ち組に躍り出たのがチャイナ。

2008年11月、温家宝首相が、4兆元(約57兆円)の景気対策を発表。

2009年のチャイナ経済は絶好調。

チャイナは、日本より30年遅れている分、成長の伸びシロがある。

賃金水準も低いので、世界の工場の役割を担える。

その上、チャイナの人口も2035年までは増加トレンド。

いよいよ、アメリカに並ぶ超大国の地位が見えて来た。

 

 

■     プーチン、「想定内」の危機と「想定外」の危機

プーチンはアメリカと戦うにあたり、必然的に経済危機が起こるのを見越して、

「経済危機に強い体質」のロシアを作る準備を怠らず進めた。

結果、2000年~2008年まで、ロスシはずっと経済黒字。

2007年には、ロシア国家債務を完済。

2008年当初で、1500億ドルの資金ストックを達成。

 

 

■ オバマとメドベージェフによる、米ロ関係「再起動」

リーマンショック後の経済低迷で

アメリカ・ロシア共に苦しいので、

互いに協力し合うことを約束した。

オバマは東欧にミサイルを配備しないと約束。

メドベージェフは、それを受けて、バルト海沿岸の

カリーニングラードへのミサイル配備を撤回。

 

 

■ 米ロ「再起動」の更なる進展

更に、米ロ両国(オバマとメドベージェフ)は、両国間の懸案事項である

アフガニスタン問題と、イラン問題の解決に当たる。

親米のメドベージェフは、アフガニスタン攻撃のための、米軍による

ロシア制空権内の飛行を許可。

両国の核ミサイル軍縮削減の約束もした。

そして、オバマは、メドベージェフからイラン制裁の合意を取り付けた。

 

しかし、オバマがいつもの嘘八百・口先三寸であることが露呈。

ポーランドで、地対空ミサイル・パトリオットの配備がスタートしたのだ。

 

更に、上海協力機構へのイランの加盟を中ロがブロックする、

という話にまで、オバマ外交は、中ロを動かした。

 

 

■     メドベージェフ、アメリカの訪問で一定の外交成果

2010年6月23日、メドベージェフは訪米し、

i-phoneをもらい、ロシア経済を「石油・ガス」依存体質から

近代化して、「ロシアのシリコンバレー」を作る構想をぶちあげる。

オバマとハンバーガー店でハンバーガーを頬張りながら

ロシアはWTO(世界貿易機関)に加盟することへの米国の支持を取り付け、

2011年11月、ロシアは、WTO加盟を果たした。

 

 

■     悪化する米中関係

2010年、チャイナがGDPで日本を抜き、世界第二位になった。

日本は、民主党政権。

2010年9月7日、尖閣諸島中国漁船衝突事件が発生。

日中が対立するが、米国は、「尖閣諸島は安保条約の適用対象」

と明言したことで、チャイナもトーンダウンした。

 

 

■     暴走中国のレアアースショック、世界に走る

2010年10月、対中国(日米)合同軍事演習を実施。

また、欧米側は、チャイナの反体制派の劉暁波にノーベル平和賞を

授与。チャイナは大反発。

欧米向けのレアアースを輸出制限する挙に出た。

 

 

■プーチンとメドベージェフの危うい確執

2011年「アラブの春」中東カラー革命が次々勃発。

チュニジア、エジプト、リビア。

中ロが国連で拒否権を使わず「棄権」したために、

国連安保理は、リビア攻撃容認決議をした。

ロシアでは、プーチンが「拒否権を使う」派であったが、

メドベージェフが「(容認)棄権派」であり、

メドベージェフ大統領の意見が通ったのだった。

メドベージェフ大統領は、プーチン首相を解任する権限がある。

プーチン首相は、「統一ロシア」政党を使って、大統領弾劾決議を

することが可能。

両者の権力は、微妙な均衡の上にあった。

 

 

■     欧米の本当の怖さを知らないメドベージェフ

欧米は、ロシアに傀儡の大統領を置きたいと画策して来た。

1.親米派の筆頭・・旧ソ連・ゴルバチョフ総書記

2.2代目親米派・・エリツィン大統領

3.3代目親米派・・(石油王)ホドルコフスキーを大統領に

したかったが、プーチンに阻止された。

そして、メドベージェフ大統領は、欧米エリートたちに

ちやほやされて、舞い上がり、

大統領2期目もやるつもりで、その気になっていた。

 

 

■     「神」、プーチンの帰還

2012年3月、プーチンは大統領選挙に圧勝して、

再び、ロシアに君臨することになった。

メドベージェフの2期目を阻止しようとする祖国愛国派の

KGBたちに、メドベージェフは勝つことはできず、

権力闘争に敗北した。

 

・・・・・・・・

 

以上が、「第3章」の要約です。

 

 

この第3章で見た通り、

グルジア戦争は、DS欧米の傀儡が南オセチア自治州に攻め込むことで、

DS側がつっかけて始まった戦争です。

現下の「ウクライナ事変」と経緯が酷似しています。

 

そして、グルジア戦争の後に、「世界金融恐慌たるリーマンショック」が発生します。

これは、その前から、サブプライムローンという粗悪な金融商品で、

それが起こるべくして起こるように、DSが「ネタ仕込み」していたものです。

ですから、「リーマンショック」は、不測の事態のブラックスワンではなく、

「意図的に計画的に仕組まれた破綻」だったのです。

 

さて、今回の「ウクライナ事変」

その後に来る「世界金融恐慌」とは?

 

当総研は、「米国株式暴落」からの「米国経済デフォルト」

だと推測しています。

詳細は、こちらをどうぞ。

 

米国株式大暴落(人類史上最大最悪)ブラックスワンが近づいている!! | 半蔵門インテリジェンス総研 

 

では、引き続き、

次回、最後の「4章」を要約して行きます。

 

今回以上です。

それではまた。

 

前投稿の続きです。

 

北野幸伯著「プーチン最後の聖戦」

 

 

第2章    米ロ新冷戦

プーチンはいかにアメリカを没落させたのか?

 

・プーチンのアメリカ嫌い

・ソ連時代の徹底した反米教育

・冷戦の敗北

・アメリカが破産しない理由

・基軸通貨ドルのさまざまな特権

・米ソ冷戦後の欧州の反逆

・フセインの「核」爆弾

・外交における理想主義と現実主義

・アフガン戦争とプーチン外交

・米・ブッシュとロシア・プーチンの短い蜜月

・イラク戦争と石油

・プーチン、反米にシフト

・アメリカ没落の始まりとなった、ロシア「ユコス事件」

・ホドルコフスキーが犯した5つの大罪

・プーチン、遂に世界の支配者に宣戦布告

・石油は常に戦争と結びついている

・アメリカの「石油枯渇」が近づいている?

・アメリカは、資源の大宝庫、カスピ海を狙う

・グルジアのバラ革命はなぜ起こったか

・バラ革命はアメリカの革命だった

・プーチン、二期目の大統領選で圧勝

・ウクライナでオレンジ革命が成功

・キルギスでもチューリップ革命が成功

・チューリップ革命もアメリカの革命だった

・アメリカの革命、ウズベキスタンでの失敗

・なぜアメリカ画策の「カラー革命」は止まったのか?

・プーチン、アメリカとの「血戦」を選択

・プーチン、仮想敵国・中国との同盟を決意

・ロシアと中国、「上海協力機構」を反米の砦化

・プーチンの逆襲にいらだつアメリカ

・2006年、プーチン、ドル崩壊への歴史的決断

・プーチンの引退とメドベージェフの登場

 

・・・目次おわり)・・・・

 

(半蔵門補注)(ここまでの流れの概観)・・・

第1章では、国際金融資本の英米勢力が、ソ連を解体し、

なりすましユダヤ人ネットワークを使って、オリガルヒに

ソ連の産業資本の株式所有をさせて富豪にして、新生ロシアを

牛耳るつもりでしたが、KGB祖国救済愛国派のプーチンが、

あれよあれよ、という間に、オリガルスヒを成敗して、

大統領にまで登り詰め、大統領第1期4年の間に、一気に、

ロシア政治と経済を建て直し、国際金融資本DSの手から

ロシアを奪還したまでの話が描かれました。

 

そして、第2章では、プーチン大統領2期目4年間の戦いが描かれます。

国内では、最大の宿敵・石油王ホドルコフスキーを討伐します。

ホドルコフスキーを通じてロシア経済を牛耳ろうとしていた国際金融資本家は

怒り心頭、旧ソ連衛星国に次々に、カラー革命を起こして

米国傀儡政権を作り、プーチン・ロシアを追い込もうとします。

つまり、プーチンは、国内に留まらず、対外的にもDSと戦った時期でした。

それでは、具体的に見て行きましょう。

・・・補注おわり・・・

 

 

■     プーチンのアメリカ嫌い

2011年10月にプーチン首相は北京で

「米国は寄生虫だ」と発言したという新聞記事があります。

(半蔵門補注・・・本質を突いた鋭い表現です。)

(詳細は「DSの正体篇)で解説予定)

それほど、蛇蝎の如く、プーチンは、米国に巣喰うDS勢力を嫌っています。

 

 

■     ソ連時代の徹底した反米教育

北野氏は、プーチンの反米はソ連時代の反米教育にある、と指摘します。

ソ連では、資本家は搾取する悪の権化。米国はその元凶。

 

(半蔵門補注・・・プーチンはKGBで全ての真実を知ることになり、

ソ連の表面的な反米とは異なる次元で、真の悪を知っている、と言えます。)

 

■     冷戦の敗北

ソ連の国民は、反米教育のために、ゴルバチョフもエリツィンも

極悪の米国資本家に騙された、人の良いエリツィンは、

狡賢い英米のトラップに引っ掛かり、ロシアの資産が強奪された、

そう思っている。

プーチンも、「ロシア復興」と「アメリカへの復讐」を誓っただろう、と。

 

■     アメリカが破産しない理由

 

アメリカは、世界最大の

「財政赤字国」であり「貿易赤字国」であり「対外債務国」

という三重苦の中にある。

しかし、アメリカが破産しないのには、2つの理由がある。

1つ目は、ドルが米国に還流するシステムがあること。

2つ目は、米ドルが世界の基軸通貨であること。

 

まず、「ドルの還流システム」について見てみると

・高金利

日本がゼロ金利で米国が5%金利なら、米国に

ドルが集まる。

 

・アメリカ国債を外国に買わせる

日本や中国が大量購入。

尚且つ、日本は米国の許可なく米国国債を売却できない。

 

・米国株式市場(好調)

ITバブル時代(1995~2000年)

株価は、5年間で300%上昇。外国人投資家がドルで投資して来る。

 

2つ目の「世界の基軸通貨・米ドル」について見てみると

 

・米国と他国との貿易に関して、米ドルが使用される

たとえば、ロシアが米国に石油輸出するときは米ドルを受け取る

ロシアが米国から製品を輸入するときには、ルーブルで米ドルを購入して

米ドルで支払う。

 

・米国と関係ない二国間の貿易でも。

日本が中東の石油を購入するには、円で米ドルを購入して

米ドルで支払う。

 

・各国中央銀行は、外貨準備金として、米ドルを保有。

・世界中の民間人が 米ドルで預金をしている。

米ドルは、どんどん輪転機で紙幣を刷っているので、

長期的には、ゆるやかに下落してインフレとなっている。

「米国の膨大な貿易赤字」の故に、米ドルのインフレ(価値下落)は

確実に起きているが、世界基軸通貨なので、下落率が緩やかである。

 

 

■     基軸通貨ドルのさまざまな特権

「アメリカは、外貨を稼いだことが一度もない。」

米ドルが世界の基軸通貨だから、刷って支払えば良いだけ。

つまり、外国との貿易は、「国内取引」と全く同じことなのだ。

しかし、米国は世界一の恒常的な超貿易赤字国なので、

米ドルが基軸通貨でなくなった途端に、経済破綻してしまう。

ドル高である限り、米国経済は破綻しない。

(半蔵門補注・・・逆に言えば、米ドルがハイパーインフレになれば、

国家は必ず破綻する。)

米ドルを基軸通貨でなくならせれば、米国覇権は終わる。

その方法は?

他の通貨での国際取引が多くなれば良い。

 

 

■ 米ソ冷戦後の欧州の反逆

1991年12月、ソ連崩壊・解体。

米ソ冷戦構造が終り、「米国一極覇権時代の到来か?」

欧州は、1500年~1900年まで

400年間、世界の覇権国家は、欧州から。

ソ連崩壊後、「米国一極覇権」に物申すのは、欧州しかない。

欧州を統合すれば、米国から覇権を奪える。

ジャック・アタリもそう述べた。

1999年1月、EU加盟国で共通通貨ユーロが誕生!!

人口とGDPでは、米国を上回る規模の通貨ユーロの誕生。

 

 

■     フセインの「核」爆弾

2000年9月24日、大事件発生。

イラクのフセイン大統領が、石油代金として

米ドルを使用しない(ユーロを使用する)と宣言!!

↓↓

米ドル基軸通貨体制に亀裂を入れる「金融史的な大事件」

 

2000年10月30日、国連がそれを承認。

フランス(シラク大統領)がバックで後押ししていた。

それゆえ、2000年11月から、イラクは石油取引をユーロで開始した。

 

もしも、イラクに続いて、他国も次々に石油をユーロで取引するようになったら

米ドル基軸通貨体制は崩壊してしまう。

 

そこで、米国は、

フセイン大統領が大量破壊兵器を隠し持っている、と濡れ衣を着せて

イラク攻撃に踏み切った。そうして、

2003年のイラク戦争で勝利し、米国はイラクを占領して、

石油取引を米ドルに戻した。

 

 

■     外交における理想主義と現実主義

・理想主義とは、綺麗な建前のこと。

友愛ある平和な世界を創る、とか。

・現実主義とは、「国益」重視のこと。

  「国益」とは、「金儲け」と「安全」です。

イラク戦争においても、

醜い米国の国益追求を表には出せないので、

綺麗な建前として、大量破壊兵器を隠し持つ独裁者フセイン

を打倒して、自由な民主主義社会を建設する、となります。

 

プーチンは、徹頭徹尾「現実主義」「ロシア国益最優先」である。

 

■     アフガン戦争とプーチン外交

2001年9月11日米国同時多発テロ発生。

アメリカは、アフガニスタンのタリバンを報復攻撃対象に指定。

プーチンは、中央アジアのロシア同盟国内での米軍の空港使用許可を出して

米軍を支援。

チェチェン武装組織とタリバンの関係性から、

プーチンは、米軍を支援した。現実主義。

 

 

■     米・ブッシュとロシア・プーチンの短い蜜月

ブッシュ・ジュニア政権がアフガニスタン攻撃をする、

ということは、「米国がイスラム社会全体と対立する」

ということを意味する。

プーチンは、アラブ諸国が米国との石油取引で、

アフガニスタン応援で石油輸出を減らして来たら、

ロシアが米国に石油輸出する、と甘い言葉で、米国に接近。

一時的に、ロシアはNATOの準加盟国的な地位になった。

 

 

■ イラク戦争と石油

イラク戦争は、イラクの石油利権を奪取したい米国が仕掛けた

戦争であった。

FRB議長グリーン・スパン氏がそう述べている。

という新聞記事を引用。

勿論、米ドル基軸通貨制度の防衛も含まれていました。

一石二鳥。

 

■     プーチン、反米にシフト

プーチンの国益重視外交からすると、

イラクが陥落したあと、イラク石油利権を米国と半々に分け合うのなら、

悪い話ではない。米国との共同歩調も可能だろう。

ところが、米国(ネオコン)は、ロシアと権益をシェアする気など

一切ないことが判明したので、プーチンは、反米にシフト。

イラク戦争に対しては、ロシア・中国・フランスが反対した。

しかしながら、国連安保理の承認を経ないまま、米国は強引に、

2003年3月20日、イラク戦争開戦。

5月2日、ブッシュ大統領、戦闘終結宣言。

但し、その後も、戦争としてはダラダラと8年間も継続し、

結局、2011年12月に戦争終結宣言となった。

 

(半蔵門補注・・・

イラク戦争の犠牲者は推定50万人 | ナショジオ日本版

「死者は約50万人と推定している。これはおそらく控えめな数字だ」と

ハゴピアン氏は述べる。

補注おわり・・・)

 

 

■     アメリカ没落の始まりとなった、ロシア「ユコス事件」

米国はイラクの石油権益をゲットして、得意満面。

そのまま、彼らの仲間・ロシアの石油王ホドルコフスキーを通じて、

ロシア石油最大手企業である「ユコス」をも米国企業が買収してしまおうと企んでいた。

しかし、プーチン大統領は、それを阻止すべく、電撃的に

2003年10月、ホドルコフスキーを脱税容疑で逮捕した。

これが、「ユコス事件」

世界的に俯瞰すると、アメリカ一極覇権の頂点がこの直前であり、

「ユコス事件」で、プーチンがロシア石油最大手を祖国ロシアが奪還した

「歴史的大事件」以降、「アメリカの一極覇権は右肩下がり」になる。

ソ連崩壊後、米英国際金融資本側によるロシア資産の強奪

Vs

プーチン・ロシアによる資産奪還作戦

は、この「ユコス事件」で、ロシア勢力の逆転勝利で決着を見た瞬間

であった(「株式会社ロシア」栢 俊彦【著】)

「この事件を機に、ロシア国益第一主義(ロシア・ファースト)が

確立し始める」(栢 俊彦)

その後の各種の旧ソ連衛星国まわりの紛争(カラー革命など)も、

「ロシアの行動を制御し続けようとする欧米諸国と、

自立を目指すプーチン政権との、つばぜりあい、である」(栢 俊彦)

 

 

■     ホドルコフスキーが犯した5つの大罪

栢 俊彦氏が挙げる5つの罪

1.脱税

ロシアには「国内オフショア制度」があり、地方の法人税が低めに

設定されている。

「ユコス」は法人税12%(通常の半分)しか支払っていなかった。

そして、クドリン財務相に、脅しもかけていた。

 

2.国の財政政策への介入

ロシアの石油パイプラインは、100%国営「トランスネフチ」

の独占。しかし、ホドルコフスキーは、「ユコス」独自の

石油パイプラインを作ろうとした。

また、ホドルコフスキーは、プーチンの政策に

悉く、反旗を翻し、楯突く発言をしていた。

 

3.資産の争奪戦

「ユコス」の企業資産を、国営ロスネフチの社長ボグダンチコフが

狙っていた?

結果的には、その後、ユコスと子会社の資産は、「ロスネフチ」に吸収合併

された。裏では、大統領府副長官セーチン氏が動いていた。

セーチン氏は、プーチン大統領の側近中の側近。

 

石油王手「シブネフチ」は、ベレゾフスキー→アブラモビッチの所有

だったが、2005年9月、ガスプロムが吸収合併。

「ガスプロムネフチ」となった。

 

こうして、ロシア石油業界は、

「ロスネフチ」「ガスプロム」2大企業体制へ。

(欧米勢力の追い出し完了)

 

4.政治への介入

ホドルコフスキーは、反プーチン政党(複数)に資金援助を

していた。政治に介入する姿勢だ。

具体的には、「右派勢力同盟」「ヤブロコ」「共産党」への資金援助。

そして、2008年の大統領選挙に立候補して、

大統領を目指す、と公言していた。

 

 

■     プーチン、遂に世界の支配者に宣戦布告

ホドルコフスキーの5つの罪(の続き)

 

5.米国ブッシュ政権への接近と米企業への身売り工作

ホドルコフスキーは、ジェイコブ・ロスチャイルドと知己を得ていた。

2001年12月

この二人は共同で、「オープン・ロシア財団」を設立。

ホドルコフスキーはブッシュ政権内での人脈を広げて行く。

チェイニー副大統領、コンドリーザ・ライス大統領補佐官・・。

 

ホドルコフスキーは、ベレゾフスキー→アブラモビッチの所有の

「シブネフチ」との合併を画策。加えて、

それを米国のシェブロンテキサコ、又は、エクソンモービル

に売却しようとしていた。

これらの米企業が「拒否権」持つ形で、ロシア企業に参入してくる事は、

ロシアの石油資産が、治外法権エリアに逃げ去ってしまうことを意味した。

 

米英の「魔の手」はロシアに迫っていた。

プーチンは、果たして、欧米諸国のシオニスト的侵略とガチンコで

戦うつもりなのだろうか?

その答えが、

2003年10月25日のホドルコフスキー逮捕だった。

 

 

■ 石油は常に戦争と結びついている

 

石油を武器として使う国アメリカ。かつて、日本も

ABCD包囲網で、石油禁輸され、戦って活路を求めるしかない

状況に、アメリカが追い込んだ過去がある。

イラク石油利権のためには、どんな事もする汚いアメリカ。

 

 

■     アメリカの「石油枯渇」が近づいている?

ブッシュ・ジュニアは、

「アメリカの石油はあと15年後に枯渇します」

と報告を受け、イラクの石油利権に動いた、とも考えられる、と。

 

■     アメリカは、資源の大宝庫、カスピ海を狙う

イラクは、2003年当時、世界第二位の石油埋蔵量と

概算されていた。

2011年のデータでも、世界第四位の埋蔵量。

イラク戦争で、これを獲得した米国は、

ロシアの石油も、ホドルコフスキーを通じて手に入れる寸前だった。

しかし、プーチン大統領に阻止された。

 

激怒したアメリカ支配層は、

旧ソ連衛星国にカラー革命を次々に起こして行く。

最初にターゲットにしたのが

グルシア。

カスピ海の石油埋蔵量は概算もできないほどたっぷりある。

 

カスピ海周縁の石油を世界に輸出するべく、

「アゼルバイジャンのバクー」→「ロシアのノボロシースク」

ルートの石油パイプラインが通っていた。

しかし、これを使わず、

「アゼルバイジャンのバクー」→「グルジアのトリビシ」

→「トルコのジェイハン」ルート

(これをBTCパイプラインと言う)

を作って、アメリカの利益とする。

そういう計画を、アメリカは動かし始めた。

 

 

■     グルジアのバラ革命はなぜ起こったか

プーチンは「BTCパイプライン計画」を潰すべく、

親米的なグルジア国内に抱える2つの自治区

アブハジア自治共和国

南オセチア自治共和国

を支援することで、政情を不安定にする作戦に出た。

2003年11月2日

グルジア議会選挙で、現大統領シュワルナゼが率いる政党

「新しいグルジア」が1位(21%)獲得。

2位のサアカシビリが率いる政党「国民運動」が18%。

しかし、「不正選挙だ」という暴動が起きて、

11月22日、野党側が議会ビル占拠。

翌日、シュワルナゼ大統領が辞任。

これが「バラ革命」。

 

■ バラ革命はアメリカの革命だった

ジョージ・ソロスがグルジアを訪問し、

2000年初旬に、「オープン・ソサエティ財団」を設立。

2003年退任に追い込まれたシュワルナゼ元大統領が

11月30日のテレビ放送で、

「この革命は、ソロスによって仕組まれたものだ」と発言。

サアカシビリ新大統領は、米国コロンビア大学とジョージ・ワシントン大学

を卒業したバリバリの親米派。

選挙前、サアカシビリ側野党は、

「アメリカに選挙を監視してもらおう」と主張し、

シュワルナゼ大統領もこれに渋々同意してしまったがために、

アメリカの民間調査会社が出口調査を担当することに。

そして、1位になったシュワルナゼ大統領の政党に対して、

「選挙不正だ」と騒ぎ立てた、というシナリオ。

2004年1月、サアカシビリ政権が誕生。

BTCパイプラインは、建設スタートし、

2006年6月から稼働スタート。現在に到る。

ロシアは、このパイプラインで大損を蒙っている。

 

 

■     プーチン、二期目の大統領選で圧勝

プーチンは、大統領1期目の4年間で、

ロシア経済・ロシア政治を一気に建て直した。

経済もプラス成長で好景気。

オリガルヒのホドルコフスキーも逮捕して、祖国防衛。

それ故、大統領選の2期目も、71%を得票して圧勝した。

1期目の敵は、国内の新興財閥だった。

2期目の敵は、プーチン打倒を目論むアメリカ。

 

 

■     ウクライナでオレンジ革命が成功

2004年11月21日、

大統領選挙では、親露派のヤヌコヴィッチが勝利。

しかし、親米派のユシチェンコ陣営が「不正選挙だ」

とイチャモンを付け、抗議デモが激化。

クチマ大統領は、内外からの圧力に屈して、再選挙に同意。

2004年12月、再選挙が実施され、

親米派のユシチェンコが52%の得票で勝利。

2005年1月25日

ユシチェンコ大統領が誕生。

これが、ウクライナの「オレンジ革命」。

 

 

■キルギスでもチューリップ革命が成功

2005年3月

大統領選挙で、現職アカエフ大統領が勝利。

しかし、野党が「選挙不正だ」と騒ぎ、大暴動に発展。

アカエフ大統領は、ロシアに亡命した。

野党指導者のバキエフ元首相が、大統領代行し、

2005年7月の選挙で勝利して正式の大統領に就任。

これが、キルギスの「チューリップ革命」。

 

 

■     チューリップ革命もアメリカの革命だった

2005年4月2日産経新聞に

「キルギス、米NPOが支援、政変実現させる」

とある。

革命を推進したNPOとは、

1.フリーダムハウス

2.国家民主研究所(NDI)

3.国際共和研究所(IRI)

で、これらの資金源は、米国家予算から捻出されている。

このように、親米反露政権が、立て続けに3つ、誕生した。

 

 

■     アメリカの革命、ウズベキスタンでの失敗

旧ソ連衛星国14カ国全部に、アメリカは米国傀儡政権を

樹立するカラー革命を仕掛けるほどの勢いだった。

次のターゲットは、ウズベキスタン。

2005年5月、ウズベキスタンのカリモフ大統領に

辞任を要求する大規模デモが発生。

しかし、カリモフ大統領は、強行に、それらを武力鎮圧した。

アメリカは、デモ参加者が不当に殺害されたとして、

ウズベキスタンへの支援停止、調査団受け入れを要求。

一方、中国とロシアはカリモフ大統領支援に回った。

カリモフ大統領は強気に出て、アメリカに対して

2005年7月30日

ウズベキスタンに駐留している米軍に対して

180日以内に出て行くように通告した。

アメリカとの訣別だった。

 

 

■     なぜアメリカ画策の「カラー革命」は止まったのか?

その後も、アメリカは、旧ソ連衛星国で、カラー革命を

仕掛けたが、ことごとく、撃退された。

なぜなら、手口がワンパターンであり、その対処法を

編み出されてしまったから。

ロシアでは、2006年「NGO規制法」が成立。

外国からの資金の流入を取り締まることに。

 

2006年3月19日

ベラルーシでの大統領選挙のこと。

ルカシェンコ大統領が、83%の得票で圧勝した。

しかし、「選挙は不正だ」という、アメリカによる同様の手口が

仕掛けられた。

しかし、これも阻止されて終わった。

政府が野党側への外国からの資金の流入を阻止したので、

野党側は、活動がジリ貧になり、3月25日

野党側ミリンケビッチはデモの中止を宣言。反政府運動は終息。

 

 

■     プーチン、アメリカとの「血戦」を選択

アメリカによるロシア侵略の野望はとどまるとこを知らない。

しかし、プーチンは屈伏して傀儡になることを断固拒み、

徹底抗戦の道、すなわち、

「アメリカ帝国主義を滅ぼすこと」

「アメリカへの復讐」

を選択して、一途に邁進することになる。

 

 

■     プーチン、仮想敵国・中国との同盟を決意

プーチンは、アメリカ帝国主義と徹底抗戦するために、

「チャイナとの同盟」という選択を決断した。

ロシアとチャイナは昔から犬猿の仲だったが、

アメリカを敵国として協同戦線を敷いて対処する、

という互いの共通の利益ゆえに、中ロ同盟が成立した。

「アメリカ幕府打倒」で手を組んだので、

中ロ同盟は、「現代版・薩長同盟」と言える。

すみやかに、中ロ間の領土問題を解決し、

両国の合同軍事演習をスタート。

米国一極支配構造に対抗する戦略的提携関係を構築した。

そして、イラクをアメリカに取られた両国は、

イランだけは両国で護る、という「イランへの関与」を

強めて行く。

また、中ロ両国間のガスパイプライン建設でも合意。

 

 

■     ロシアと中国、「上海協力機構」を反米の砦化

反米の核となる「中ロ同盟」を構築した両国は、

次に、同盟仲間を広く募り始める。

2001年6月1日、上海協力機構(SCO)を創設。

中ロ両国に加えて、中央アジア4国が加盟。

(カザフスタン、ウズベキスタン、キルギス、タジキスタン)

2005年7月5日カザフスタン首都アスタナにて

「アスタナ宣言」で、中央アジアからの米軍基地の撤退を要求。

加えて、イラン、インド、パキスタンがオブザーバー参加。

2006年6月15日「上海協力機構5周年宣言」で、

中ロは、加盟国をアメリカの侵略から守ると宣言。

そして、SCO加盟国の軍事演習は、

NATOに対抗するため、であることが鮮明になった。

 

 

■     プーチンの逆襲にいらだつアメリカ

ロシアを侵略したいアメリカ。しかし、プーチンの逆襲にあい、

ロシア国内の政権転覆は無理、その上、ロシアは核大国。

そして、ロシアは資源大国なので、日本を兵糧攻めしたような、

ABCD包囲網を敷くこともできない。ロシアは食糧自給大国。

国家的な対外債務も返済し終わっている。

ロシアへの攻め手に欠くアメリカは、引き続き、

ロシア国内での、親米派をオルグして、反プーチン暴動を起こす

準備をする程度しかできなかった。

 

 

■     2006年、プーチン、ドル崩壊への歴史的決断

2006年5月10日、プーチン大統領は、

「年次教書」で、爆弾発言をした。

「ロシアが輸出する石油ガスはルーブルで決済されるべきだ」

「ロシア国内にルーブルで決済する商品取引所を作る」

「ロシア中央銀行は、ドルでの外貨準備高の割合を引き下げて行く」

2006年6月8日モスクワの証券取引所にて

ルーブル建てのロシア原油の先物取引がスタート。

2007年7月、「ルーブルを世界基軸通貨に」とプーチンが発言。

 

 

■ 崩壊して行くドル体制

ドル基軸通貨体制への反旗を翻したフセインは殺された。

しかし、「中ロ同盟」が反旗を翻したことで、他国も追随しやすくなった。

通貨ユーロは順調に取引量を増大させ、

2006年12月末、遂に、流通量で米ドルを超えた。

そして、2007年、

中東における反米の砦イランが、原油のドル決済を中止。

これを見て、湾岸協力会議(GCC)=サウジアラビア、クウェート、UAE

は、2010年に通貨統合したいと表明。

南米共同体も、東アフリカ共同体も、

次々に、共通通貨導入を表明。

 

 

■     プーチンの引退とメドベージェフの登場

2008年、プーチン大統領2期目の終り。

ロシアは空前の好景気に涌いていた。

しかし、ロシア憲法は、大統領を2期までしか認めていない。

「統一ロシア」の議席数と人気からすると、憲法改正も可能だったが、

プーチンは、自分の子飼いのメドベージェフに大統領の座を禅譲した。

メドベージェフには、バックがなかったので、

プーチンの言いなりだった。

プーチンは、首相として、采配をふるうことになる。

 

・・・・・・・・

 

以上が、「第2章」の要約です。

 

引き続き、3章、4章と、要約して行きます。

 

今回は、以上です。

それではまた。

 

 

前投稿の続きです。

では、

北野幸伯著「プーチン最後の聖戦」を具体的に見て行きます。

 

 

目次

はじめに

第1章    神への道

プーチンはいかにしてロシアの絶対権力者になったのか?

・スパイを夢見た少年

・諜報員として冷戦の最前線へ

・ゴルバチョフ時代のソ連とは

・30歳代後半から驚異のスピード出世

・「バウチャー」という紙切れが生んだ、凄まじい格差社会

・ユダヤ系新興財閥(成金軍団)が台頭し、ロシア経済を支配

・「クレムリンのゴッドファーザー」ベレゾフスキーとは

・FSB長官プーチン、ベレゾフスキーに接近

・いよいよ首相の座へ

・大統領プーチン、国内統治に向けて「革命的な大改革」

・新興財閥の大物、グシンスキーを排除

・プーチン支持だったベレゾフスキーも反プーチンへ

・プーチン、いっせいに新興財閥狩りを開始

・ベレゾフスキーの敗北

・プーチン、新興財閥軍団をついに支配下に

・新興財閥軍団は、最初からKGBにハメられていた

・ロシア下院支配へ

・天然ガス世界最王手、ガスプロムを支配

・プーチン以前、完全崩壊していたロシア経済

・デフォルトを行った1998年、ロシア経済は転換点に

・プーチンとロシア経済に吹いた原油高の「神風」

・プーチン、三つの経済改革を断行

・大幅減税で、巨大な「ロシア地下経済」が表に

・エリツィン時代とプーチン時代、これほどの違い

 

第2章    米ロ新冷戦

プーチンはいかにアメリカを没落させたのか?

・プーチンのアメリカ嫌い

・ソ連時代の徹底した反米教育

・冷戦の敗北

・アメリカが破産しない理由

・基軸通貨ドルのさまざまな特権

・米ソ冷戦後の欧州の反逆

・フセインの「核」爆弾

・外交における理想主義と現実主義

・アフガン戦争とプーチン外交

・米・ブッシュとロシア・プーチンの短い蜜月

・イラク戦争と石油

・プーチン、反米にシフト

・アメリカ没落の始まりとなった、ロシア「ユコス事件」

・ホドルコフスキーが犯した5つの大罪

・プーチン、遂に世界の支配者に宣戦布告

・石油は常に戦争と結びついている

・アメリカの「石油枯渇」が近づいている?

・アメリカは、資源の大宝庫、カスピ海を狙う

・グルジアのバラ革命はなぜ起こったか

・バラ革命はアメリカの革命だった

・プーチン、二期目の大統領選で圧勝

・ウクライナでオレンジ革命が成功

・キルギスでもチューリップ革命が成功

・チューリップ革命もアメリカの革命だった

・アメリカの革命、ウズベキスタンでの失敗

・なぜアメリカ画策の「カラー革命」は止まったのか?

・プーチン、アメリカとの「血戦」を選択

・プーチン、仮想敵国・中国との同盟を決意

・ロシアと中国、「上海協力機構」を反米の砦化

・プーチンの逆襲にいらだつアメリカ

・2006年、プーチン、ドル崩壊への歴史的決断

・プーチンの引退とメドベージェフの登場

 

第3章    休戦

米ロはなぜ和解したのか?

・この章を読まれる前に

・ルーズベルトにハメられて、負けいくさに突入した日本

・2008年に起きたロシア・グルジア戦争の真相

・欧米のプロパガンダに騙される「平和ボケ」の日本人

・ロシアとの戦争で得るものがなかったグルジア

・2008年9月、世界的経済危機の始まり

・リーマンショック後、「アメリカ一極世界」は遂に終焉した

・オバマ大統領誕生の意味

・一極世界から多極世界へ

・アメリカ、自身の没落を認める

・中国、「世界共通通貨」導入の提案

・浮上する中国

・プーチン、「想定内」の危機と「想定外」の危機

・オバマとメドベージェフによる、米ロ関係「再起動」

・米ロ「再起動」の更なる進展

・メドベージェフ、アメリカの訪問で一定の外交成果

・悪化する米中関係

・暴走中国のレアアースショック、世界に走る

・プーチンとメドベージェフの危うい確執

・欧米の本当の怖さを知らないメドベージェフ

・「神」、プーチンの帰還

 

第4章    最終決戦

プーチンはどうやってアメリカに「とどめを刺す」のか?

・いまという時代

・世界の歴史は「覇権争奪戦」である

・「現実主義」から見る米中関係の今後

・ルーズベルトの影を追うオバマ

・リビアの次に、アメリカはシリアを狙う?

・イラン攻撃の真因は「核兵器開発」ではない

・対イラン戦争は、アメリカの国益に完璧に合致している

・プーチンはメドベージェフの「米英追随外交」に転換する

・イラン戦争が起これば、ロシアにも利益がある

・反プーチン・デモの黒幕はアメリカか?

・今のロシア国民の不満とは?

・アメリカ国務省とロシア国民の関係

・これから、プーチンは何をめざすのか

・プーチンは、遂にアメリカにトドメを刺す

・近い将来、ドル暴落とインフレがアメリカを襲う

・エネルギー革命が起これば、アメリカ復活も

 

おわりに

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

目次は以上です。

 

それでは、本文を見て行きましょう。

 

■「はじめに」  

北野氏は、

2012年の時点での

「アメリカの覇権の没落状況」は、

プーチン大統領が果たした役割大だ、と言います。

いや違う、アメリカが馬鹿なので、自分で自滅して来たのだ、

という反論があります。

しかし、「一極覇権主義」のアメリカは、

プーチン大統領側の「多極主義陣営」から攻撃を受けて

没落させられた、という側面が大きい、

と北野氏は言います。

 

2002年、

「一極覇権主義」の「米国&英国」が

イラク戦争を強行し、

それに反対した4つの国

「ドイツ・フランス・中国・ロシア」

 

ネオコンのブッシュJRは、イラクの石油利権を強奪したあと、

「ロシアの石油利権の支配」も狙いに動くも、

それを、プーチンが断固阻止しました。

ロシアはチャイナと同盟することで、

「アメリカ幕府打倒」に動き、

アメリカの「一極覇権主義」を終わらせるだろう!

なので、

アメリカにトドメを刺すプーチンの歩みを

じっくり辿って行きましょう。と。

 

第1章    神への道

プーチンはいかにしてロシアの絶対権力者になったのか?

 

■     スパイを夢見た少年

ソ連のテレビでは、諜報員がスーパーヒーローとして描かれていた。

プーチンはそれを見て、スーパーヒーローになりたい、と憧れた。

そして、14歳の時に、KGBの支部に行き、どうすればKGBに入れるか、

聞き出したプーチン。

その答えは、

スポーツで身体を鍛える、法学部出身であること、思想で問題を持たない等々。

そして、その教え通り、柔道に打ち込み、

高校では首席で卒業し、

ロシアでランキング2位の名門レニングラード大学法学部に合格。

(半蔵門補注・・・この記事の最後に挿入した伊藤貫氏の動画に

プーチンの人柄と歩みの言及があります。)

 

 

■     諜報員として冷戦の最前線へ

KGBに入ると、当時、「米ソ冷戦の最前線」であったドイツの

ドレスデンに配属された。

(半蔵門補注・・アニメ「スパイ×ファミリー」の設定の如く)

 

プーチンは、ドイツで、「ベルリンの壁崩壊」と、

「東西ドイツの統一」という大イベントを

目の当たりにする。そして、

38歳のプーチンは、ソ連レニングラードに呼び戻される。

 

 

■     ゴルバチョフ時代のソ連とは

当時の首都モスクワは、バスの中で、笑顔の人が誰もいない。

自動車の数が少ない。道路が一日中スカスカ。食料品店には

2時間の行列。店内は何もなく、スカスカ。

北野氏は、大学の寮に入ったが、洗濯機すらもない。洗濯は手洗い。

テレビは白黒。

 

 

■     30歳代後半から驚異のスピード出世

プーチンはレニングラードに戻ると、KGBに辞表を出した。

1991年6月

大学の恩師サプチャークがレニングラード市長に当選。

プーチンは、レニングラード市の対外関係委員会議長に就任。

(市に海外投資を呼び込む仕事)

 

ソ連崩壊で、ロシアに戻ったことで、

レニングラード市は、サンクトペテルブルグ市に改名

プーチンは、副市長(複数人数いる)に就任(40歳)

1994年に

第一副市長(副市長のトップ)に昇進(42歳)

しかし

1996年

恩師サプチャークが市長選で落選。

プーチンも役職を辞任。

 

(しかし、行政事務処理能力は伝説的になっており)

すると、ロシア大統領府がプーチンを呼び寄せ

総務局次長に任命した。

その後、

1997年3月、大統領府副長官に就任

1998年5月、大統領府の第一副長官に就任(45歳)

1998年7月、KGBの後身(ロシア連邦保安庁)FSB長官に就任

あれよあれよ、という間に、

プーチンは「ロシア全諜報員のトップ」に立ってしまった。

プーチン45歳

 

 

■     「バウチャー」という紙切れが生んだ、凄まじい格差社会

プーチンは翌年46歳で、「ロシア連邦政府の首相」に任命された。

どうして、こんなにスピード出世なのか?

「ソ連崩壊」したのが1991年12月。

経済ボロボロ。膨大な財政赤字。

新生ロシア初代大統領エリツィンは、国際通貨基金(IMF)から

226億ドルの借金をした。

財政赤字解消のために、IMF指導のもと、構造改革に取り組むことに。

IMFの勧告(実質・命令)「大規模な民営化をせよ」と。

 

すべてが「国有資産」であったソ連時代。

これを民営化する?

その方法が「バウチャー方式」だった。

 

「バウチャー」とは「民営化証券」とも言われ、

「民営化された会社の株券と交換できる権利証券」だった。

これをロシア全国民に無料で配布した。

一見、平等な分配。

しかし、たとえば、ソ連時代の「ガスプロム」などの国有石油会社が

民営化される。その保有株式証券は、「バウチャー」券でばらまかれている。

つまり、この「バウチャー券」をかき集めた者が、

「ガスプロムの所有者」になれる、という仕組みだった! 

 

ソ連時代を生きてきた一般国民にとっては、

全く意味がわからない二束三文の「バウチャー」券。

それに対して、

「ウォッカ1本と、交換してくれ」と、もちかけ、

「手持ち資金がある者たち」が、「全国民のバウチャー」券をかき集めた。

こうして、新興財閥(オリガルヒ)が誕生したのだ。

 

(半蔵門補注・・・この時、新生ロシアの経済を牛耳ることになった

新興財閥は「なりすましユダヤ人たち」であり、彼らのバックには、

英国諜報部が付いていました。

つまり、彼らを通して、英国がロシアを牛耳る作戦です。)

 

1995年、ハイパーインフレに突入していたロシア。

民営化によって、ロシアに「私有の銀行家」が多数誕生した。

そして、ロス茶のお得意芸、個人にお金を貸すのではなく、

「政府に高利でお金を貸す」という「金融の勝利の方程式」を発動させた。

オリガルヒの「私有銀行」は、ロシア政府にお金を貸す見返りに

政府国有資産を担保として差し出すように言い、

結局、返済できないことで、

ロシアの石油や鉄鋼部門などのドル箱部門が

次々に「彼らの私有」になっていった、という経緯。

 

ユダヤ系ロシア人ホドルコフスキーは

自身の「メナテップ銀行」を使って、

「石油会社ユコス」を300億円で取得し、

2003年、彼は、ユコスの時価総額を3兆円にまで増やした。

こうして、

ロシアの「金融と資源」を私有支配する「新興財閥オリガルヒ」が誕生した。

 

 

■     「ユダヤ系新興財閥(成金軍団)が台頭し、ロシア経済を支配」

ソ連崩壊後の5年間で、1997年、

民営企業はロシアの75%となり、労働者の8割は民営企業で

働く状態になった。

これはすなわち、

「7人の新興財閥がロシアの富の半分を支配している」

(ベレゾフスキーの言葉)状態であった。

7人とは、

ベレゾフスキー、アブラモビッチ、ピョートル・アヴェン、

ミハイル・フリードマン、グシンスキー、ホドルコフスキー、

ボターニン、の7人。

ボターニン以外は、ユダヤ系。

 

ベレゾフスキーは、エリツィンが心臓を患っていたので、

後任の傀儡を探していた。そして、ピックアップしたのが、

プーチンだった。

(プーチンが、巧妙にベレゾフスキーに取り入ったのだ)

 

 

■     「クレムリンのゴッドファーザー」ベレゾフスキーとは

ボリス・ベレゾフスキーは新興財閥の帝王。

モスクワ林業技術大学卒業。応用数学博士。

ソ連時代から、「ジーンズ」の製造販売で商才を発揮。

その後、自動車販売会社「ロゴバス」を始め、

ベンツの公認ディーラーにもなり、ソ連崩壊後、

民放テレビ局「TV6」を買収。メディアを次々買収。

石油会社「シブネフチ」買収。銀行も買収。

 

エリツィンは、ロシア経済崩壊の張本人として、世間の評判は最悪で、

再選の望みは薄かったが、

オリガルヒは、共産党のジュガーノフが大統領選に勝つのを許容できない。

そこで、オリガルヒたちは、一丸となって、

メディアでエリツィン推しキャンペーンを実施して、

視聴者を誘導洗脳し、「共産党ヤバイ」と言い、

見事、エリツィンは再選を果たした。

その褒美として、エリツィンから、

ベレゾフスキーはCIS(独立国家共同体)執行書記に

任じられた。

 

 

■     FSB長官プーチン、ベレゾフスキーに接近

1998年8月、キリエンコ首相の時に、

ロシアは経済悪化のために、「デフォルト宣言」

その大惨事のために、キリエンコ首相は解任され、

替わりに、プリマコフが首相に就任。

プリマコフは、KGBの大物でプーチンの大先輩だった。

 

(半蔵門補注・・・これが、KGBの中の「祖国第一主義」派による

DS勢力からの「祖国奪還」「巻き返し」のスタートだった。)

 

プリマコフ首相と、スクラトフ検事総長が、

ベレゾフスキーを追い込んで行く。

この時、FSB長官はプーチン。

(半蔵門補注・・・プリマコフとプーチンの「挟み打ち戦略」)

 

プリマコフ首相に追い詰められていたベレゾフスキー。

ベレゾフスキーの妻の誕生日パーティーの日に、突如、

FSB長官プーチンが花束を持って現れ、

「あなたの潔白を私は知っている」と甘い言葉をかけた。

 

これで、ベレゾフスキーは、プーチンを傀儡に立てようと

考え始めた。

その後、試すように、プーチンに「大統領になりたいか?」

と尋ねるが、プーチンは、「ノーノー、私は、そんな柄ではない」

「私は・・・・・ベレゾフスキーになりたい」

と、更に甘い言葉の決めゼリフを述べた。

これで、ベレゾフスキーは、プーチンを自分の傀儡大統領にする決意を

した、と言われる。

 

 

■     いよいよ首相の座へ

ベレゾフスキーはエリツィンを操れる。

エリツィンは、プリマコフ首相とスクラトフ検事総長を解任。

1999年8月、プーチンを首相に任命します。

1999年12月、ロシア下院選挙。

ベレゾフスキーの政党「統一」は2位に躍進。

同年12月31日、エリツィンが心臓を理由に辞任。

プーチンが大統領代行に就任。

2000年3月の大統領選挙で、

プーチンが圧倒的な支持を得て、大統領に当選。

 

 

■     大統領プーチン、国内統治に向けて「革命的な大改革」

大統領就任式は、2000年5月。

プーチンは、大統領にすると同時に、

ロシア連邦の行政システムの「革命的な大改革」に着手。

「超強力なワンマン独裁体制」を構築した。

「89の連邦構成体」を7分割して、

7つの「ロシア連邦管区」に振り分け、

連邦管区の長には、「大統領全権代表」が就任。

当初、7つの連邦管区うち、5つはロシア軍の将軍が就任した。

そして、「知事は、上院議員にはなれない」とした。

知事は、連邦政府に任免権限があり、解任できるようにした。

汚職知事をパージするためだった。

 

こうして、

「プーチン大統領に紐付く中央集権体制化」を成功させた。

 

 

■     新興財閥の大物、グシンスキーを排除

次に、プーチン大統領は、

反プーチン政党「祖国・全ロシア」を支援している

オリガルヒ、ロシアのメディア王のグシンスキーの

排除に動いた。

グシンスキーは、「世界ユダヤ人会議」の副議長もやっている

シオニスト。

 

プーチンは、横領・詐欺容疑で、グシンスキーを逮捕。

3日後釈放されるが、

グシンスキーはスペインに脱出。亡命生活となる。

グシンスキーのメディア「NTV」は、プーチン側である

大手石油会社「ガスプロム」が買収した。

 

 

■     プーチン支持だったベレゾフスキーも反プーチンへ

ベレゾフスキーは、プーチンの中央集権化の大構造改革に反対で、

「プーチンは独裁の道を歩んでいる」と批判して、

公開質問状を出して批判する事態に。

猫のふりをしてベレゾフスキーに取り入ったプーチンだが、

ベレゾフスキーによるプーチン批判に対して大激怒。

 

 

■     プーチン、いっせいに新興財閥狩りを開始

2000年7月、

ロシア検察が、オリガルヒ関連会社の一斉取締りに動いた。

家宅捜索、脱税容疑の逮捕や告訴。

 

2000年7月26日

プーチン大統領は、ビビるオリガルヒたち20人以上を招集して、

彼らと「歴史的な会談」をテレビ放送の公開の場で実施。

「君たちに対する検察の取締りは、自分とは全く関係がない」と言い、

「自分たちがやっていることが正しいと思うなら、法廷で証明しろ」

と言い放った。

オリガルヒが「司法改革が必要ではないかと・・」とオロオロしながら

反論するも、

「そんなもん、優先課題じゃねぇんだよ!!」と一蹴。

このやりとりの一部始終が放送され、

プーチン大統領の支持率は、爆上がりすることに。

 

 

■     ベレゾフスキーの敗北

ベレゾフスキーは、49%の株式を持つテレビ局「ORT」

を使って、「反プーチン報道」を開始。

そんな折り、2000年8月12日、

ロシア原子力潜水艦クルスク沈没事件が発生。

プーチンは保養地ソチで休暇中。

プーチンは一週間後にモスクワに現れた。

その間、プーチン批判のテレビ番組が放映されていた。

モスクワに現れたプーチンは、

ベレゾフスキーにテレビ局「ORT」を手放すように言った。

ベレゾフスキーは「どうしてこんなことをするんだ」と恨み言を

言うのがせいぜいで、

アブラモビッチにこれを売却することに(渋々)同意。

ベレゾフスキーは、英国に脱出した。(英国諜報部の庇護の下に)

 

 

■     プーチン、新興財閥軍団をついに支配下に

その他のオリガルヒたちは、「こりゃー、あかん」と、

2001年2月14日に、

「降参宣言」の「反省文」を提出して、

「今後一切、政治には口出し致しません」という約束をして、

プーチンに対する敗北を認めることになった。

そして同時期、

「ロシアユダヤ人会議」の会長だったグシンスキーは

海外にいることを理由に同会議の会長を辞任。

「ロシアユダヤ人会議」も、「今後、政治に言及することはありえない」

との声明を発表した。

 

これらの2大勢力が、

政治への口出しをやめ、プーチンに屈伏した瞬間だった。

 

 

■     新興財閥軍団は、最初からKGBにハメられていた

(半蔵門補注・・・KGBには「愛国良識派」の「良いKGB派」がいた。

それが、プリマコフやプーチンだった。)

ベレゾフスキーは、プリマコフとプーチンの連繋プレイに騙されたのだ。

ベレゾフスキーを追い込むプリマコフ。

救いの手をさしのべるプーチン。

ヤクザが、一人に女性を襲わせて、もう一人が助けに行く、という

アレと同じ方法だった。

また、

プーチンは、「政府への潜入任務を完了した」とも語っていた、と。

 

エリツィンによって首相を解任されたプリマコフは、

その後も、失脚することなく、プーチンから深い信任を得て、

イラク・フセインへの「辞任勧告」の特使の任務も任された。

(つまり、二人は繋がっている)

 

 

■     ロシア下院支配へ

プーチン大統領の残るターゲットは、

ロシアの下院だった。この時点では、下院の第一党は、共産党だった。

ゆえに、

第二政党と第三政党を糾合させることで、第一党に躍り出るように

工作をした。

2001年12月、

「統一」と「祖国・全ロシア」が合併。

「統一ロシア」誕生。

これにより、下院支配も達成された。

 

 

■     天然ガス世界最王手、ガスプロムを支配

プーチン大統領は、1~3を終えて、

1.オリガルヒを屈伏させた

2.議会を支配した

3.マスコミも手中に収めた

4.経済活動の支配に着手

しました。

天然ガス資源の埋蔵量世界一のロシア。

それを1社が運営管理する。それが「ガスプロム」

ソ連時代から「ガス工業大臣」であったチェルノムイジンが

「ガスプロム」社を私物化し、ロシアの中でも、治外法権的に

好き勝手やっていて、税金も支払わなかった。

二代目社長ヴャヒレフ。

「ガスプロム」は半官半民なのだが、政府株40%のうち

35%はヴャヒレフが私物化している。

これに対して、ネムツォフ第一副首相が巨額脱税を問題化。

 

プーチン大統領は、ヴャヒレフの任期更新日の

2001年5月31日の前日に、ヴャヒレフと3人の取締役が

プーチンのもとに呼ばれ、「クビ」を宣告された。

そして、プーチンの腹心であるミレル氏が「ガスプロム」社長に就任。

その後、ミレル氏は、経済運営に優秀で、「ガスプロム」社を大きく成長させ、

しっかりと税金を国家に支払うことで、公務員の給料もロシア政府は

しっかり支払うことができるようになった。

 

 

■     プーチン以前、完全崩壊していたロシア経済

プーチン以前のロシア経済は、欧米の傀儡であるエリツィンによって

食い物にされており、ロシア人の平均寿命が10歳以上下がるほど、

病気・自殺その他、ロシア人は塗炭の苦しみをなめていた。

しかし、プーチン大統領による強力なリーダーシップにより、

ロシア経済は、V字回復を遂げる。

ソ連崩壊で、自由主義陣営に参画したロシアは、

いきなり、市場を開放してしまった。

ソ連時代の産業で、西側資本主義陣営の製品にコスト的・性能的に

勝てる商品などなかったので、ロシアの製品は売れなくなり、

ロシアの産業は壊滅的になってしまった。

そして、高騰するハイパーインフレ。

1000万円の貯金が38万円相当の価値しかなくなってしまう世界。

 

 

■     デフォルトを行った1998年、ロシア経済は転換点に

1998年8月17日、ロシア「デフォルト宣言」

「対外債務90日間支払い停止」

ここが、ロシアの経済的な「大底」だった。

(まだ、プーチン大統領登場以前なので)

以降のV字回復については、

KGBの大物だったプリマコフ首相の手腕による所が大きい。

2つの政策を実施。

1.徴税の強化(大会社の脱税を許さない)

2.外貨売り上げの75%をルーブルに交換することを義務付け。

これで、

一カ月で、1ドル=6ルーブル が

1ドル=16ルーブル

周辺までの下落で、なんとかブレーキをかけて、持ち直した。

インフレの価値下落を完全に止めることはできずとも、

順調に、数カ月で経済安定化に成功した。

 

 

■     プーチンとロシア経済に吹いた原油高の「神風」

2000年、プーチン大統領が誕生。

ロシアは、世界第二位の原油輸出大国。

当時、ルーブルの価値の下落は進行しており、

1ドル=28ルーブル

まで、下落していた。(ルーブル安)

この「ルーブル安」と「原油価格の高騰」が経済成長を

促した。

ロシア国民は、安いルーブルで高額化した輸入品を買えずに

国内製品を購入する動機となった。

国内企業が息を吹き返す。

輸出企業は、ルーブル安の恩恵で、コスト的に国際競争力が付き、

輸出販売が好調となり、輸出増加。

ロシアの輸出量は前年比40%増し。

ロシアになって、「初の財政黒字」達成!

経済成長率10%を達成!!

こうして、ロシア国民にとって、

「プーチンは(救いの)神」となった。

 

 

■     プーチン、三つの経済改革を断行

1.土地の私有と売買の自由化

2.「税制改革」~所得減税&法人税減税

 

2001年10月「土地基本法」で、一部の土地売買自由化。

2001年、国民の所得税を一律13%固定にしてしまった。

2002年、法人税を35%から24%へと、11%もの減税を実施。

 

 

■     大幅減税で、巨大な「ロシア地下経済」が表に

ソ連崩壊で、弾圧されていた「ロシア正教」が大復興。

ロシアになっても、庶民は、所得の申告を実際の

20%程度でしか申告せず、所得税もそれ相当でしか支払って

いなかった。

こうして、ロシア地下経済は、全体の50%を占めるような状態

だった。

しかし、減税効果と脱税取締り強化で、

庶民も納税をちゃんとやるようになり、

ロシア政府の財政は黒字が積み上がるようになった。

 

 

■     エリツィン時代とプーチン時代、これほどの違い

・下院

エリツィン時代は、共産党が第一党

プーチン時代は、統一ロシアが第一党

 

・上院と地方の首長

エリツィン時代は、地方の首長が上院議員を兼務して

強大な権力を持ち、悪代官さながらの賄賂汚職まみれだった。

プーチン時代は、上院議員兼務禁止と首長の任免権がクレムリンなので

首長は、中央の言うことを聞くようになった。

 

・オリガルヒ

エリツィン時代は、大統領と癒着して莫大な利益をあげていた。

プーチン時代は、オリガルヒがプーチンに屈伏し、脱税せずに、

法人税をちゃんと支払うようになったことで、政府は財政黒字化達成。

 

・マスコミ

エリツィン時代は、オリガルヒの所有物

プーチン時代は、3大テレビ局を支配。

 

・経済

エリツィン時代は、強烈なマイナス成長を続け

最後にはデフォルト宣言。経済ボロボロ。

プーチン時代は、いきなり経済成長率10%達成。

以降、毎年、7%成長を8年間。

 

・政権支持率

エリツィン時代は、ひどい政策のために、支持率は急降下し

政権末期には、0.5% しかなかった。

プーチン時代は、50%以上の支持率からスタートし、

経済再建成功で、支持率は70%オーバーを維持。

 

しかし、プーチンを倒すべく

ミハイル・ホドルコフスキーが米英DS勢力と結託することで

ロシアを我が物にしようと画策していた。

これは、

世界統一覇権を目論む支配者層勢力(今で言うDS)

VS

愛国良心派KGB軍団

の代理戦争でもあった、と北野氏は書いています。

 

・・・・・・・・

 

以上が、「第一章」の要約です。

 

最後に、伊藤貫氏が、「ウクライナ事変」に関する最新の見解を

述べており、的確なので、その動画を挿入しておきます。

プーチンのひととなりを後半で語っており、必聴です。

動画再生速度1.75倍で、充分に聴けるので、速く視聴できます。

 

 

2章以降も、要約紹介して行きます。

 

今回は以上です。

それではまた。