前投稿の続きです。

では、

北野幸伯著「プーチン最後の聖戦」を具体的に見て行きます。

 

 

目次

はじめに

第1章    神への道

プーチンはいかにしてロシアの絶対権力者になったのか?

・スパイを夢見た少年

・諜報員として冷戦の最前線へ

・ゴルバチョフ時代のソ連とは

・30歳代後半から驚異のスピード出世

・「バウチャー」という紙切れが生んだ、凄まじい格差社会

・ユダヤ系新興財閥(成金軍団)が台頭し、ロシア経済を支配

・「クレムリンのゴッドファーザー」ベレゾフスキーとは

・FSB長官プーチン、ベレゾフスキーに接近

・いよいよ首相の座へ

・大統領プーチン、国内統治に向けて「革命的な大改革」

・新興財閥の大物、グシンスキーを排除

・プーチン支持だったベレゾフスキーも反プーチンへ

・プーチン、いっせいに新興財閥狩りを開始

・ベレゾフスキーの敗北

・プーチン、新興財閥軍団をついに支配下に

・新興財閥軍団は、最初からKGBにハメられていた

・ロシア下院支配へ

・天然ガス世界最王手、ガスプロムを支配

・プーチン以前、完全崩壊していたロシア経済

・デフォルトを行った1998年、ロシア経済は転換点に

・プーチンとロシア経済に吹いた原油高の「神風」

・プーチン、三つの経済改革を断行

・大幅減税で、巨大な「ロシア地下経済」が表に

・エリツィン時代とプーチン時代、これほどの違い

 

第2章    米ロ新冷戦

プーチンはいかにアメリカを没落させたのか?

・プーチンのアメリカ嫌い

・ソ連時代の徹底した反米教育

・冷戦の敗北

・アメリカが破産しない理由

・基軸通貨ドルのさまざまな特権

・米ソ冷戦後の欧州の反逆

・フセインの「核」爆弾

・外交における理想主義と現実主義

・アフガン戦争とプーチン外交

・米・ブッシュとロシア・プーチンの短い蜜月

・イラク戦争と石油

・プーチン、反米にシフト

・アメリカ没落の始まりとなった、ロシア「ユコス事件」

・ホドルコフスキーが犯した5つの大罪

・プーチン、遂に世界の支配者に宣戦布告

・石油は常に戦争と結びついている

・アメリカの「石油枯渇」が近づいている?

・アメリカは、資源の大宝庫、カスピ海を狙う

・グルジアのバラ革命はなぜ起こったか

・バラ革命はアメリカの革命だった

・プーチン、二期目の大統領選で圧勝

・ウクライナでオレンジ革命が成功

・キルギスでもチューリップ革命が成功

・チューリップ革命もアメリカの革命だった

・アメリカの革命、ウズベキスタンでの失敗

・なぜアメリカ画策の「カラー革命」は止まったのか?

・プーチン、アメリカとの「血戦」を選択

・プーチン、仮想敵国・中国との同盟を決意

・ロシアと中国、「上海協力機構」を反米の砦化

・プーチンの逆襲にいらだつアメリカ

・2006年、プーチン、ドル崩壊への歴史的決断

・プーチンの引退とメドベージェフの登場

 

第3章    休戦

米ロはなぜ和解したのか?

・この章を読まれる前に

・ルーズベルトにハメられて、負けいくさに突入した日本

・2008年に起きたロシア・グルジア戦争の真相

・欧米のプロパガンダに騙される「平和ボケ」の日本人

・ロシアとの戦争で得るものがなかったグルジア

・2008年9月、世界的経済危機の始まり

・リーマンショック後、「アメリカ一極世界」は遂に終焉した

・オバマ大統領誕生の意味

・一極世界から多極世界へ

・アメリカ、自身の没落を認める

・中国、「世界共通通貨」導入の提案

・浮上する中国

・プーチン、「想定内」の危機と「想定外」の危機

・オバマとメドベージェフによる、米ロ関係「再起動」

・米ロ「再起動」の更なる進展

・メドベージェフ、アメリカの訪問で一定の外交成果

・悪化する米中関係

・暴走中国のレアアースショック、世界に走る

・プーチンとメドベージェフの危うい確執

・欧米の本当の怖さを知らないメドベージェフ

・「神」、プーチンの帰還

 

第4章    最終決戦

プーチンはどうやってアメリカに「とどめを刺す」のか?

・いまという時代

・世界の歴史は「覇権争奪戦」である

・「現実主義」から見る米中関係の今後

・ルーズベルトの影を追うオバマ

・リビアの次に、アメリカはシリアを狙う?

・イラン攻撃の真因は「核兵器開発」ではない

・対イラン戦争は、アメリカの国益に完璧に合致している

・プーチンはメドベージェフの「米英追随外交」に転換する

・イラン戦争が起これば、ロシアにも利益がある

・反プーチン・デモの黒幕はアメリカか?

・今のロシア国民の不満とは?

・アメリカ国務省とロシア国民の関係

・これから、プーチンは何をめざすのか

・プーチンは、遂にアメリカにトドメを刺す

・近い将来、ドル暴落とインフレがアメリカを襲う

・エネルギー革命が起これば、アメリカ復活も

 

おわりに

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

目次は以上です。

 

それでは、本文を見て行きましょう。

 

■「はじめに」  

北野氏は、

2012年の時点での

「アメリカの覇権の没落状況」は、

プーチン大統領が果たした役割大だ、と言います。

いや違う、アメリカが馬鹿なので、自分で自滅して来たのだ、

という反論があります。

しかし、「一極覇権主義」のアメリカは、

プーチン大統領側の「多極主義陣営」から攻撃を受けて

没落させられた、という側面が大きい、

と北野氏は言います。

 

2002年、

「一極覇権主義」の「米国&英国」が

イラク戦争を強行し、

それに反対した4つの国

「ドイツ・フランス・中国・ロシア」

 

ネオコンのブッシュJRは、イラクの石油利権を強奪したあと、

「ロシアの石油利権の支配」も狙いに動くも、

それを、プーチンが断固阻止しました。

ロシアはチャイナと同盟することで、

「アメリカ幕府打倒」に動き、

アメリカの「一極覇権主義」を終わらせるだろう!

なので、

アメリカにトドメを刺すプーチンの歩みを

じっくり辿って行きましょう。と。

 

第1章    神への道

プーチンはいかにしてロシアの絶対権力者になったのか?

 

■     スパイを夢見た少年

ソ連のテレビでは、諜報員がスーパーヒーローとして描かれていた。

プーチンはそれを見て、スーパーヒーローになりたい、と憧れた。

そして、14歳の時に、KGBの支部に行き、どうすればKGBに入れるか、

聞き出したプーチン。

その答えは、

スポーツで身体を鍛える、法学部出身であること、思想で問題を持たない等々。

そして、その教え通り、柔道に打ち込み、

高校では首席で卒業し、

ロシアでランキング2位の名門レニングラード大学法学部に合格。

(半蔵門補注・・・この記事の最後に挿入した伊藤貫氏の動画に

プーチンの人柄と歩みの言及があります。)

 

 

■     諜報員として冷戦の最前線へ

KGBに入ると、当時、「米ソ冷戦の最前線」であったドイツの

ドレスデンに配属された。

(半蔵門補注・・アニメ「スパイ×ファミリー」の設定の如く)

 

プーチンは、ドイツで、「ベルリンの壁崩壊」と、

「東西ドイツの統一」という大イベントを

目の当たりにする。そして、

38歳のプーチンは、ソ連レニングラードに呼び戻される。

 

 

■     ゴルバチョフ時代のソ連とは

当時の首都モスクワは、バスの中で、笑顔の人が誰もいない。

自動車の数が少ない。道路が一日中スカスカ。食料品店には

2時間の行列。店内は何もなく、スカスカ。

北野氏は、大学の寮に入ったが、洗濯機すらもない。洗濯は手洗い。

テレビは白黒。

 

 

■     30歳代後半から驚異のスピード出世

プーチンはレニングラードに戻ると、KGBに辞表を出した。

1991年6月

大学の恩師サプチャークがレニングラード市長に当選。

プーチンは、レニングラード市の対外関係委員会議長に就任。

(市に海外投資を呼び込む仕事)

 

ソ連崩壊で、ロシアに戻ったことで、

レニングラード市は、サンクトペテルブルグ市に改名

プーチンは、副市長(複数人数いる)に就任(40歳)

1994年に

第一副市長(副市長のトップ)に昇進(42歳)

しかし

1996年

恩師サプチャークが市長選で落選。

プーチンも役職を辞任。

 

(しかし、行政事務処理能力は伝説的になっており)

すると、ロシア大統領府がプーチンを呼び寄せ

総務局次長に任命した。

その後、

1997年3月、大統領府副長官に就任

1998年5月、大統領府の第一副長官に就任(45歳)

1998年7月、KGBの後身(ロシア連邦保安庁)FSB長官に就任

あれよあれよ、という間に、

プーチンは「ロシア全諜報員のトップ」に立ってしまった。

プーチン45歳

 

 

■     「バウチャー」という紙切れが生んだ、凄まじい格差社会

プーチンは翌年46歳で、「ロシア連邦政府の首相」に任命された。

どうして、こんなにスピード出世なのか?

「ソ連崩壊」したのが1991年12月。

経済ボロボロ。膨大な財政赤字。

新生ロシア初代大統領エリツィンは、国際通貨基金(IMF)から

226億ドルの借金をした。

財政赤字解消のために、IMF指導のもと、構造改革に取り組むことに。

IMFの勧告(実質・命令)「大規模な民営化をせよ」と。

 

すべてが「国有資産」であったソ連時代。

これを民営化する?

その方法が「バウチャー方式」だった。

 

「バウチャー」とは「民営化証券」とも言われ、

「民営化された会社の株券と交換できる権利証券」だった。

これをロシア全国民に無料で配布した。

一見、平等な分配。

しかし、たとえば、ソ連時代の「ガスプロム」などの国有石油会社が

民営化される。その保有株式証券は、「バウチャー」券でばらまかれている。

つまり、この「バウチャー券」をかき集めた者が、

「ガスプロムの所有者」になれる、という仕組みだった! 

 

ソ連時代を生きてきた一般国民にとっては、

全く意味がわからない二束三文の「バウチャー」券。

それに対して、

「ウォッカ1本と、交換してくれ」と、もちかけ、

「手持ち資金がある者たち」が、「全国民のバウチャー」券をかき集めた。

こうして、新興財閥(オリガルヒ)が誕生したのだ。

 

(半蔵門補注・・・この時、新生ロシアの経済を牛耳ることになった

新興財閥は「なりすましユダヤ人たち」であり、彼らのバックには、

英国諜報部が付いていました。

つまり、彼らを通して、英国がロシアを牛耳る作戦です。)

 

1995年、ハイパーインフレに突入していたロシア。

民営化によって、ロシアに「私有の銀行家」が多数誕生した。

そして、ロス茶のお得意芸、個人にお金を貸すのではなく、

「政府に高利でお金を貸す」という「金融の勝利の方程式」を発動させた。

オリガルヒの「私有銀行」は、ロシア政府にお金を貸す見返りに

政府国有資産を担保として差し出すように言い、

結局、返済できないことで、

ロシアの石油や鉄鋼部門などのドル箱部門が

次々に「彼らの私有」になっていった、という経緯。

 

ユダヤ系ロシア人ホドルコフスキーは

自身の「メナテップ銀行」を使って、

「石油会社ユコス」を300億円で取得し、

2003年、彼は、ユコスの時価総額を3兆円にまで増やした。

こうして、

ロシアの「金融と資源」を私有支配する「新興財閥オリガルヒ」が誕生した。

 

 

■     「ユダヤ系新興財閥(成金軍団)が台頭し、ロシア経済を支配」

ソ連崩壊後の5年間で、1997年、

民営企業はロシアの75%となり、労働者の8割は民営企業で

働く状態になった。

これはすなわち、

「7人の新興財閥がロシアの富の半分を支配している」

(ベレゾフスキーの言葉)状態であった。

7人とは、

ベレゾフスキー、アブラモビッチ、ピョートル・アヴェン、

ミハイル・フリードマン、グシンスキー、ホドルコフスキー、

ボターニン、の7人。

ボターニン以外は、ユダヤ系。

 

ベレゾフスキーは、エリツィンが心臓を患っていたので、

後任の傀儡を探していた。そして、ピックアップしたのが、

プーチンだった。

(プーチンが、巧妙にベレゾフスキーに取り入ったのだ)

 

 

■     「クレムリンのゴッドファーザー」ベレゾフスキーとは

ボリス・ベレゾフスキーは新興財閥の帝王。

モスクワ林業技術大学卒業。応用数学博士。

ソ連時代から、「ジーンズ」の製造販売で商才を発揮。

その後、自動車販売会社「ロゴバス」を始め、

ベンツの公認ディーラーにもなり、ソ連崩壊後、

民放テレビ局「TV6」を買収。メディアを次々買収。

石油会社「シブネフチ」買収。銀行も買収。

 

エリツィンは、ロシア経済崩壊の張本人として、世間の評判は最悪で、

再選の望みは薄かったが、

オリガルヒは、共産党のジュガーノフが大統領選に勝つのを許容できない。

そこで、オリガルヒたちは、一丸となって、

メディアでエリツィン推しキャンペーンを実施して、

視聴者を誘導洗脳し、「共産党ヤバイ」と言い、

見事、エリツィンは再選を果たした。

その褒美として、エリツィンから、

ベレゾフスキーはCIS(独立国家共同体)執行書記に

任じられた。

 

 

■     FSB長官プーチン、ベレゾフスキーに接近

1998年8月、キリエンコ首相の時に、

ロシアは経済悪化のために、「デフォルト宣言」

その大惨事のために、キリエンコ首相は解任され、

替わりに、プリマコフが首相に就任。

プリマコフは、KGBの大物でプーチンの大先輩だった。

 

(半蔵門補注・・・これが、KGBの中の「祖国第一主義」派による

DS勢力からの「祖国奪還」「巻き返し」のスタートだった。)

 

プリマコフ首相と、スクラトフ検事総長が、

ベレゾフスキーを追い込んで行く。

この時、FSB長官はプーチン。

(半蔵門補注・・・プリマコフとプーチンの「挟み打ち戦略」)

 

プリマコフ首相に追い詰められていたベレゾフスキー。

ベレゾフスキーの妻の誕生日パーティーの日に、突如、

FSB長官プーチンが花束を持って現れ、

「あなたの潔白を私は知っている」と甘い言葉をかけた。

 

これで、ベレゾフスキーは、プーチンを傀儡に立てようと

考え始めた。

その後、試すように、プーチンに「大統領になりたいか?」

と尋ねるが、プーチンは、「ノーノー、私は、そんな柄ではない」

「私は・・・・・ベレゾフスキーになりたい」

と、更に甘い言葉の決めゼリフを述べた。

これで、ベレゾフスキーは、プーチンを自分の傀儡大統領にする決意を

した、と言われる。

 

 

■     いよいよ首相の座へ

ベレゾフスキーはエリツィンを操れる。

エリツィンは、プリマコフ首相とスクラトフ検事総長を解任。

1999年8月、プーチンを首相に任命します。

1999年12月、ロシア下院選挙。

ベレゾフスキーの政党「統一」は2位に躍進。

同年12月31日、エリツィンが心臓を理由に辞任。

プーチンが大統領代行に就任。

2000年3月の大統領選挙で、

プーチンが圧倒的な支持を得て、大統領に当選。

 

 

■     大統領プーチン、国内統治に向けて「革命的な大改革」

大統領就任式は、2000年5月。

プーチンは、大統領にすると同時に、

ロシア連邦の行政システムの「革命的な大改革」に着手。

「超強力なワンマン独裁体制」を構築した。

「89の連邦構成体」を7分割して、

7つの「ロシア連邦管区」に振り分け、

連邦管区の長には、「大統領全権代表」が就任。

当初、7つの連邦管区うち、5つはロシア軍の将軍が就任した。

そして、「知事は、上院議員にはなれない」とした。

知事は、連邦政府に任免権限があり、解任できるようにした。

汚職知事をパージするためだった。

 

こうして、

「プーチン大統領に紐付く中央集権体制化」を成功させた。

 

 

■     新興財閥の大物、グシンスキーを排除

次に、プーチン大統領は、

反プーチン政党「祖国・全ロシア」を支援している

オリガルヒ、ロシアのメディア王のグシンスキーの

排除に動いた。

グシンスキーは、「世界ユダヤ人会議」の副議長もやっている

シオニスト。

 

プーチンは、横領・詐欺容疑で、グシンスキーを逮捕。

3日後釈放されるが、

グシンスキーはスペインに脱出。亡命生活となる。

グシンスキーのメディア「NTV」は、プーチン側である

大手石油会社「ガスプロム」が買収した。

 

 

■     プーチン支持だったベレゾフスキーも反プーチンへ

ベレゾフスキーは、プーチンの中央集権化の大構造改革に反対で、

「プーチンは独裁の道を歩んでいる」と批判して、

公開質問状を出して批判する事態に。

猫のふりをしてベレゾフスキーに取り入ったプーチンだが、

ベレゾフスキーによるプーチン批判に対して大激怒。

 

 

■     プーチン、いっせいに新興財閥狩りを開始

2000年7月、

ロシア検察が、オリガルヒ関連会社の一斉取締りに動いた。

家宅捜索、脱税容疑の逮捕や告訴。

 

2000年7月26日

プーチン大統領は、ビビるオリガルヒたち20人以上を招集して、

彼らと「歴史的な会談」をテレビ放送の公開の場で実施。

「君たちに対する検察の取締りは、自分とは全く関係がない」と言い、

「自分たちがやっていることが正しいと思うなら、法廷で証明しろ」

と言い放った。

オリガルヒが「司法改革が必要ではないかと・・」とオロオロしながら

反論するも、

「そんなもん、優先課題じゃねぇんだよ!!」と一蹴。

このやりとりの一部始終が放送され、

プーチン大統領の支持率は、爆上がりすることに。

 

 

■     ベレゾフスキーの敗北

ベレゾフスキーは、49%の株式を持つテレビ局「ORT」

を使って、「反プーチン報道」を開始。

そんな折り、2000年8月12日、

ロシア原子力潜水艦クルスク沈没事件が発生。

プーチンは保養地ソチで休暇中。

プーチンは一週間後にモスクワに現れた。

その間、プーチン批判のテレビ番組が放映されていた。

モスクワに現れたプーチンは、

ベレゾフスキーにテレビ局「ORT」を手放すように言った。

ベレゾフスキーは「どうしてこんなことをするんだ」と恨み言を

言うのがせいぜいで、

アブラモビッチにこれを売却することに(渋々)同意。

ベレゾフスキーは、英国に脱出した。(英国諜報部の庇護の下に)

 

 

■     プーチン、新興財閥軍団をついに支配下に

その他のオリガルヒたちは、「こりゃー、あかん」と、

2001年2月14日に、

「降参宣言」の「反省文」を提出して、

「今後一切、政治には口出し致しません」という約束をして、

プーチンに対する敗北を認めることになった。

そして同時期、

「ロシアユダヤ人会議」の会長だったグシンスキーは

海外にいることを理由に同会議の会長を辞任。

「ロシアユダヤ人会議」も、「今後、政治に言及することはありえない」

との声明を発表した。

 

これらの2大勢力が、

政治への口出しをやめ、プーチンに屈伏した瞬間だった。

 

 

■     新興財閥軍団は、最初からKGBにハメられていた

(半蔵門補注・・・KGBには「愛国良識派」の「良いKGB派」がいた。

それが、プリマコフやプーチンだった。)

ベレゾフスキーは、プリマコフとプーチンの連繋プレイに騙されたのだ。

ベレゾフスキーを追い込むプリマコフ。

救いの手をさしのべるプーチン。

ヤクザが、一人に女性を襲わせて、もう一人が助けに行く、という

アレと同じ方法だった。

また、

プーチンは、「政府への潜入任務を完了した」とも語っていた、と。

 

エリツィンによって首相を解任されたプリマコフは、

その後も、失脚することなく、プーチンから深い信任を得て、

イラク・フセインへの「辞任勧告」の特使の任務も任された。

(つまり、二人は繋がっている)

 

 

■     ロシア下院支配へ

プーチン大統領の残るターゲットは、

ロシアの下院だった。この時点では、下院の第一党は、共産党だった。

ゆえに、

第二政党と第三政党を糾合させることで、第一党に躍り出るように

工作をした。

2001年12月、

「統一」と「祖国・全ロシア」が合併。

「統一ロシア」誕生。

これにより、下院支配も達成された。

 

 

■     天然ガス世界最王手、ガスプロムを支配

プーチン大統領は、1~3を終えて、

1.オリガルヒを屈伏させた

2.議会を支配した

3.マスコミも手中に収めた

4.経済活動の支配に着手

しました。

天然ガス資源の埋蔵量世界一のロシア。

それを1社が運営管理する。それが「ガスプロム」

ソ連時代から「ガス工業大臣」であったチェルノムイジンが

「ガスプロム」社を私物化し、ロシアの中でも、治外法権的に

好き勝手やっていて、税金も支払わなかった。

二代目社長ヴャヒレフ。

「ガスプロム」は半官半民なのだが、政府株40%のうち

35%はヴャヒレフが私物化している。

これに対して、ネムツォフ第一副首相が巨額脱税を問題化。

 

プーチン大統領は、ヴャヒレフの任期更新日の

2001年5月31日の前日に、ヴャヒレフと3人の取締役が

プーチンのもとに呼ばれ、「クビ」を宣告された。

そして、プーチンの腹心であるミレル氏が「ガスプロム」社長に就任。

その後、ミレル氏は、経済運営に優秀で、「ガスプロム」社を大きく成長させ、

しっかりと税金を国家に支払うことで、公務員の給料もロシア政府は

しっかり支払うことができるようになった。

 

 

■     プーチン以前、完全崩壊していたロシア経済

プーチン以前のロシア経済は、欧米の傀儡であるエリツィンによって

食い物にされており、ロシア人の平均寿命が10歳以上下がるほど、

病気・自殺その他、ロシア人は塗炭の苦しみをなめていた。

しかし、プーチン大統領による強力なリーダーシップにより、

ロシア経済は、V字回復を遂げる。

ソ連崩壊で、自由主義陣営に参画したロシアは、

いきなり、市場を開放してしまった。

ソ連時代の産業で、西側資本主義陣営の製品にコスト的・性能的に

勝てる商品などなかったので、ロシアの製品は売れなくなり、

ロシアの産業は壊滅的になってしまった。

そして、高騰するハイパーインフレ。

1000万円の貯金が38万円相当の価値しかなくなってしまう世界。

 

 

■     デフォルトを行った1998年、ロシア経済は転換点に

1998年8月17日、ロシア「デフォルト宣言」

「対外債務90日間支払い停止」

ここが、ロシアの経済的な「大底」だった。

(まだ、プーチン大統領登場以前なので)

以降のV字回復については、

KGBの大物だったプリマコフ首相の手腕による所が大きい。

2つの政策を実施。

1.徴税の強化(大会社の脱税を許さない)

2.外貨売り上げの75%をルーブルに交換することを義務付け。

これで、

一カ月で、1ドル=6ルーブル が

1ドル=16ルーブル

周辺までの下落で、なんとかブレーキをかけて、持ち直した。

インフレの価値下落を完全に止めることはできずとも、

順調に、数カ月で経済安定化に成功した。

 

 

■     プーチンとロシア経済に吹いた原油高の「神風」

2000年、プーチン大統領が誕生。

ロシアは、世界第二位の原油輸出大国。

当時、ルーブルの価値の下落は進行しており、

1ドル=28ルーブル

まで、下落していた。(ルーブル安)

この「ルーブル安」と「原油価格の高騰」が経済成長を

促した。

ロシア国民は、安いルーブルで高額化した輸入品を買えずに

国内製品を購入する動機となった。

国内企業が息を吹き返す。

輸出企業は、ルーブル安の恩恵で、コスト的に国際競争力が付き、

輸出販売が好調となり、輸出増加。

ロシアの輸出量は前年比40%増し。

ロシアになって、「初の財政黒字」達成!

経済成長率10%を達成!!

こうして、ロシア国民にとって、

「プーチンは(救いの)神」となった。

 

 

■     プーチン、三つの経済改革を断行

1.土地の私有と売買の自由化

2.「税制改革」~所得減税&法人税減税

 

2001年10月「土地基本法」で、一部の土地売買自由化。

2001年、国民の所得税を一律13%固定にしてしまった。

2002年、法人税を35%から24%へと、11%もの減税を実施。

 

 

■     大幅減税で、巨大な「ロシア地下経済」が表に

ソ連崩壊で、弾圧されていた「ロシア正教」が大復興。

ロシアになっても、庶民は、所得の申告を実際の

20%程度でしか申告せず、所得税もそれ相当でしか支払って

いなかった。

こうして、ロシア地下経済は、全体の50%を占めるような状態

だった。

しかし、減税効果と脱税取締り強化で、

庶民も納税をちゃんとやるようになり、

ロシア政府の財政は黒字が積み上がるようになった。

 

 

■     エリツィン時代とプーチン時代、これほどの違い

・下院

エリツィン時代は、共産党が第一党

プーチン時代は、統一ロシアが第一党

 

・上院と地方の首長

エリツィン時代は、地方の首長が上院議員を兼務して

強大な権力を持ち、悪代官さながらの賄賂汚職まみれだった。

プーチン時代は、上院議員兼務禁止と首長の任免権がクレムリンなので

首長は、中央の言うことを聞くようになった。

 

・オリガルヒ

エリツィン時代は、大統領と癒着して莫大な利益をあげていた。

プーチン時代は、オリガルヒがプーチンに屈伏し、脱税せずに、

法人税をちゃんと支払うようになったことで、政府は財政黒字化達成。

 

・マスコミ

エリツィン時代は、オリガルヒの所有物

プーチン時代は、3大テレビ局を支配。

 

・経済

エリツィン時代は、強烈なマイナス成長を続け

最後にはデフォルト宣言。経済ボロボロ。

プーチン時代は、いきなり経済成長率10%達成。

以降、毎年、7%成長を8年間。

 

・政権支持率

エリツィン時代は、ひどい政策のために、支持率は急降下し

政権末期には、0.5% しかなかった。

プーチン時代は、50%以上の支持率からスタートし、

経済再建成功で、支持率は70%オーバーを維持。

 

しかし、プーチンを倒すべく

ミハイル・ホドルコフスキーが米英DS勢力と結託することで

ロシアを我が物にしようと画策していた。

これは、

世界統一覇権を目論む支配者層勢力(今で言うDS)

VS

愛国良心派KGB軍団

の代理戦争でもあった、と北野氏は書いています。

 

・・・・・・・・

 

以上が、「第一章」の要約です。

 

最後に、伊藤貫氏が、「ウクライナ事変」に関する最新の見解を

述べており、的確なので、その動画を挿入しておきます。

プーチンのひととなりを後半で語っており、必聴です。

動画再生速度1.75倍で、充分に聴けるので、速く視聴できます。

 

 

2章以降も、要約紹介して行きます。

 

今回は以上です。

それではまた。