前投稿の続きです。

 

北野幸伯著「プーチン最後の聖戦」

 

 

第2章    米ロ新冷戦

プーチンはいかにアメリカを没落させたのか?

 

・プーチンのアメリカ嫌い

・ソ連時代の徹底した反米教育

・冷戦の敗北

・アメリカが破産しない理由

・基軸通貨ドルのさまざまな特権

・米ソ冷戦後の欧州の反逆

・フセインの「核」爆弾

・外交における理想主義と現実主義

・アフガン戦争とプーチン外交

・米・ブッシュとロシア・プーチンの短い蜜月

・イラク戦争と石油

・プーチン、反米にシフト

・アメリカ没落の始まりとなった、ロシア「ユコス事件」

・ホドルコフスキーが犯した5つの大罪

・プーチン、遂に世界の支配者に宣戦布告

・石油は常に戦争と結びついている

・アメリカの「石油枯渇」が近づいている?

・アメリカは、資源の大宝庫、カスピ海を狙う

・グルジアのバラ革命はなぜ起こったか

・バラ革命はアメリカの革命だった

・プーチン、二期目の大統領選で圧勝

・ウクライナでオレンジ革命が成功

・キルギスでもチューリップ革命が成功

・チューリップ革命もアメリカの革命だった

・アメリカの革命、ウズベキスタンでの失敗

・なぜアメリカ画策の「カラー革命」は止まったのか?

・プーチン、アメリカとの「血戦」を選択

・プーチン、仮想敵国・中国との同盟を決意

・ロシアと中国、「上海協力機構」を反米の砦化

・プーチンの逆襲にいらだつアメリカ

・2006年、プーチン、ドル崩壊への歴史的決断

・プーチンの引退とメドベージェフの登場

 

・・・目次おわり)・・・・

 

(半蔵門補注)(ここまでの流れの概観)・・・

第1章では、国際金融資本の英米勢力が、ソ連を解体し、

なりすましユダヤ人ネットワークを使って、オリガルヒに

ソ連の産業資本の株式所有をさせて富豪にして、新生ロシアを

牛耳るつもりでしたが、KGB祖国救済愛国派のプーチンが、

あれよあれよ、という間に、オリガルスヒを成敗して、

大統領にまで登り詰め、大統領第1期4年の間に、一気に、

ロシア政治と経済を建て直し、国際金融資本DSの手から

ロシアを奪還したまでの話が描かれました。

 

そして、第2章では、プーチン大統領2期目4年間の戦いが描かれます。

国内では、最大の宿敵・石油王ホドルコフスキーを討伐します。

ホドルコフスキーを通じてロシア経済を牛耳ろうとしていた国際金融資本家は

怒り心頭、旧ソ連衛星国に次々に、カラー革命を起こして

米国傀儡政権を作り、プーチン・ロシアを追い込もうとします。

つまり、プーチンは、国内に留まらず、対外的にもDSと戦った時期でした。

それでは、具体的に見て行きましょう。

・・・補注おわり・・・

 

 

■     プーチンのアメリカ嫌い

2011年10月にプーチン首相は北京で

「米国は寄生虫だ」と発言したという新聞記事があります。

(半蔵門補注・・・本質を突いた鋭い表現です。)

(詳細は「DSの正体篇)で解説予定)

それほど、蛇蝎の如く、プーチンは、米国に巣喰うDS勢力を嫌っています。

 

 

■     ソ連時代の徹底した反米教育

北野氏は、プーチンの反米はソ連時代の反米教育にある、と指摘します。

ソ連では、資本家は搾取する悪の権化。米国はその元凶。

 

(半蔵門補注・・・プーチンはKGBで全ての真実を知ることになり、

ソ連の表面的な反米とは異なる次元で、真の悪を知っている、と言えます。)

 

■     冷戦の敗北

ソ連の国民は、反米教育のために、ゴルバチョフもエリツィンも

極悪の米国資本家に騙された、人の良いエリツィンは、

狡賢い英米のトラップに引っ掛かり、ロシアの資産が強奪された、

そう思っている。

プーチンも、「ロシア復興」と「アメリカへの復讐」を誓っただろう、と。

 

■     アメリカが破産しない理由

 

アメリカは、世界最大の

「財政赤字国」であり「貿易赤字国」であり「対外債務国」

という三重苦の中にある。

しかし、アメリカが破産しないのには、2つの理由がある。

1つ目は、ドルが米国に還流するシステムがあること。

2つ目は、米ドルが世界の基軸通貨であること。

 

まず、「ドルの還流システム」について見てみると

・高金利

日本がゼロ金利で米国が5%金利なら、米国に

ドルが集まる。

 

・アメリカ国債を外国に買わせる

日本や中国が大量購入。

尚且つ、日本は米国の許可なく米国国債を売却できない。

 

・米国株式市場(好調)

ITバブル時代(1995~2000年)

株価は、5年間で300%上昇。外国人投資家がドルで投資して来る。

 

2つ目の「世界の基軸通貨・米ドル」について見てみると

 

・米国と他国との貿易に関して、米ドルが使用される

たとえば、ロシアが米国に石油輸出するときは米ドルを受け取る

ロシアが米国から製品を輸入するときには、ルーブルで米ドルを購入して

米ドルで支払う。

 

・米国と関係ない二国間の貿易でも。

日本が中東の石油を購入するには、円で米ドルを購入して

米ドルで支払う。

 

・各国中央銀行は、外貨準備金として、米ドルを保有。

・世界中の民間人が 米ドルで預金をしている。

米ドルは、どんどん輪転機で紙幣を刷っているので、

長期的には、ゆるやかに下落してインフレとなっている。

「米国の膨大な貿易赤字」の故に、米ドルのインフレ(価値下落)は

確実に起きているが、世界基軸通貨なので、下落率が緩やかである。

 

 

■     基軸通貨ドルのさまざまな特権

「アメリカは、外貨を稼いだことが一度もない。」

米ドルが世界の基軸通貨だから、刷って支払えば良いだけ。

つまり、外国との貿易は、「国内取引」と全く同じことなのだ。

しかし、米国は世界一の恒常的な超貿易赤字国なので、

米ドルが基軸通貨でなくなった途端に、経済破綻してしまう。

ドル高である限り、米国経済は破綻しない。

(半蔵門補注・・・逆に言えば、米ドルがハイパーインフレになれば、

国家は必ず破綻する。)

米ドルを基軸通貨でなくならせれば、米国覇権は終わる。

その方法は?

他の通貨での国際取引が多くなれば良い。

 

 

■ 米ソ冷戦後の欧州の反逆

1991年12月、ソ連崩壊・解体。

米ソ冷戦構造が終り、「米国一極覇権時代の到来か?」

欧州は、1500年~1900年まで

400年間、世界の覇権国家は、欧州から。

ソ連崩壊後、「米国一極覇権」に物申すのは、欧州しかない。

欧州を統合すれば、米国から覇権を奪える。

ジャック・アタリもそう述べた。

1999年1月、EU加盟国で共通通貨ユーロが誕生!!

人口とGDPでは、米国を上回る規模の通貨ユーロの誕生。

 

 

■     フセインの「核」爆弾

2000年9月24日、大事件発生。

イラクのフセイン大統領が、石油代金として

米ドルを使用しない(ユーロを使用する)と宣言!!

↓↓

米ドル基軸通貨体制に亀裂を入れる「金融史的な大事件」

 

2000年10月30日、国連がそれを承認。

フランス(シラク大統領)がバックで後押ししていた。

それゆえ、2000年11月から、イラクは石油取引をユーロで開始した。

 

もしも、イラクに続いて、他国も次々に石油をユーロで取引するようになったら

米ドル基軸通貨体制は崩壊してしまう。

 

そこで、米国は、

フセイン大統領が大量破壊兵器を隠し持っている、と濡れ衣を着せて

イラク攻撃に踏み切った。そうして、

2003年のイラク戦争で勝利し、米国はイラクを占領して、

石油取引を米ドルに戻した。

 

 

■     外交における理想主義と現実主義

・理想主義とは、綺麗な建前のこと。

友愛ある平和な世界を創る、とか。

・現実主義とは、「国益」重視のこと。

  「国益」とは、「金儲け」と「安全」です。

イラク戦争においても、

醜い米国の国益追求を表には出せないので、

綺麗な建前として、大量破壊兵器を隠し持つ独裁者フセイン

を打倒して、自由な民主主義社会を建設する、となります。

 

プーチンは、徹頭徹尾「現実主義」「ロシア国益最優先」である。

 

■     アフガン戦争とプーチン外交

2001年9月11日米国同時多発テロ発生。

アメリカは、アフガニスタンのタリバンを報復攻撃対象に指定。

プーチンは、中央アジアのロシア同盟国内での米軍の空港使用許可を出して

米軍を支援。

チェチェン武装組織とタリバンの関係性から、

プーチンは、米軍を支援した。現実主義。

 

 

■     米・ブッシュとロシア・プーチンの短い蜜月

ブッシュ・ジュニア政権がアフガニスタン攻撃をする、

ということは、「米国がイスラム社会全体と対立する」

ということを意味する。

プーチンは、アラブ諸国が米国との石油取引で、

アフガニスタン応援で石油輸出を減らして来たら、

ロシアが米国に石油輸出する、と甘い言葉で、米国に接近。

一時的に、ロシアはNATOの準加盟国的な地位になった。

 

 

■ イラク戦争と石油

イラク戦争は、イラクの石油利権を奪取したい米国が仕掛けた

戦争であった。

FRB議長グリーン・スパン氏がそう述べている。

という新聞記事を引用。

勿論、米ドル基軸通貨制度の防衛も含まれていました。

一石二鳥。

 

■     プーチン、反米にシフト

プーチンの国益重視外交からすると、

イラクが陥落したあと、イラク石油利権を米国と半々に分け合うのなら、

悪い話ではない。米国との共同歩調も可能だろう。

ところが、米国(ネオコン)は、ロシアと権益をシェアする気など

一切ないことが判明したので、プーチンは、反米にシフト。

イラク戦争に対しては、ロシア・中国・フランスが反対した。

しかしながら、国連安保理の承認を経ないまま、米国は強引に、

2003年3月20日、イラク戦争開戦。

5月2日、ブッシュ大統領、戦闘終結宣言。

但し、その後も、戦争としてはダラダラと8年間も継続し、

結局、2011年12月に戦争終結宣言となった。

 

(半蔵門補注・・・

イラク戦争の犠牲者は推定50万人 | ナショジオ日本版

「死者は約50万人と推定している。これはおそらく控えめな数字だ」と

ハゴピアン氏は述べる。

補注おわり・・・)

 

 

■     アメリカ没落の始まりとなった、ロシア「ユコス事件」

米国はイラクの石油権益をゲットして、得意満面。

そのまま、彼らの仲間・ロシアの石油王ホドルコフスキーを通じて、

ロシア石油最大手企業である「ユコス」をも米国企業が買収してしまおうと企んでいた。

しかし、プーチン大統領は、それを阻止すべく、電撃的に

2003年10月、ホドルコフスキーを脱税容疑で逮捕した。

これが、「ユコス事件」

世界的に俯瞰すると、アメリカ一極覇権の頂点がこの直前であり、

「ユコス事件」で、プーチンがロシア石油最大手を祖国ロシアが奪還した

「歴史的大事件」以降、「アメリカの一極覇権は右肩下がり」になる。

ソ連崩壊後、米英国際金融資本側によるロシア資産の強奪

Vs

プーチン・ロシアによる資産奪還作戦

は、この「ユコス事件」で、ロシア勢力の逆転勝利で決着を見た瞬間

であった(「株式会社ロシア」栢 俊彦【著】)

「この事件を機に、ロシア国益第一主義(ロシア・ファースト)が

確立し始める」(栢 俊彦)

その後の各種の旧ソ連衛星国まわりの紛争(カラー革命など)も、

「ロシアの行動を制御し続けようとする欧米諸国と、

自立を目指すプーチン政権との、つばぜりあい、である」(栢 俊彦)

 

 

■     ホドルコフスキーが犯した5つの大罪

栢 俊彦氏が挙げる5つの罪

1.脱税

ロシアには「国内オフショア制度」があり、地方の法人税が低めに

設定されている。

「ユコス」は法人税12%(通常の半分)しか支払っていなかった。

そして、クドリン財務相に、脅しもかけていた。

 

2.国の財政政策への介入

ロシアの石油パイプラインは、100%国営「トランスネフチ」

の独占。しかし、ホドルコフスキーは、「ユコス」独自の

石油パイプラインを作ろうとした。

また、ホドルコフスキーは、プーチンの政策に

悉く、反旗を翻し、楯突く発言をしていた。

 

3.資産の争奪戦

「ユコス」の企業資産を、国営ロスネフチの社長ボグダンチコフが

狙っていた?

結果的には、その後、ユコスと子会社の資産は、「ロスネフチ」に吸収合併

された。裏では、大統領府副長官セーチン氏が動いていた。

セーチン氏は、プーチン大統領の側近中の側近。

 

石油王手「シブネフチ」は、ベレゾフスキー→アブラモビッチの所有

だったが、2005年9月、ガスプロムが吸収合併。

「ガスプロムネフチ」となった。

 

こうして、ロシア石油業界は、

「ロスネフチ」「ガスプロム」2大企業体制へ。

(欧米勢力の追い出し完了)

 

4.政治への介入

ホドルコフスキーは、反プーチン政党(複数)に資金援助を

していた。政治に介入する姿勢だ。

具体的には、「右派勢力同盟」「ヤブロコ」「共産党」への資金援助。

そして、2008年の大統領選挙に立候補して、

大統領を目指す、と公言していた。

 

 

■     プーチン、遂に世界の支配者に宣戦布告

ホドルコフスキーの5つの罪(の続き)

 

5.米国ブッシュ政権への接近と米企業への身売り工作

ホドルコフスキーは、ジェイコブ・ロスチャイルドと知己を得ていた。

2001年12月

この二人は共同で、「オープン・ロシア財団」を設立。

ホドルコフスキーはブッシュ政権内での人脈を広げて行く。

チェイニー副大統領、コンドリーザ・ライス大統領補佐官・・。

 

ホドルコフスキーは、ベレゾフスキー→アブラモビッチの所有の

「シブネフチ」との合併を画策。加えて、

それを米国のシェブロンテキサコ、又は、エクソンモービル

に売却しようとしていた。

これらの米企業が「拒否権」持つ形で、ロシア企業に参入してくる事は、

ロシアの石油資産が、治外法権エリアに逃げ去ってしまうことを意味した。

 

米英の「魔の手」はロシアに迫っていた。

プーチンは、果たして、欧米諸国のシオニスト的侵略とガチンコで

戦うつもりなのだろうか?

その答えが、

2003年10月25日のホドルコフスキー逮捕だった。

 

 

■ 石油は常に戦争と結びついている

 

石油を武器として使う国アメリカ。かつて、日本も

ABCD包囲網で、石油禁輸され、戦って活路を求めるしかない

状況に、アメリカが追い込んだ過去がある。

イラク石油利権のためには、どんな事もする汚いアメリカ。

 

 

■     アメリカの「石油枯渇」が近づいている?

ブッシュ・ジュニアは、

「アメリカの石油はあと15年後に枯渇します」

と報告を受け、イラクの石油利権に動いた、とも考えられる、と。

 

■     アメリカは、資源の大宝庫、カスピ海を狙う

イラクは、2003年当時、世界第二位の石油埋蔵量と

概算されていた。

2011年のデータでも、世界第四位の埋蔵量。

イラク戦争で、これを獲得した米国は、

ロシアの石油も、ホドルコフスキーを通じて手に入れる寸前だった。

しかし、プーチン大統領に阻止された。

 

激怒したアメリカ支配層は、

旧ソ連衛星国にカラー革命を次々に起こして行く。

最初にターゲットにしたのが

グルシア。

カスピ海の石油埋蔵量は概算もできないほどたっぷりある。

 

カスピ海周縁の石油を世界に輸出するべく、

「アゼルバイジャンのバクー」→「ロシアのノボロシースク」

ルートの石油パイプラインが通っていた。

しかし、これを使わず、

「アゼルバイジャンのバクー」→「グルジアのトリビシ」

→「トルコのジェイハン」ルート

(これをBTCパイプラインと言う)

を作って、アメリカの利益とする。

そういう計画を、アメリカは動かし始めた。

 

 

■     グルジアのバラ革命はなぜ起こったか

プーチンは「BTCパイプライン計画」を潰すべく、

親米的なグルジア国内に抱える2つの自治区

アブハジア自治共和国

南オセチア自治共和国

を支援することで、政情を不安定にする作戦に出た。

2003年11月2日

グルジア議会選挙で、現大統領シュワルナゼが率いる政党

「新しいグルジア」が1位(21%)獲得。

2位のサアカシビリが率いる政党「国民運動」が18%。

しかし、「不正選挙だ」という暴動が起きて、

11月22日、野党側が議会ビル占拠。

翌日、シュワルナゼ大統領が辞任。

これが「バラ革命」。

 

■ バラ革命はアメリカの革命だった

ジョージ・ソロスがグルジアを訪問し、

2000年初旬に、「オープン・ソサエティ財団」を設立。

2003年退任に追い込まれたシュワルナゼ元大統領が

11月30日のテレビ放送で、

「この革命は、ソロスによって仕組まれたものだ」と発言。

サアカシビリ新大統領は、米国コロンビア大学とジョージ・ワシントン大学

を卒業したバリバリの親米派。

選挙前、サアカシビリ側野党は、

「アメリカに選挙を監視してもらおう」と主張し、

シュワルナゼ大統領もこれに渋々同意してしまったがために、

アメリカの民間調査会社が出口調査を担当することに。

そして、1位になったシュワルナゼ大統領の政党に対して、

「選挙不正だ」と騒ぎ立てた、というシナリオ。

2004年1月、サアカシビリ政権が誕生。

BTCパイプラインは、建設スタートし、

2006年6月から稼働スタート。現在に到る。

ロシアは、このパイプラインで大損を蒙っている。

 

 

■     プーチン、二期目の大統領選で圧勝

プーチンは、大統領1期目の4年間で、

ロシア経済・ロシア政治を一気に建て直した。

経済もプラス成長で好景気。

オリガルヒのホドルコフスキーも逮捕して、祖国防衛。

それ故、大統領選の2期目も、71%を得票して圧勝した。

1期目の敵は、国内の新興財閥だった。

2期目の敵は、プーチン打倒を目論むアメリカ。

 

 

■     ウクライナでオレンジ革命が成功

2004年11月21日、

大統領選挙では、親露派のヤヌコヴィッチが勝利。

しかし、親米派のユシチェンコ陣営が「不正選挙だ」

とイチャモンを付け、抗議デモが激化。

クチマ大統領は、内外からの圧力に屈して、再選挙に同意。

2004年12月、再選挙が実施され、

親米派のユシチェンコが52%の得票で勝利。

2005年1月25日

ユシチェンコ大統領が誕生。

これが、ウクライナの「オレンジ革命」。

 

 

■キルギスでもチューリップ革命が成功

2005年3月

大統領選挙で、現職アカエフ大統領が勝利。

しかし、野党が「選挙不正だ」と騒ぎ、大暴動に発展。

アカエフ大統領は、ロシアに亡命した。

野党指導者のバキエフ元首相が、大統領代行し、

2005年7月の選挙で勝利して正式の大統領に就任。

これが、キルギスの「チューリップ革命」。

 

 

■     チューリップ革命もアメリカの革命だった

2005年4月2日産経新聞に

「キルギス、米NPOが支援、政変実現させる」

とある。

革命を推進したNPOとは、

1.フリーダムハウス

2.国家民主研究所(NDI)

3.国際共和研究所(IRI)

で、これらの資金源は、米国家予算から捻出されている。

このように、親米反露政権が、立て続けに3つ、誕生した。

 

 

■     アメリカの革命、ウズベキスタンでの失敗

旧ソ連衛星国14カ国全部に、アメリカは米国傀儡政権を

樹立するカラー革命を仕掛けるほどの勢いだった。

次のターゲットは、ウズベキスタン。

2005年5月、ウズベキスタンのカリモフ大統領に

辞任を要求する大規模デモが発生。

しかし、カリモフ大統領は、強行に、それらを武力鎮圧した。

アメリカは、デモ参加者が不当に殺害されたとして、

ウズベキスタンへの支援停止、調査団受け入れを要求。

一方、中国とロシアはカリモフ大統領支援に回った。

カリモフ大統領は強気に出て、アメリカに対して

2005年7月30日

ウズベキスタンに駐留している米軍に対して

180日以内に出て行くように通告した。

アメリカとの訣別だった。

 

 

■     なぜアメリカ画策の「カラー革命」は止まったのか?

その後も、アメリカは、旧ソ連衛星国で、カラー革命を

仕掛けたが、ことごとく、撃退された。

なぜなら、手口がワンパターンであり、その対処法を

編み出されてしまったから。

ロシアでは、2006年「NGO規制法」が成立。

外国からの資金の流入を取り締まることに。

 

2006年3月19日

ベラルーシでの大統領選挙のこと。

ルカシェンコ大統領が、83%の得票で圧勝した。

しかし、「選挙は不正だ」という、アメリカによる同様の手口が

仕掛けられた。

しかし、これも阻止されて終わった。

政府が野党側への外国からの資金の流入を阻止したので、

野党側は、活動がジリ貧になり、3月25日

野党側ミリンケビッチはデモの中止を宣言。反政府運動は終息。

 

 

■     プーチン、アメリカとの「血戦」を選択

アメリカによるロシア侵略の野望はとどまるとこを知らない。

しかし、プーチンは屈伏して傀儡になることを断固拒み、

徹底抗戦の道、すなわち、

「アメリカ帝国主義を滅ぼすこと」

「アメリカへの復讐」

を選択して、一途に邁進することになる。

 

 

■     プーチン、仮想敵国・中国との同盟を決意

プーチンは、アメリカ帝国主義と徹底抗戦するために、

「チャイナとの同盟」という選択を決断した。

ロシアとチャイナは昔から犬猿の仲だったが、

アメリカを敵国として協同戦線を敷いて対処する、

という互いの共通の利益ゆえに、中ロ同盟が成立した。

「アメリカ幕府打倒」で手を組んだので、

中ロ同盟は、「現代版・薩長同盟」と言える。

すみやかに、中ロ間の領土問題を解決し、

両国の合同軍事演習をスタート。

米国一極支配構造に対抗する戦略的提携関係を構築した。

そして、イラクをアメリカに取られた両国は、

イランだけは両国で護る、という「イランへの関与」を

強めて行く。

また、中ロ両国間のガスパイプライン建設でも合意。

 

 

■     ロシアと中国、「上海協力機構」を反米の砦化

反米の核となる「中ロ同盟」を構築した両国は、

次に、同盟仲間を広く募り始める。

2001年6月1日、上海協力機構(SCO)を創設。

中ロ両国に加えて、中央アジア4国が加盟。

(カザフスタン、ウズベキスタン、キルギス、タジキスタン)

2005年7月5日カザフスタン首都アスタナにて

「アスタナ宣言」で、中央アジアからの米軍基地の撤退を要求。

加えて、イラン、インド、パキスタンがオブザーバー参加。

2006年6月15日「上海協力機構5周年宣言」で、

中ロは、加盟国をアメリカの侵略から守ると宣言。

そして、SCO加盟国の軍事演習は、

NATOに対抗するため、であることが鮮明になった。

 

 

■     プーチンの逆襲にいらだつアメリカ

ロシアを侵略したいアメリカ。しかし、プーチンの逆襲にあい、

ロシア国内の政権転覆は無理、その上、ロシアは核大国。

そして、ロシアは資源大国なので、日本を兵糧攻めしたような、

ABCD包囲網を敷くこともできない。ロシアは食糧自給大国。

国家的な対外債務も返済し終わっている。

ロシアへの攻め手に欠くアメリカは、引き続き、

ロシア国内での、親米派をオルグして、反プーチン暴動を起こす

準備をする程度しかできなかった。

 

 

■     2006年、プーチン、ドル崩壊への歴史的決断

2006年5月10日、プーチン大統領は、

「年次教書」で、爆弾発言をした。

「ロシアが輸出する石油ガスはルーブルで決済されるべきだ」

「ロシア国内にルーブルで決済する商品取引所を作る」

「ロシア中央銀行は、ドルでの外貨準備高の割合を引き下げて行く」

2006年6月8日モスクワの証券取引所にて

ルーブル建てのロシア原油の先物取引がスタート。

2007年7月、「ルーブルを世界基軸通貨に」とプーチンが発言。

 

 

■ 崩壊して行くドル体制

ドル基軸通貨体制への反旗を翻したフセインは殺された。

しかし、「中ロ同盟」が反旗を翻したことで、他国も追随しやすくなった。

通貨ユーロは順調に取引量を増大させ、

2006年12月末、遂に、流通量で米ドルを超えた。

そして、2007年、

中東における反米の砦イランが、原油のドル決済を中止。

これを見て、湾岸協力会議(GCC)=サウジアラビア、クウェート、UAE

は、2010年に通貨統合したいと表明。

南米共同体も、東アフリカ共同体も、

次々に、共通通貨導入を表明。

 

 

■     プーチンの引退とメドベージェフの登場

2008年、プーチン大統領2期目の終り。

ロシアは空前の好景気に涌いていた。

しかし、ロシア憲法は、大統領を2期までしか認めていない。

「統一ロシア」の議席数と人気からすると、憲法改正も可能だったが、

プーチンは、自分の子飼いのメドベージェフに大統領の座を禅譲した。

メドベージェフには、バックがなかったので、

プーチンの言いなりだった。

プーチンは、首相として、采配をふるうことになる。

 

・・・・・・・・

 

以上が、「第2章」の要約です。

 

引き続き、3章、4章と、要約して行きます。

 

今回は、以上です。

それではまた。