原点回帰 | HAREL(晴れる)ブログ

原点回帰

ウチの社員向けブログ9日目。

 

テーマは「原点回帰」

 

これは大学1年生の話。

今の僕自身の原点と思われる頃。

起業家となった自分自身の原点回帰。

 

大学に入学して、ほどなく仲良くなった仲間と野球チームを作ることになった。

大学に入ってからどこのサークルにも入らずに悶々としていた連中が集まり、昼休みにゴムボール野球を始めて、そこからの流れからみんなで野球の試合をやろうってことになった。

(注:みんな大学生なのに、なんかちょっとチャラチャラとしたサークルに入るのを拒んでいるような集団。見た目はとっつきにくい感じ・・・)

 

ちなみに、ゴムボール野球とは、ゴムボールを投げ、プラスチックバットで打ち、素手でボールをキャッチするので、非常に手軽な遊びである。人数も9人ずつそろっていなくても少数でできるので、身体を動かしたい若者にはちょうどいい遊びだった・・・

 

振り返ると、そもそも、毎日ゴムボールとプラスチックバットを大学に持ってくるなんて、ほんと頭悪い仲間たち・・・

これを大学の屋外ホールで集まってするから、タチが悪い。

学校の空いた隅っこでやればいいのに、邪魔者だっただろうと今では反省・・・

大学でそんな奴らは他にいなかった。頭わる・・・

ただ、めっちゃ盛り上がって、みんな野球するために大学に来たんじゃないかな?

目立つところでやっていたので自然と仲間が増えていった。

 

そのゴムボールを軟式野球に変えて、プラスチックバットを金属バットや木製バットに変えて、素手をグローブに変えて、そして、学校のホールからグラウンドの土の上でやってみたい。なにかみんなで、進化することを楽しみ始めた。

 

人数もこんな変な連中が10人以上いたので、1チームできる。

じゃあやってみようか!

ってノリで始まった。

 

でも、この連中、高校時代に誰一人野球部に居た者はいない・・・

バスケ部、サッカー部、柔道部、テニス部、帰宅部など・・・

中には、プロテストの2次選考まで残った野球素人がいた。(結果、そいつがウチのエースになったんだけど・・・)

 

「誰がキャプテンやる?」

 

って話になり、高校時代に野球をしていたことを入学当初はずっと伏せていたやんちゃな僕が、心を開いた仲間にだけ高校野球をしていたことを話していたので、白羽の矢が立った。

当時の僕は、おそらく自分で言わない限り、元高校球児だなんて誰も思わない雰囲気だったと思う。

そこは、ここでは割愛する。

 

キャプテンは決まった。

 

肝心なのは「チーム名」

「何にする??」

 

ここで、みんな入学してから数か月使うことのなかった「英和辞典」を大学に持ってきて、いろいろと調べ始めた。

ウチの大学はいわゆる「三流大学」「バンカラ大学」とも言われていた大学。

おそらく、学校に辞書を持ってくるなんて、まずないような大学・・・

 

そこで、ごつい身体をした連中が集まり辞書を開いて真剣に調べ物をしている。

勉強はしないけど、こんな遊びには超真剣に話しをしている。

 

自分たちで知っている単語を出しては意味を調べる。

「ちょっとイメージと違ったな」

とか話して、次を探す。

 

ここでふと気づいたことがあった。

「自分たちの知ってる単語少なくない?日本語から調べたほうが良くない?」

己を知り、知恵を出した瞬間。

一同賛同。

もっと高校の頃勉強やれよ・・・なんて話なんだけど・・・

 

そして、みんなで「和英辞典」ついでに「和仏辞典」まで買いに行った。

 

この一連の流れが実に楽しい時間だった。

一から作り上げていくって、こんな感じなんだろうね。

 

そして、このごつい仲間たちで集まるチーム名を決める会議についに降臨された。

 

「俺たち、アウトローの集まりだよな。なんだろう?あれくれ者って感じ・・・これって、英語でなんて言うんだろう?」

誰かの一言で「和英辞典」を開く。

「ハザードって、あるぞ!」

「スペルは?」

「HAZARD」

「複数形でHAZARDS」

「なんか、かっこいいじゃん!俺らにピッタリだし!」

「じゃあ決定な!」

 

これがわれらがチーム「HARDS(ハザーズ)」が生まれた瞬間だった。

 

大学入学後2か月が過ぎたちょうど今くらいの話・・・

まだ小林少年が18歳だったころの出来事である。

 

これが、今年50歳を迎える、起業家となった小林社長の原点だったように思える。

 

「原点回帰」

 

続きは、明日。

 

See You Tomorrow!!