息子が入院してる北九州への道すがら聴こうと借りたRADWIMPSのアルバムに見つけたこのタイトル。
あー
琴線にふれました。
ようやくですが、報告させてくださいませ。
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息子は
3月4日に手術を終え、
3月13日の今日は歩行器でのリハビリにはいっていて、
「クララ〜(≧∇≦)」
とネタにされながらどや笑っています。
長患いの股関節の不調に対して、手術という道を決めたのは去年の秋。
FAI、股関節唇損傷、股関節鏡下手術、その認識に至るまでの数年間、
その方法を知ったのち、それが自分たちの望むかたちで実現できる距離に至るまでの数年間、
その道程のあいだ、
息子の痛みをなくし、痛みのない生活を実現させてあげたいとサポートして下さる方々がいつも寄り添い支えてくださいました。
ともに祈ってくださって本当にありがとうございます。
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不調の実態がわかったとき、
「もっと早く、深く調べるとか注力しておけば」
と、親として怠慢だったことを後悔したけれど、
それまでの軌跡を受けとめていた息子から叱られ、気持ちを取り戻し、
「いまの精一杯を信じて進もう」と思ったし、
それまでにも、
ここに至るまでにも、
私の中には感謝しかなくて。
それがここに来て揺らいでしまった。
手術の前日の診察で
「関節柔らかいね」
って言葉があって、
それはまさに私の遺伝。
そんなの今更っていうくらい身体つきがそっくりだけど、関節の構造、そんなとこまで似るものだってあまり意識したことなかった。
でもいま、バレエでポワントのレッスン始めて、股関節のスタビリティが足りないことに直面してる真っ最中で、
ズキンと来た。
小学校1年生から高校まで、ずっとボール蹴ってて、身体の性質と選んだ競技がミスマッチじゃなかったんだろうかって。
それを悔やんでどうする?って思うけど、思う気持ちは消せなくて。
「感謝がなくなった」のではなく、
「感謝に向ける気持ちが薄らぐほど自己憐憫」してしまった。
自分の感情の揺らぎに気づいた時、
自分のダメさに気づいたら、感謝も揺らいじゃうって言う浅さにまた落ち込んだりして、なかなかない底なし沼に足を突っ込んでしまった。
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だけども、
そんな時、現実に引き戻してくれたり繋ぎ止めてくれたり、
顔を上げて明るいところを見るように指を指してくれるのは、
いつもおつきあいくださる方々。
少しずつ気持ちが整って、
もうこれ以上落ち込めないし、
親として何をしたらいいかってことに気持ちが向きました。
似てる体質に対して私なりに気づくこと、好きなことを好きなように楽しみ続けたいと、心がけること取り組むこと、
それを見せていけたらいいなと。
だから、
今日、
自分で気づいてること、面と向かって息子に話しました。
自分に似てること、
楽しむために、ひとより気をつけて取り組んでほしいってこと。
もはや
「だからなんなん?」
「だけんってひとのせいとか思わんよ」
と笑って受け止める息子は、完全に自分ごととして今に向き合ってて、
バトンを渡せた気持ちになった。
大切なことは、
心配を渡すんじゃなくて、
まずは自分を整えること、
別々の個性として生きる息子を見守ることに注力しよう。
隣り合うひとと、
お互いの歩みを喜び合いながら、
進んでいこう。
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昨日、
鼻歌を響かせながらみんなでわいわいの美味しいお料理教室のあとシェアいただいたエネルギーに満ちた言葉たち。
ありがとうございます。
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いままで、
いま、
そしてこれから、
見守っていただいてること、
祈りに包まれていることに、
感謝しています。