8月はいろんな記念日。
日本にとっても、
身内にとっても。
大好きだった祖母の命日、
母の誕生日、
父の命日。
豪雨の直後、熊本に帰る予定は延ばさざるを得なくて、そんな時、
姉から「母の誕生日のお祝いをしよう」と連絡がはいる。
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年を取っていく母との今に向き合っていると、
今までのことがばーっと心の底から浮き上がってくる。
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離婚してた両親はどちらも個性的で、
やくざみたいにキレッキレだった父はなに考えてるかわかんないびびる存在だったけど、
高校の帰り道、病院に寄って体を拭いたり髪を洗ったり一緒にご飯食べたり腰を揉んだり隣の空きベットでうたた寝したり、
濃い時間を過ごせたことはわたしの宝物。
でもそんなの、誰が知ってるとも考えもしなかった当時。
葬儀の時、
遺骨を持たせてくれた叔母が「みっこちゃんに抱かれて幸せね」と声をかけてくれたり、
大学に戻る私に、
こっそりと分けた遺骨を伯母が持たせてくれたり、
母に引き取られたわたしには普段付き合いのなかった大人たちがかけてくれた言葉は、
子どもなりに親に対して精一杯だった気持ちを汲んで余りあるもので、
救われた。
それから30ねん経って、
自分の息子や甥っ子たちが、
親となった私たちとの関わり方に向かい合うようになった今、
このひとたちの"いま"に、寄り添える大人でありたいと願う。
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地震の甚大な被害から2年でゲートを開けた菊池渓谷。
その復活に感動し、
訪れてまた、
心底、
山や森、土、湿った空気感、
溶かされて生き返らせてもらった。
お酒を飲まずにいれたのは奇跡!
"いま"に生きる母は
"いま"に向かい合う大切さを教えてくれる。