た「水の逃げ道」
「山に聞く」
ふと気がつけば、
東 和空和尚さまの言葉が道しるべみたいになってる。
4年前の土砂災害の時は、団地の両脇の道路を土砂が流れた。
翌日は近所を見て回ってハザードマップと照らし合わせて、なので大町界隈の溢れた水の流れ口、土砂の流れる経路、下流の土砂が堆積する箇所、合流ポイント、辻なんかを頭に入れて、翌日同じ雨が降ったらどうする?って家族で話し合った。
土砂が流れた直後は、水の逃げ道に粒子の細かい土砂が際限なく流れ込んでて水の逃げ道を閉じてしまっていて、
水の流れが変わってるとこ、
勢いが増してるとこ、
そうでもないところ、
そこには溜まっていないかどうか、
そんな視点で見て回った。
溜まってるところは続けざまに雨が降ればそこは確実に溢れる。
最初っから水が吹き出してたような側溝なんかは、底に予めの堆積物が溜まってたりする。
それをのけとくだけで水は楽に流れて行く。
被災地の土砂かきも、最優先で水の流れ道の確保から始めてて学ぶことが多かった。
「いまここで雨が降ったら?」って瞬間瞬間の判断を常に頭に置いてみると、やることの優先順位はその都度自然と明確になる気がする。
復旧への活動に注力すると同時に、
考えたり整理したりすることを並行して。
作業にはいっちゃう前に段取りを描くのは自分ちのことでもボランティアのときでも一緒で、
日が落ちる前、
雨が降る前、
一瞬一瞬、どの状態で今日この時を終えたら夜の間、雨の間安心してしのげるか、そんなことをいつのまにか考えるようになってきた。
そのルーツは台風銀座の熊本で生まれ育って身についた習癖かなとも思うし、
もうひとつは、山を歩く中で身についた経験則。知らず自分の行動や判断のベースになっている。
普段は道なところが川になることを自分の目で見て、
土の削れた跡で見て、
水の力、
樹木の支え、
森の成り立ち、
山の動き、
自然の恵み、
想像が追いつくはずもない自然の営み、
畏怖の気持ち、
その一方で常に護り与えてくれる存在への感謝、その中の一部である自分との関係性。
山を歩きながらそんなことを感じていると、
街の中でもその視点や考え方は案外と役に立ってる。
間借りしてる湯来町は、
住み始めてまだ日が浅くて、
雨の前後の山や川の状態の情報量が全然足りないので、
補うための情報収集しに「噂」でおひるごはん。「噂」は70アッパーな地元のお父さんたちが朝の草刈り後にビールを飲みに集うお店。
50年以上のこの土地の歴史を知っとってん。
家の立地はハザードマップ上は危険範囲のちょっと外側。
谷筋でもなく
辻でもなく
川からの距離も高さもある。
この辺崩れたとこある?と聞いたら「ないよ」と。
「川沿いの道は年がら年中崩れるよ〜」と。
やっぱ目に見えて危ないのは道。
もちろん川の水位。
学生時代(の数閏年前、、)から、この道はよく崩れるのは知ってて、だから、土砂降りの最中、その後数日間は相当警戒する。
水が沁みてるところはだいたいネットが張ってあってだましもない。
なのでやっぱり湯来町でも、豪雨が続いて危険を感じてから移動するのはすでに危なくて、その場合は運を天に任せて自宅待機が良いということになる。
雨が続いて地盤が緩んだあとの再度の雨の場合は当然そのタイミングは早くなる。
道が崩れると不便だけど、
山はちょいちょい崩れながらも里を護ってくれてて、
そういう意味で地震が少ないこの地域は地形が大きく変わらないから危ない場所、安全な場所もある程度想定できてわかりやすい。
街や山を切って造成した団地だと(大町もそうだけど)、要素が増えるから判断に迷う部分は大きいけど、
思いつく要素をあげきっていざという時のことをシミュレーションしておくことは、
なによりも優先すべきことかなと思う。
道路の状態が普通とは違い、
車を使える使えないの状況が普段とは違い、
水や土砂の流れに加えて
車の流れの変化までも加味するとなると頭抱えてしまうけど、
細かい判断はどうしても各住居ごとに異なるから、つきつめて「いま」の判断をもっとくって大事だと思う。
行政の指示に追随するだけでは足りないと思う。「危険」が出た時に避難するのは当然として、どこを通ってどこに向かって逃げるかを決めとかないとと思う。
自分の安全は自分で確かめねば。
晴れてる間に復旧できればいいと心の底から思う。
でも、そう信じきるには被害が甚大すぎて、
昨今のゲリラ豪雨への心配が心から消えなくて、
次の雨の時までに準備できること、
心の準備、避難の準備、備えの準備ができたらと願う。
