2018年の一年間で反ユダヤ的な言動が7割増加したというショッキングな統計が公にされたばかりのフランスで、哲学者のアラン・フィンケルクロートが「ジレ・ジョーヌ」らに人種差別的なヤジを浴びるという出来事が起こりました。
煽動者は札付きのイスラム主義者であることが判明したそうですが、事態の深刻さをはからずもあきらかにしたかっこうになってしまいました。
トランプが非常事態宣言を発令したがっています。合衆国憲法には大統領の権限についてのはっきりした定義がなく、そこをついて任期内最後の一発逆転の賭けに出ようとしたものであるようです。
ポピュリズムの本質は法治主義の彼岸に立とうとすることですから、非常事態宣言はあるいみで究極のポピュリズム的な政策です。
非常事態法によって議会が非常事態宣言に歯止めをかけることができるようになっているそうですが、大統領には拒否権という奥の手があります。
リンカーン以来、アメリカの“偉大さ”は例外状態において示されてきました。来年の選挙でトランプが退場したところでアメリカでポピュリズムの息の根がとめられることは永久にないでしょう。オバマがいみじくも喝破したようにトランプは「原因」ではなくひとつの「症候」にすぎません。
そのトランプをノーベル平和賞に推薦するという恥知らずの挙に出た安倍は、自衛官募集にあたって自治体が協力を拒否しているとしてこれを改憲の大義名分に加えようとしています。
自治体が国のいいなりになるのがとうぜんだという前提にはあきれてしまいます。いうまでもなく基地問題もこういう前提のもとに処理されようとしているのです。
さらにあきれるのは、政府が前提としているデータがとんだフェイクであることです。該当住民の名簿を提出した自治体が4割を割っているとしても、じっさいには9割の自治体が別のかたちで国の要請に応じているというではないですか。
ポスト・トゥルースの風潮のどさくさにまぎれて、安倍内閣はこういう統計上のトリックを平然と正当化しています。
ただしむしろこわいのは、9割の自治体が住民の情報を政府の言うままに(間接的にではあれ)提供しているという事実ではないでしょうか。
くだんのTカード問題もそうです。運営会社は情報を警察に提供することが業界大手としての「社会貢献」になるとの偽善的な自惚れから、顧客のデータを勝手に流していたといいます。
個人のプライヴァシーを踏みにじってでも国や警察に「協力」することは昨今の風土では善行とされるようです。かつては人間ではなくイヌの仕業に帰されていた密告的な風土が日本のみならず全世界を覆っているようです。
日本人は中国のような独裁国家を理想の国家像としておもいえがいているのです。
児童虐待をめぐる通報の奨励も例外ではありません。今日のニュースでまた虐待の疑いでどこかの母親が逮捕されたとありました。通報者はさぞ良いことをしたと自己満足しているのでしょうが、前号にも書いたように虐待者は“犯罪者”である以前に保護と治療を必要とする心を病んだ人たちです。子供の救済と同時にかれら虐待者たちにも救いの手が差し伸べられなければなりません。
政府がGAFAなどのプラットフォーマーを規制する方針を打ち出しましたが、これもとんだ偽善です。
政府が気にくわないのは情報が集中することではなく、集中した情報をじぶんが利用できないことです。
法治主義国家の最大の敵といえるGAFAは、“ならず者”でありつづけるかぎりで独裁主義への最大の抵抗者でもあり得ます。
現在の世界状況のなかで重要なのは、コミュニティや企業や各種団体が国家とのあいだに最適な「距離」をおく技術であるとおもわれます。