フランスでは「ジレ・ジョーヌ」のご機嫌をとるためにマクロンが「グラン・デバ  le grand debat」の導入を唱えています。社会階層を超えた国民的議論みたいなことだとおもいますが、ポピュリストのマクロンらしい発想です。“国民の声”でものごとをきめていこうというこういう提言についてはとうぜんながら法治主義を脅かすものであるとの意見も一部に出ているようです。

 

 世界的なポピュリズムの蔓延の原因として、個人と国家の中間的なコミュニティが崩壊しているという議論があいかわらずなされています。

 

 先日、NHKで中島岳志がオルテガについて話していましたが、オルテガがすでにそういうことを言っているそうです。

 

 これを受けて中島はわれわれのたまたま生まれついたコミュニティへの従属を受け入れよみたいなコミュニタリアン的な提言をしていました。

 

 国家に対抗するコミュニティがこういう発想のなかから生まれるとはとてもおもえません。

 

 井出英策の「富山=北欧」論というトンデモ学説をみれば明らかなように、こうゆう議論は体制順応的な思考にもとづいています。かれらは市民を国に従属させるための受け皿をつくりたいだけです。

 

 コミュニティを口にするひとたちは、逆立ちした議論をしているだけのような気がします。

 

 かんけいないですが、NHKとか朝日とかのマスコミが垂れ流している“震災メロドラマ”、いいかげん打ち切ってほしいですね。

 

 主婦とかの(?)ヒマな視聴者の涙を誘おうとして被災者を紋切り型のメロドラマの役者として利用しようとするああいう演出というのは犯罪的だとおもいます。

 

 あの手の“メロドラマ”は震災を「終わったもの」として描き、視聴者や読者に安心感を得させたいだけなのです。

 

 震災の記憶を生き延びさせるために報道を続けるという姿勢はよいとおもいますが、ああいうメロドラマ化は災害への危機感を麻痺させるだけでしょう。