フランス国民の7割以上を後ろ盾とする「黄色いベスト」らがガソリン税撤廃という成果を勝ち取りました。

 

 とはいえこれを民衆の勝利として喜ぶことはかならずしもできません。

 

 政府は民衆の声に応じたというより、casseurs らの暴力行為に屈したのです。

 

 運動の勃発当初から道路封鎖によって製造業、農家などが物資の輸送路を奪われ、商店にも客足が途絶え、宿泊施設のキャンセルが相次ぎ、市民も通勤の足を奪われるといった多大な被害が報告されていたのにくわえ、よりにもよってクリスマス商戦たけなわのこの時期、破壊行為を恐れた大都市部の商店や飲食店は軒並み店を閉ざし、メトロの駅や各種スペクタクル・観光施設も閉鎖、かの国の経済活動と日常生活への脅威が深刻な事態に立ち至っています。

 

 歴史上のかずかずの「革命」はもとよりすくなからぬ民衆運動は、そこにまぎれこんだ暴力的な分子の力によって勝ち取られてきました。

 

 というか、そのような「不純な」暴力的な分子を構造的に内属させていたのです。

 

 まじめな「黄色いベスト」らが破壊活動家らの所業を糾弾し、みずからの「純粋性」をいくら主張しても虚しいだけです。

 

 デモというアナログな抗議手段に内属する身体性、物理性が暴力を必然的に伴うのでしょう。

 

 アナログなフランス人のオハコであるそのデモという抗議手段を日本人が無条件に見習おうとしているのも手放しではよろこべません。

 

 いくらSMSを駆使したところで今回の運動のアナログ性は否定すべくもありません。

 

 じっさい、「黄色いベスト」運動は数年前にブルターニュのトラック運転手らがやはり環境税に反対して起こした「赤い帽子」騒動の正確な再演にほかなりません(注)。既視感にまみれているのはとうぜんです。

 

 インターネットの世紀にみあった民衆の現れ方、身体の使い方が模索されてしかるべきでしょう。

 

 そのような想像力なしに世界を変えることはできないとおもいます。

 

 そしてマクロン政権はポピュリズムによって民主主義を骨抜きにする潮流に棹差す最たるものでしょう。財政規律も環境政策もおかまいなしです。

 

 今回の運動が直接的には環境税に端を発していることをもって環境政策への影響が懸念されています。

 

 一部の極右勢力などが経済格差の解消は環境政策と両立しないとのデマを流しているとのことです。

 

 それを受けてのことでしょう、今日付のル・モンドのオピニオン欄には「環境問題は民主主義の欠如に発するのであり、その逆ならず」「いまや不平等との闘いは温暖化との闘いに内在的に結びついている」といった見出しがおどったりしています。

 

 さて、わが国では入管法の改正案が審議を通過しました。内容的にアバウトなまま法案を通し、肝心のテクニカルな点は成立後に省令などでフォローするとかいう話です。

 

 またぞろわれわれ主権者の蚊帳の外でものごとがきめられることを許すことになるのです。あからさまな民主主義の破壊です。

 

 とはいえ、国会もマスコミもこうした政治手法だけを問題化し、移民の是非をめぐる肝心の議論が奇妙にも抜け落ちていました。野党が外国人労働者の人権を本気で心配しているようにもおもえません。

 

 われわれ一般市民はまたしても蚊帳の外に置かれているというもどかしさを覚えずにはいられません。

 

 

(注)もっとも、ジャン=リュック・メランションは gilet jauneを bonnet rouge ならぬ bonnet phrygien(フランス革命のシンボルであるフリジア帽)に喩えているようですが。