崇神天皇様 ; 「御肇国(ハツクニ・シラス)天皇」
神武天皇様 : 「始馭天下(ハツクニ・シラス~)之天皇」
何故、2つの美称が同じ「ハツクニ・シラス~」と読まれるのか❓・・・
( ̄ー ̄; 本当に、『記紀』編纂者達~ 舎人親王や藤原不比等様達は、
このように発音、読んでいたのだろうか❓・・・
( (-""-;) どう見ても、近世か近代、現代のド素人学者が勝手にそう読んだとしか考えられないが・・・)
(学者達には、""漢字の示す意味"" は、恐らく何も分かっていなかったかもしれない。。。)
(だから、現代の学者達ですら分からない・・・ お粗末な""専門"" 。。。 )
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せめて文学博士~故・白川 静博士の『字統』を研究してから臨め―― というもの。
※『字統』 : 白川文字学の集大成とされ、
本書はその""文字学"" の出発点にあたる字源の字書。
(「字源」の―― )
「漢字」~ 象形文字としての形象を色濃く遺す甲骨文・金文の構造を通じて、
更に重要な「篆書(テンショ)体」へ~
字の初形と初義とを明らかにする「字源の字書」。
(喩えるなら、その字の持つエネルギー、呪力とでも、、、それを明らかにする書。)
この内容は、漢字の本源~ 支那大陸の研究を遥かに凌駕していると思われる。
この「字源」の★感覚★をキャッチできるか否かで、
本当の""学者"" 、""研究者"" になれるか、
単なる、お勉強しました、頭の良い~モノ知り・ド素人で終わるか,,, に分かれる。
現在の日本の古代史学者、その学会は後者に相当する。
(「専門家」の""成りすまし"" レベル。。。)
たった一文字でも「漢字」の字義を疎かにすることで、
その結果は天地ほどの差が生じる・・・ Σ(゚д゚;)
単なる一美称~「ハツクニ・シラス~」程度で、躓いているのがその証。
///(o_ _)ノ彡☆ポムポム
(『字統』は、ひと昔前なら12000円くらいだったか・・・ 更に、その「普及版」も出ているので、本当に研究したい人になら、それほど高くもないかもしれない。)
(自分もかつて持っていたが、親戚に何かのお祝いで譲ってしまった。。。 惜しいことをしたと思う・・・ )
※尚、小説家-宮城谷昌光氏が、この感覚を御持ちのようで、各作品に活かされているよう。
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この2つの「ハツクニ・シラス」は、意味が全く,,,, 異なる。 (゜д゜;)
極論を言えば、""読み方"" など、どうでも良い。
当てはめられている漢字が異なる,,, ということは、
「御肇国」&「始馭天下」
その意味する内容が全く異なる―― ということ。 ( ̄□ ̄;)!!
※神武天皇様の美称~「始馭天下」には、現代では使われないであろう、、、
「馬」編に「又」の漢字・・・ (・・;)
これだけでも""駆け抜ける"" ような動的なニュアンスが感じられる。
だから崇神天皇様の「御肇国」とは、全く意味が異なってくる。
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(-"-;A 『記紀』編纂者達には、恐らく、それが理解できていたのだろう。。
相当にシビアに、漢字を選んで当てはめていたようなので――
(恐らく、藤原不比等様の""生きていた兄貴様"" がディレクターをされていたからだろう。)
(定慧様=中臣真人、ペンネーム=太安万侶様が――)
天智天皇時代の、初期~大陸=唐への留学僧。
「壬申の乱」の余波で暗殺されそうになり、
身を隠さざるを得なかった人。 //////
(中臣家や、幼少だった中臣(藤原)不比等様の上州-群馬の実家ですら没落して
苦難に陥っていたので已むを得ないが――)
基本的に、「藤原姓」は、初代-中臣鎌足様一代限りだった。
それもたった数ヶ月間だけ―― (御高齢で寿命が尽きた為。)
(不比等様が再び「藤原姓」を許されたのは、・・・数十年後のこと。)
(官吏として功績を持統天皇に認められてから。)
(しかし、例の極潰しならぬ、、、蛇人息子4兄弟の為、以降~""藤原姓"" は、原則として、日本の神々から縁を切られた。 )
古代ながら、、、「定慧様」~ この人物の才能には天才的なものがあるよう。
『記紀』編纂、律令制度の影のディレクター、藤原宮・平城京の影の構想者、デザイナー。
※「藤原宮」とは、★平城京★の為の試験都市、建築の予行演習に使われた「宮」。
(それまでの天皇の都・館と、大陸方式を導入した""都市化"" の奈良-平城京は、決定的にあり方が異なっていた。)
異母弟=藤原不比等様は、官吏(官僚)としての現場責任者。
(""生きていた兄貴様"" =定慧様に会いたければ、「談山神社」に行けば逢えるかも~ 彼女❓=孝謙天皇様と御一緒 ~)
( 参考)
■『龍宮城4連発復活作戦』(その186)-生きていた兄貴-定慧様
2018-05-18
■『龍宮城4連発復活作戦』(その187)-「神屋楯」の示すもの
2018-05-18
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( まとめ)
神武天皇様の「ハツクニ・シラス~」と崇神天皇の「ハツクニ・シラス~」とは、
元の漢字の意味が異なるから、その美称の示す意味も全く異なる。
崇神天皇様の「ハツクニ・シラス~」とは~
各地の混乱も平定され、ようやく収束に向かい、
都で政務を執れる落ち着いた状況になり始めたことを示している。
そこを▲三輪山の蛇神-大物主が狙った。
神武天皇様の「ハツクニ・シラス~」とは、、、
明らかに置かれていた状況が異なっていた。
全くのゼロからのスタートで、
1⃣ 10年近くかけて、 ~
2⃣ 日向から用心深く、瀬戸内海、本土、四国-伊予・讃岐を押さえながら、
3⃣ 大和に辿り着き、
(どこに大物主に組する敵がいるか分からなかったから。 )
(先に大物主側の軍が、四国-伊予から侵攻し、讃岐・阿波を押さえていたから。)
( 讃岐-金刀比羅宮に蛇神-大物主が祀られているのは、その為。)
(奈良時代以降~ インド神界軍により、蛇神-大物主は君臨ではなくて、封印される羽目になっていたが――)
※若き日に、女王ヒミコ様の御供で大和を訪れていた神武天皇様。
何事もなく、行こうと思えば船で数日で辿り着けた。
4⃣ その大和を奪還、平定してから、、、
5⃣ そこから各地方の混乱を平定しなければならなかった。。。
これが「始馭天下(ハツクニ・シラス~)」の示す内容。
旧友-長髄彦様は、大物主&三穂津姫のおかげで脱出された後でいなかった。。。
その混乱の中で、現代でも難所の▲生駒越え💦・・・
残された生駒の異人部隊と激突し、熊野へ迂回することになった。
かつ、凱旋して帰国・帰郷するはずだった故郷~日向の「邪馬台国」は、
自ら幕を閉じてしまった。。。💦 (帰るべき場所を失われた・・・)
※もはや「政治」の中枢~出雲帝国の再興は無理で、
祭祀宗主国(=現代の皇室に相当)-邪馬台国も存在の意義を失ったから、
( 両者は、現代日本も同じ構造だが、セットで一つ――)
「日本神界」~神々の命で自然消滅させた。
一派遣軍の大長、司令官の神武天皇様が、
邪馬台国、出雲帝国、大和の全ての遺産を背負って、
ゼロから仕切り直しする羽目になってしまった。 (´□`。)
それが神武天皇様の「ハツクニ・シラス」の意。
(これぞ、新年おみくじの""踏んだり蹴ったり"" ・・・ の如きかな。。。 )
※使われている「漢字」の原義すら疎かにすれば、全く分からなくなってしまう・・・
現代の古代史学者、専門家とやら、その学会のように。
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崇神天皇から約400年後~
奈良時代にようやく「印」・「支」・「日」の3神界が揃い、
蛇神への反撃に撃って出始めた。
※但し、反撃しても、「封印」に持ち込むのが精一杯だった。
(神々の位置付けを規定・拘束する太陽神界の『旧天命の書』を何とか破壊して書き換えない限り――)
それでも蛇神-大物主達の自由にはならなくなったことには間違いナイ――
そして現代~ 2013~2014年頃、▲三輪山浄化――
確かに、蛇神分魂群は「風穴」に消えた。
そして、同時に「国常立尊神様」(御分魂)の封印も解けた。
これは別な意味で、大きな成果となった ~
更に2023-12月頭、
ようやく、その誰も気が付かない禍々しい仕掛けの破壊と共に、
蛇神-大物主達が、その存在の最後を迎えることになった。 The End
神武天皇様は、『東征』を開始されて以来~ 約700数十年ぶりに、ようやく完了されたばかり。
その御分魂-崇神天皇様は、約600数十年ぶりに、ようやく新たな門出を御迎えになられたばかり。
大和の「赤」と「黒」の呪縛の破壊浄化とは、
このように御二方~神武天皇様と崇神天皇様に、""個人的"" にもリンクしていた。
(地上だけのことであれば、""因縁"" としか言いようがない。 )
(しかし、 相手は同じ人間というよりも、この地球という星を乗っ取ろうとした旧上位神-蛇神だった。。。)
お次は、蛇神-大物主の背後にいた親分~
▲鳥見山の東隣の「青龍寺」について。
(→その20に続く)