「成務天皇」の存在とは、、、
大和武尊様-御自身が生み出した“ペンネーム”のようなもの。
(参考)
■『龍宮城4連発復活作戦』(その168)-大和武尊様の意外な創作能力
2018-05-10
https://ameblo.jp/dzf999tea-party/entry-12374808156.html
だから「成務天皇」とは名前だけの虚構存在であり、嗣子がなくて当然だった。
大和武尊(=景行天皇=成務天皇)の嗣子である仲哀天皇がそのまま次の天皇に即位された。
大和武尊様の後年のペンネーム=成務天皇の時代に、仲哀天皇様は31歳で皇太子になり、13年を経て44歳の時に天皇に即位されていた―― とある。
実際の年齢はともかく、天皇に即位されたのは遅かったよう~
そして、九州北部-筑紫に入ってきた、海外マフィア、黒組織、更に懲りない新羅の賊対策の為に、自ら都を離れられた。
だから、都を大津から遷都する余裕は無かった。。。
上記参考記事で、「大和武尊様には小説家のような特異な創作能力がある」と述べていた。
自分自身の人生を・・・
西征で薩摩まで行かれ、兄皇子の事件で東征にも赴かれた皇子時代
天皇に即位した「景行天皇」時代
(再び九州と東国を御巡幸~~~ )
人生後期~晩年の、都での政務、創作家時代の「成務天皇」時代
~の3つに分けて伝承を残された。
理由・背景は、兄-五十瓊敷入彦命(イニシキイリヒコ-ノミコト)様の悲劇・・・
兄-五十瓊敷入彦命(イニシキイリヒコ-ノミコト)が東征に行かれて、
都に凱旋される直前に、臣下-陸奥の国司の讒言(ザンゲン)に遭い、
冤罪で、美濃国付近で討ち滅ぼされてしまっていたから・・・
※予定では、美濃 尾張
津・伊勢
大和(▲三輪山の目の前の庭先)にへ凱旋する予定だった。
(現在の「近鉄大阪線コース」 )
当時の都は▲三輪山の目の前~ 「纒向珠城(マキムクタマキ)宮」に置かれていたとされる。
JR桜井駅から北に2つ目の「JR巻向駅」を中心とした地域。
「纏向(マキムク)遺跡」がある地域。
〔纏向遺跡-辻地区〕 ※建物の向こうがJR巻向駅
邪馬台国-畿内説の候補地の一つとも・・・
※大和にいらっしゃったのは女王は女王でも、ヒミコ様ではなく、高千穂から来られた、金属精錬の★鏡女王様★。 (和名-登美夜須毘売 or 三炊屋媛)
最後のニギハヤヒ-長脛彦様の御妃様。
箸墓古墳がある地域。 (ヤマトトモモソ~ の蛇女ではなく、鏡女王様の古墳。)
墓の埋葬候補者名まで三穂津姫-分魂のヤマトトモモソに乗っ取られていた・・・
この古墳は面白いことに、JR巻向駅から真東~と、
更に▲三輪山の北隣の「穴師坐兵主神社」に「後円部」が向いている ~
(鏡を御神体にしている神社だが、由来祭神はあやふや・・・ )
※上空から見れば、山々の麓に、南 北に
「大神神社」
「檜原神社」
「穴師座兵主神社」~ と並んでいる。
「村屋座弥富都比売神社」(村屋神社)がある地域
これが本来の鏡女王様の神社。 (これも三穂津姫に乗っ取られていた・・・ )
※現在の「鏡作座天照御魂神社」は大和湖の底に当たるので、当時は存在しなかったよう・・・ (後世に替わりに別に建てられたよう。)
両神社は造りがほぼ同じ。
(和風~鳥居~拝殿、本殿だけが朱色の複数柱合体社殿)
(参考)
■『龍宮城4連発復活作戦』(その183)-「ミホススミ」続き~
2018-05-17
https://ameblo.jp/dzf999tea-party/entry-12376708188.html
尚、別ルートとしては~
美濃 関が原
米原=琵琶湖東岸へ至り、そのまま琵琶湖に沿って大津
南下して大和盆地入りすることもできた。
一足先に「纒向珠城宮」入りしていた陸奥の国司に妬まれ、讒言を奏上されて、追討軍を派遣されてしまった。
(弟皇子だった大和武尊様は、西征に行かれていて不在だった。 「纒向珠城宮」に戻られて兄の事件を知り 、激怒され
、また悔やまれた・・・
)
だから、再度~ 東国へ赴かれて、やり直しをされていた。 (東征のやり直し)
案の定~ 他にも面従腹背の輩はいた
、現-東京湾では陰化した龍王様とブツかることに・・・
そして後年~ 晩年近くの成務天皇の時代になって~
兄-五十瓊敷入彦命への想いや無念を自分自身の人生に投影されて、描かれていた。
伝承上の大和武尊様の有名な最後の場面~ 「大和は国のまほろば~ 」・・・
~とはフィクションであり、
兄-五十瓊敷入彦命(イニシキイリヒコ-ノミコト)様の想いを代弁したものだった。
※実際に、そのような目に遭われたのは、大和武尊様ではなく、五十瓊敷入彦命だった。
また、「白鳥になって西に飛び去った~
」とは~
西征で熊襲兄弟-成敗に協力された白鳥姫=球磨姫様が自分の故郷(領地)の霧島連峰-えびの市・高原辺りに戻られた事跡を脚色して使われたこと。
(後年~ 景行天皇時代に、九州巡幸の時に、御二人は再会されていたよう ~
)
そして、『日向大神界』発足の時に、「白鳥神社」で白鳥姫=球磨姫様が再び御登場 ~
「白鳥神社」に封印していた熊襲兄弟~一党の封印解除を行い、今度こそ風穴送りにした。
白鳥姫=球磨姫様は晴れて、高千穂神界の大和武尊様に御分魂を出して頂き、御一緒に ~
(これで性空上人様の肩の荷が一つ下りた。 逆に自分が背負い込んだようなものだった・・・ )
(参考)
■海人族-住吉族の故郷へ♪~(その57)-白鳥神社-謎の女神!?・・・
2018-07-21
https://ameblo.jp/dzf999tea-party/entry-12392237891.html
■海人族-住吉族の故郷へ♪~(その61)-白鳥神社-封印解除!~ (~まで)
2018-07-23
https://ameblo.jp/dzf999tea-party/entry-12392692707.html
(→その12に続く)