(恐らく、神屋楯比売様が亡くなられた後・・・ )
出雲帝国末期~ 最後には・・・
ココは例の、日本古代史と神界史に燦然とその悪名・邪名が輝いている、裏切り者というか、最初から侵入工作員のような働きをした三穂津姫の持ち物になっていた。
(神屋楯比売様の後任が
三穂津姫
だったというストーリー (゚ー゚; )
(´0ノ`*)
※ (-"-;A 神屋楯比売様=三穂津姫 という可能性も考慮したが、それは無かった。
〔参考〕三穂津姫
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「三穂津姫」とはニセ月読
の分魂=ニセ徐福の娘だったようで、これがまんまと最後の大国主命様に取り入って御妃の一人になっていた。
γ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞ
(><;)・・・
秦の始皇帝に一杯食わせて来日された「徐福」ことキョンシー道士様 ~ (^~^)/
(▲高良大社のニギハヤヒ様、織姫彦星様達と御一緒に~~~ )
(その“成りすまし”までいたとは・・・・・・ A=´、`=)ゞ )
大物主の手引きをし、少彦名命様、大国主命様が消された・・・
更に、「三穂津姫」が大物主を導いて、ニギハヤヒ様&鏡女王様の大和へ入った。
o(^-^)o
(*^o^*)
大国主命様の御妃の一人だったから、ニギハヤヒ様は大物主の軍を大和の中枢、館に引き入れてしまって、、、後の祭りということに・・・
大和で正式に「三穂津姫」は大物主の妃になった。
ついでに・・・
三輪山の目と鼻の先にある「三穂津姫」の神社=『村屋神社』※とは・・・
本来、、、鏡女王様の神社(御館)だった。 (; ・`д・´) ナ、ナンダッテー!!
エッ(゚Д゚≡゚Д゚)マジ?
Σ(゚∀゚ノ)ノキャー
※正式名称-「村屋坐 弥冨都比売神社」 (むらやにいます-みふつひめ-神社)
※神社右手に「大和川」が流れている。
※古代最大の戦い-「壬申の乱」~ 大和での転換点となった場所。
現在の鏡女王様の神社=『鏡作座 天照御魂神社』とは、後世に建てられたもの・・・
ということになる。 (´ε`;)ウーン…
〔鏡作坐天照御魂神社〕
(カガミ ツクリニ イマス アマテル ミタマ神社 )
(・・;) 実は、当時は・・・ 『鏡作座 天照御魂神社』は★大和湖★のド真ん中だったよう・・・
*゚Д゚)*゚д゚)*゚Д゚)エエェェ
(水中にでも住まわれていたのか・・・
)
「村屋坐弥冨都比売神社」は、社殿の造り、配置が『鏡作座 天照御魂神社』と似ている。
『村屋神社』がオリジナル。 しかも古代~★大和湖★の畔にあったよう。
「三穂津姫」という蛇神は大した玉というしかない、ココまでシッカリ乗っ取っていた・・・
ヘ(゚∀゚*)ノ ・・・・・・ (゜д゜;)
(´0ノ`*)
否、鏡女王様の古墳-「箸墓古墳」までパクッていた・・・ ( ゚∀゚; )タラー
(ココは現代では、分魂-例のヤマトト桃云々 ~ の古墳と考えられている。)
〔箸墓古墳〕 ※鏡女王様の古墳
A=´、`=)ゞ
凄まじい簒奪、乗っ取り力
・・・ 意外と大物主以上だったかも。。。 。(;°皿°)
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さて、(出雲)美保関-「美保神社」~
ココに一時期、出雲地方へ呼び戻された事代主命様が幽閉されていた。 /// ///
(最後に、伊豆へ追放~~~ (/_;)/~~ )
アルプス大神界-(諏訪の)建御名方神様~曰く
「神屋楯比売様の本当の御名前が、御穂須須美命=ミホススミで、出雲での養母だった。」
~と――
(-""-;)・・・
確かに「神屋楯比売」とは尊称、或いは一般名のようで、個人の名前という感じではなさそう・・・
(似た様な内容は、八上比売様の記事でも取り上げたが・・・ )
事代主命様は、2014年だったか・・・ (-"-;A
初めて関東~上州を浄化した時、三原山の火口 から御復活された。
この時、南から伊豆諸島~伊豆半島に進攻した(当時の高千穂神界軍-)アレキサンダー大王様と鉢合わせされていた。
(御初の御対面~ 事代主命様が名乗られていたので、神軍はそのまま伊豆半島へ上陸~
)
その後、事代主命様は出雲地方~「美保神社」へ戻られて、ヒッソリ・・・
(よく考えたら、この神社が事代主命様の実家だった。 ・・・ )
その後、しばらくは事代主命様の出番は無かったし、「美保神社」も放置していた。 (。-人-。)
(伊豆・丹沢の大浄化の時に、大国主命神様の御薦めもあり、御家族がいらっしゃった伊豆へまた舞い戻り ~
)
後の神屋楯比売様の処で紹介するが、ようやく「美保神社」が日の目を見る時が来た ――
(→その184に続く)