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公募で集まった皆さんのスマホの中の「大自然」をテーマにした写真で作り上げたミュージックビデオが遂に完成❣️感謝を込めて全世界に配信(最下部に「英雄伝説」の歌詞を掲載しました)

 

 

 

『英雄伝説』MV‬(全編映像)

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明治維新へと向かう日本...

 

教育で世界を支えた"枝吉神陽"に捧ぐ。

 

 

✴︎義祭同盟の創始者であり日本の未来を説いた英雄伝説

 

枝吉神陽は、佐賀の賢人の一人である副島種臣の実兄であり、彼にとっては、人生の師、正真正銘の先生ともいえる。加えて、日本赤十字社を設立した佐野常民、島義勇と同年の生まれであるが、頭脳明晰で、カリスマ性を備えていた枝吉は、同年の者からも“先生”と尊敬されていたという。そこまでの逸材、佐賀生まれで佐賀育ちの枝吉が先進的でワールドワイドな考えを持つようになったのは、なぜなのか。

 

✴︎佐賀の地で広い広い世界を思う先見性

 

当時、佐賀の武士の心構えを表した書物「葉隠」の基本的思想は、とにかく鍋島藩のお殿様第一主義を説き、恋をするように尽くし、佐賀藩、鍋島藩に奉公せよという考え方だった。そんな中、枝吉は、義祭同盟という秘密組織をつくり、年に一度、旧暦の5月25日に、今の龍造寺八幡神社に集まり、一晩中酒を酌み交わしながら日本の未来について議論したという。つまり、佐賀や鍋島家という枠にとらわれることなく、日本全体や諸外国との関係性や国益を守ることを、枝吉は佐賀の場所で考えていた。

 

✴︎佐賀の「吉田松陰」とも言わしめる影響力

 

枝吉の考えに共鳴した実の弟・副島種臣や江藤新平、島義勇、大隈重信、大木喬任など、幕末から明治新政府になる激動の時代に志を持って行動し、後に政府で重要なポストに就いていく逸材ばかりだった。彼らは枝吉を師と仰ぎ活躍した。それだけの影響力を持つ枝吉は「佐賀の吉田松陰」とも呼ばれるほど、切れ者で、対面したことのある吉田松陰も一目置いていたという。

 

✴︎体力も十分!そして愛妻家の一面も。残念なのは短命だったこと

 

枝吉は、とても足腰が強く、1日に80㎞も歩いていたと実弟の副島が回顧するほどだったという。なんと、富士山に下駄で登ったというから、その強靭さはいかばかりか!強さの一方で、愛妻家でもあった枝吉は、コレラにかかってしまった奥方を看病しているうちに自身も感染してしまい、40歳で奥方の後を追うようにこの世を去ってしまう。

 

✴︎高傳寺枝吉神陽の墓(佐賀市本庄町大字本庄1112-1)

 

愛情深く、カリスマ性もあり、先進的な視点で世界全体を見渡すことのできた枝吉神陽。もし彼が長生きしていたら、吉田松陰のほうが「本州の枝吉神陽」と呼ばれていたかもしれません。

 

 

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『英雄伝説』

作詞:吉武大地・宇都宮直高

作曲・編曲:飯田俊明

引用曲:Shenandoah(アメリカ民謡)

うた:ブラウエライター

 

大きな帆をあげて 未来切り拓く

強い志を掴む男が この地に生まれた

 

あの時 彼が見た 世界への扉

日本の風を受け 熱き想いに 身を委ねた

 

lalalalalalalala・・・見上げる空

lalalalalalalala・・・さあ未来へと

 

全ての若者に 光を与えた

時代が動き出す 幕末の夜明け 永遠の喜び

 

lalalalalalalala・・・見上げる空

lalalalalalalala・・・さあ未来へと

 

流れる河の様に遥か海原へ

有明の彼方を 見上げる空 紡ぐストーリー

 

lalalalalalalala・・・見上げる空

lalalalalalalala・・・さあ未来へと

lalalalalalalala・・・見上げる空

lalalalalalalala・・・さあ未来へと

 

世界 見上げる空 未来へ