


娘の中学受験撤退については、こちら。
娘は、受験勉強に手がつかなくなって、受験をやめた。
どうして、勉強に手がつかなくなったのか。
私、母が思ったことを書いてみる。
私の気持ちを整理するための、単なる自己満な書き物。
*
娘が、ポツリと話してくれた2つの言葉に、その理由があると思う。
小5のころの話し。
たしか、どこかに出掛けようとして、玄関を出たときに言ったひとこと。
「私だって、普通に学校に行って、放課後は友達と遊んだりしたいんだよ」
この時、そっか、娘は不登校の自分を認められない、自分を責めているのだと気付いた。
この歳で、まだ心も頭も未熟で、なんてツラい気持ちを抱えているのかと。
そんな気持ちでいることに、私はずっと寄り添ってあげられなかった。
私が将来への不安でいっぱいで、娘の心の内を分かってあげようとすることができなかった。
一番ツラいのって、ツラい気持ちを分かろうとしてもらえないことだよね。
簡単に気持ちが分かるなんて思われたくないだろうけど、私ができることは、分かろうとする姿勢を見せることだった。
あと、普通という言葉。
なにそれ?美味しいの?
要は、マジョリティーということだと思う。
不登校は、マイノリティー。
マジョリティーになりたいというのは、自然な心の動きだと思うけど、自分を認められないのはしんどい。
もうひとつ。
塾から帰って来た時に、ベッドに一緒に座って話した。
「また不登校になったらどうしよう」
そうか、そんな不安を抱えていたのか。
毎日、娘といるのに、一体娘の何を見てきたんだろう。
ほんとに、不登校を認められなかった自分を殴り倒したい。
アホか、って。
「大丈夫だよ。その時は、いっしょに考えよう」
と、返したんだけど、これは、学校に初めていき渋ったときに言うべきだった言葉だ。
大事なのはもっと違うことだよ。
不登校とか登校じゃなくて。
一番大事なのは、メンタルだよ。
自分を認められず、将来に不安を抱えながら、がんばり続けてきたんだ。
心が耐えられなくなって、勉強が手につかなくなったのだと思う。
*
そういえば、夫も私も、偏差値がどーのこーの言ってたことも思い出した。
ほんとバカだったね。
そんなものでは、娘は幸せにはなれない。
中学受験は、大半の子が苦い思いをするものだと、本で読んだ。
娘は、受験する前にあきらめた。
私は、あきらめていい、と思ってる。
娘の雄姿を見てきて、それは、私が無理にがんばらせたところがあったけど、いっぱいほめてあげたい。
電車や最寄り駅で、通っていた塾の広告を見て、娘の気持ちがざわついたときに、背中をさすってあげたい。
ざわつくのは、娘を心配する私の方かもしれない。
心配するなんて失礼かな。