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鬱の方との接し方の続きです。
先生:「鬱の方に3つのことを話すと、『それができないから鬱なんです。』って言われるわけ。『そういうことができるくらいなら病気になってない。』って。
病気ではなかった時にできていたことに体を合わせることがすごく大切なの。心が何かのきっかけで折れてしまって、治ったら朝起きたりできるようになると言う人が多いんだけれども、それは違う。
病気だとするならその考え方が病気なのよね。3分でいいから家の外に出る。そう言うことを、すでに鬱になっている方に伝えてあげて欲しい。なので、今度午前中に自然公園に行こうとか、誘うだけでもすごく有効です。」
年美さん:「なるほど。」
先生:「2つ目のご相談です。人が求める3つの幸せ(信頼感、貢献感、所属感)を学びました。自己重要感や自己有用感なども人は求めていると思うのですが、これは人が求める幸せには入らないのでしょうか?この違いを教えてくださいということでした。
まず、3つの幸せについてお話をしましょう。
信頼感:絶対的に信頼ができるという人に出会えている幸せ。つまり自分が信頼されているという幸せではないの。絶対にこの人を裏切れないという人と出会っているということ。
貢献感:自分が外部に働きかけている、何かに対して貢献ができていると確信ができる喜び。
所属感:自分がどこかに属していると自覚できる喜び。
この3つを人は求めています。信頼感、貢献感、所属感この3つをユニットにして別名をつけるなら自己重要感なの。自己が重要であるということが自分で理解できていること。
自己有用感というのは何かというと、この言葉と比較して言われるのが存在感。有用感と存在感は対比で使われる。例えば、サラリーマンの人がその企業からその人の能力が必要だと認めること。そのサラリーマンの人が事故にあって両手両足骨折して仕事ができなくなったら、企業は素晴らしいというのか?言わない。
なぜなら、組織はその人の有用感を見ているからなの。ところが、弟子が両手両足骨折しても関係ない。なぜなら存在感で見ているから。
世間は有用感で人を見ている。何もできることがなかったらダメなのか?存在感が大事なの。世間は有用感という何がどれだけができるのかということで人の価値を決めているので、人が求めている幸せの中に自己有用感が入っている。けれど、仏教はそうではなく、その人がそこにいることが幸せだということに気づきなさいということを言っています。」
区切りがいいのでこの辺で
自己だけでなく他人に対しても有用感で判断してしまいますよね。以前先生にこのお話を聞いた時に、職場でそんな事を言ってられないと質問をしたことがあります。仕事は別で、お給料を頂いている以上有用が大事。けれどプライベートはそうではないとのことでした。
確かにそうだなと思います。子供の教育の時に有用感で子育てされる家が増えるといいなと思いました。成績とか進学とかそういうことではなくて、子供の存在をただ認める。そういうご家庭が増えたらいい世の中になるだろうなぁと思った記憶があります。