瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。

下差しこちらのURLからラヂオきしわだのラジオが視聴できます。

http://www.radiokishiwada.jp/simul/

 

 

------------------

 

 

 

煩悩の仕業で家族に対してなかなか善業ができないそうです。

 

 

 

先生:「対家庭にはできにくいことでも、他人にできるんだったら順番入れ替えてもいいんですか?」

 

 

年美さん:「いいんですグッ

 

 

先生:「まずそこから始める。そうするとたくさんの幸せが年美ちゃんに返ってくる。色んなところから色んなプレゼントが届く。プレゼントで埋もれるようになった時に本当に年美ちゃんが満たされた場合どうなるのか。お釈迦様が仰っているのはココなのよ。溢れさせなきゃいけない。溢れた時になんでもできる。自分の夫にも言えるようになる。」

 

 

年美さん:「そういうことなんですね。」

 

 

先生:「幸せに溢れた時なの。空気が吸えて綺麗なお花が咲いているのを見て涙が溢れる。愛が自分のキャパを超えて全部が幸せの対象に切り替わった瞬間に誰にでも何に対しても言えるようになる。その境地に至るまで早道が

 

 

 

慈悲瞑想

 

 

 

なの。あれを頻度高く言ったりするだけで加速するの。それもあらゆる方面の幸せを願う布施業だからね。そうしたら幸せの海流に乗ることになるの。種を蒔けば必ず良いことが返ってくる。身体から溢れる瞬間がある。」

 

 

 

年美さん:「それを味わえますか?」

 

 

先生:「1日も早く私たちは溢れるべきなのよ。けれどもなかなか溢れられない。溢れる時というのは有身見を超えた時なの。肉体というものが自分ではなかったと気付く。自分は生きたいと思っているのに肉体は朽ちていく。そういうような真理に直面していく状態になった時に心の底から夫にもそれが言えたりする。なんとなく想像できるでしょう?」

 

 

年美さん:「はい。」

 

 

先生:「体が少し弱って不便になるというのは悪いことばかりじゃないのよね。人は反省しないといけないからね。反省しやすくするためにどこかの機能を取り上げられるんだと思うのよ。できる限り自分の力で生きていきたいと思うけれど、少しづつ少しづつ体が弱っていく。

 

いきなり全機能が使えなくなったら人は怒り狂うからね。だからちょっとずつ不自由になっていく。そして、ちょっとづつ周りが力を貸してくれて、私は一人では何もできないということが気づいていく。私はみんながいて初めての存在だったと気づいて緞帳が降りる。

 

この状況を迎えなくても愛溢れる形になりましょうねというのが仏教を学ぶ目標ね。小さな小さな善因を蒔きましょうバイバイ

 

 

今週のラジオ内容はこれで終わりですバイバイ

 

ちょうどこのラジオの話にリンクするのですが、ちょうど母の入院が2週間になり今日退院でした。一度死にかけたので死生観が変わったようで「ありがとう」とよく言うようになっていました。ビックリです。色んな事に気づけたようで病気をしてよかったといっていました。これも驚きです。

 

母をみて思ったのは、有身見を超えてはいないとは思いますが、確実に仏教を学んだ私より感じるものがあったんだろうなと思います。そして、母は退院時に私がいて入院道具を私が代わりに持ったり、タクシーを手配したりしましたが、私は一人で退院手続きもしないといけないんだなと。その時後悔しないようにしっかりと味わっておこうと思いました。

 

話をラジオに戻すと最近慈悲瞑想してませんでしたね。1回やらなくなると連続してやらなくなるのはどうしてなんでしょうか。私は怠け者だなぁと思います。今日からまた再開したいと思います。