瀧本先生のラジオは毎週月曜日の23時からと、毎週土曜日朝8時から再放送されます。
こちらのURLからラヂオきしわだのラジオが視聴できます。
http://www.radiokishiwada.jp/simul/
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今週のラジオ内容前半は、先日ブログにUPした虐待した親でも許して尊敬しないといけませんか?の内容でした。
ですので重複するところは割愛しています。
年美さん:「親から虐待されていた話を伺って思ったんですけど、その親も元々愛情をかけてもらっていないから愛情のかけ方がわからなくてついつい虐待になってしまう。昔先生から私たちは生まれた時レンコンのように穴が複数空いていて、そのレンコンの穴が5つあったら、1つは母親の愛情を受けて穴が埋まる。2つ目は父親の愛情、3つ目は兄弟、祖母や祖父、4つ目は社会からの愛情、5つ目は友人からの愛情を受ける。この5つの人たちからの愛情でこのレンコンの穴が全部埋まって、その埋まった上に全ての土台が作られるんだよって伺ったんですね。
この5つの愛情を認識して蓋をして、それが生活の基盤となって色々経験していけると学んだ事を覚えていて、もし母親の愛情がかけていたとしてもそれは母親しか埋めれないんだよっていうのを伺った事があって、その母親から愛情を受けなかった人はそのまま大人になると欠けたままですよね?どうしたらそれは埋めれるんでしょうか?埋めなくてもいいんですか?
埋めないと次の子供達とか周りとの人間関係にすごく関わる事なのでどうしたらいいんでしょうか?母親から愛情を受けなかったのは自分のせいでもない。生まれた環境はその子のせいじゃない。それで生きにくいと思っている人はどうしたらいいんでしょうか?」
先生:「逆にどうしたらいいと思う?」
年美さん:「気づいたらいいと思うんですけど気づけないですよね?私たちは仏教を勉強しているのでここまでたどり着けるけれども、辿り着けない人の方が圧倒的に多いと思うんです。」
先生:「そうなの。圧倒的に多い。赤ちゃんの頃は心はスカスカな状態で生まれてくる。そこに対して一つづつの信頼や確信を得て”私は母から、父から、兄弟から、友人から、いろんな環境から愛するに値する人”といういわゆる自己肯定感というか自我の確立の上に経験値を積んでいくんだけれども、それのどれかが抜け落ちているわけだよね?確信が抜けていたりする。
小さい時はそれでも成り立っていくわけよ。例えば割り箸とかマッチ棒とかで井戸の井の文字に順番に積み上げていく。順番に積み重ねていくんだけど一番したにまず平行に二本置くよね?それとクロスするように二本置くよね?最初に二本置くところが歪んでいておいても、まだ低い段階だと詰める。
けれど一定の距離以上の高さになると段々と歪んでくるよね?歪んでくるからまたバランスを取るために右のほうに肩寄せて積んでみたりする。また歪むから左のほうに寄せたりする。途中で波打ってくる。これが思考の偏り。これが悩みや苦しみ。でもそれの原点はどこにあるかというと一番下の土台。」
年美さん:「深いところにあるんですね。」
先生:「そう。深いところにある。じゃぁ、そこまで人生遡れるんですか?遡れるわけがない。じゃぁどうしたらいい?まっすぐ自分は歩んでいきたいのに、今のままではバランスを取るために右に偏り左に偏りというように微妙に変えていかなければいけない。このままだと崩壊する。どうしたらいいと思う?」
今日は区切りがいいのでこの辺で![]()
少なからず私と同じように親のことで苦しまれている人がいるんだなぁというのがわかりホッとしました。私の周りでは親子関係が良好な人が多いので。親子関係が良好な人は温和な人が多いイメージがあります。やっぱり土台が傾いていないからでしょうね。
私の場合は母だけでなく父、友人など多くの穴が今も埋まっていないので、土台の傾き加減を測定したらとんでもないでしょうね。土台が傾いている人は多分ですが小学生くらいの時からすでに生きにくいんだと思います。土台が傾いていてうまくいく時期なんてないような気がしますね。私はそうでした。幼稚園の時も転校生で友達がいなかったし、小学生の時もクラスに馴染めなかったしね。大人が見ればすぐにわかるような気がする。他人がその穴を埋めれるのであればいいのだけれども身内しか穴を埋めれないのなら、私の場合もう無理な話なので辛いなぁと思いながら聞いていました。
ラジオの続きを聞くのが楽しみです。