今日は、以前ラジオで私が破門された話題が出ましたのでその時の話を書こうと思います。(そのブログはこちら

 

 

 

 

まず、私は瀧本先生から真解学という学問を学んでいる門下生になります。(真解学については先生のブログをご覧ください)真解学東京1期生は2017/3からスタートし、このブログを書いているのが2018/8ですから約1年半すぎました。多くの方がこの真解学を学ばれる大きな理由として、人のお役に立ちたい、その方の苦しみや迷いを取り除きたいという気持ちで学ばれています。月1の授業でこの授業を会得するために毎月青森からお越しになる方もいらっしゃいます。つまり何が言いたいかというと、みんな真剣で、しかも自分のために学んでいるのではなく人のために学んでいるということ。

 

 

では、私はどうかというと自分を知るために学んでいました。何でこんなに毎日イライラしないといけないのかわからないし、何でこんなに両親のことを恨む気持ちを抑えられないのかわからない。自分でも思う。そのエネルギー違うことに使ったらいいと思うし、いまは両親と離れて暮らしているのだから、憎い両親を思い出すくらいなら自分が幸せだと思うことや未来を考えたらいい。でもできない。こんな簡単なことができない。毎日腹の立つことを思い出したり、自分の思い通りにならないことにフォーカスし、そのことがうまくいかない原因で、それさえなければ上手くいくのに、そうしたらそれを排除できるのかというような事を眉間にシワを寄せて考える人間なのか原因を知りたかった。何でこうも他人と表現方法が違うのかも知りたくて真解学を学び始めました。

 

 

まず、スタートの心意気が違うので学ぶ姿勢も全く違う。私は自分のためにやっているので、自分に該当しない内容は100%の聞き方で聞いていない。さらに、自分が分かればいいと思っているので漢字を覚えない。他人にも見せないし自分が読めて分かればいいじゃんって気軽に思っていた。なのでカタカナでもOKにしていた。先生に聞かれて答えられればいいので発音があってさえいればいい。そう思っていた。完全に学びをナメている。

 

 

さらに率直に書くと人のせいにしていると誤解されるかもしれないが、人のせいにするのではなくていかに私が愚かな人なのかという事を知ってもらうためにあえて書くと、学んでいる時先生はよく私たちの不安を取り除くために『いまは難しいと思っていてもあとでわかるから私を信じて』と仰っていた。そして他の門下生も『難しいよね。私も覚えられなくて。。。』と。お決まりのセリフ。しかし、都合よく聞く私はどう解釈したかというと

 

 

 

みんな難しいって言っているからで今私が完璧にきなくても大丈夫グッ

 

 

 

バカだ。大バカ者だ。難しいから勉強したり暗記したりしなくてはいけないのに私は怠っていた。というより破門されるまではこの学びのスタイルが間違いだということにも気がつかなかった。なぜなら、今までこのスタイルで試験を受かってきたからだ。私はIT企業で勤めている。だいたいIT企業は取得している資格で手当が増えたりする。この勉強方法のおかげで私も少しは手当をもらったりしていたし、他の人が持っていないような資格を持っていたので、逆にこの勉強スタイルは効率がいいとさえ思っていた。

 

 

 

こんなナメた学びの姿勢で半年ほど過ぎた9月下旬の週末に大阪で真解学門下生の合宿を開催することになった。しかし、当初私は週末仕事のため行けない予定だった。しかし、優しい上司が私の代わりに週末作業をしてくださることになり1泊し翌日のお昼までは参加できることになったので、法友と『良かったね音譜音譜』とワイワイ話していた。合宿中に破門されるとも知らず呑気なものである。そして事件は訪れる。。。

 

 

 

 

 

もっと書きたいのですが時間がないのでこの辺でバイバイ

 

自分を戒めるためにも、この出来事をちゃんと書きたいと思っています。このブログを書きながら、今の私も教えていただいた事を完璧に覚えるという事をしていないので、昔の自分に戻ってきているなと反省しました。自分の成長のなさに何だか恐ろしさを感じます。たぶん普通の人は1度叱られたことは繰り返さないと思うし、私みたいなミスはしないともうんですよね。何でこんなに学習能力がないというか自分を変えることができないというか。。。何なんでしょうねえー