今日のお話は以前ラジオでお話されていたお話の復習です。(その回はこちら)
先生:「例えばポンちゃんに買って行ってあげようと思った。内心は”ポンちゃんこんなの貰っても嬉しくないだろうな”って思ったとするじゃない?これって一般的には気遣いだと思っているでしょ?」
ポンちゃん:「はい。思っています。」
先生:「でも、これを仏教的に言うと”ポンちゃんに渡したら喜ばないだろうなぁ。だって趣味じゃないからなぁ”って思ったとするじゃない?でもこれは絶対こう思うはずだっていう
ポンちゃんに対する支配になる
コントロールである。これは失礼なんだって事なの。それを見てその人がどう思うかどうかという、心の動向って先にこっちが決めつけて、だから止めておこうとかは、これは相手に対する支配であるということなの。
だから、渡したいものがあったらそれをあげるの。」
ポンさん:「それでいいんですね。」
先生:「捨てるかどうかはその人次第。っていうのと一緒で”これしたら喜んでもらえるかな?これしたら嫌がられるかな。しょうもないって思われるかなとか”相手はどうでも良くて、自分が今出来ることを精一杯やるだけ。いま・今の生き方。こうしたらポンちゃんどう思うんだろうっていう考えは時間軸がズレた考え。相手がどうするかはその人の課題。」
ポンさん:「そういう考え方でではなかったですね。。。」
先生:「みんなね!」
ポンさん:「それが相手を思うことだと思っていました。」
先生:「そうじゃない。相手を思うことの課題はもっと手前で終了しているの。”これ可愛いなぁ。ポンちゃんにあげたいなぁ”でわたしの領域は終わり。だから、あげたいなって思ったからあげた。これをあげてポンちゃんが”しょうもない
”ともしも言っても、それは私の前で言って欲しいの![]()
わたしは100%反論するから
『そう思うでしょ?ところがコレすごくいいの。私コレの良さ知ってるの。』って言うじゃない?で、ポンちゃんが『でも先生。違うのが欲しかった
』って言ったら『ぽんちゃん!わかってない
』って言うこの会話が楽しい。私が良いと思っているものを紹介したいから。結果的にしょうもないってなっても良いの。『そうか!次はもっと面白いもの持ってくるわ』ってなるから。
だから、仏教ってすごく自分の範囲が狭いのね。」
全員:「なるほど。。。」
先生:「相手に喜んでもらえるかなとか考えていたらキリがない。でも、私はコレが好き
だからあげよう。以上![]()
だから、みんな自分の領域広くない?相手に対する領域がすごく広くてズカズカ入って行くよね?ズカズカ入るからズカズカ入られる。この相手と自分が混じり合っている所は争いになってるからね。自分の領域はもっと手前なんだけど、エイリアンなんか100%相手に入って行くからね。」
エイリアン:「そうですね。自分で相手の何かをぶち壊していってるなっていうのはわかります。私がもともとキツイ環境で育っているから、相手がそれで傷つくっていうのがわかってないんですよね。」
先生:「わかってないよね。」
エイリアン:「なんで今ので傷つくんだろう
っていつも思っています。」
先生:「相手をコテンパに言うのって”あなたのために”でしょ?」
エイリアン:「そうです。気づかせてあげなきゃって思うから優しさで言っていて、私がちょっと早口だからかしらね?新幹線のように言っちゃうから多分傷つくのかしらね?だから、トロッコ列車のようにゆっくり言ったらいいのかしらね?例えば、私は4文字くらいしか言っていないのに、相手が爆破しているときがあるからおかしいなぁって不思議に思っています。」
先生:「不器用なのよね(笑)」
エイリアン:「不器用なのに、みなさんから頭がいいって言われるのが不思議です。」
先生:「それがエイリアンだからそれでいいのよ
」
今日は話の区切りがいいのでこの辺で![]()
明日は私のブログを読んだ方が先生へ質問をされたそうでその質問への回答のお話になります。
それにしても、私の中では頭がいい=器用な人なので、不器用で頭がいいというのは納得がいかない言葉ですね。だったらバカで器用いい
と思ってしまう。。。
器用だから頭がいい。不器用だから頭が悪いのでは?とラジオの収録中反論したくて仕方なかったのをこらえていたのを覚えています。なんでこんなにしょうもない自分の意見を言いたいのか![]()
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以前ブログに書きましたが、親から知恵遅れだと言われて育ってきたから、親から言われて来た逆の言葉を言われると反論したくてしょうがないんでしょうね(笑)早く過去を過去にしないと。。。