「受けた恩は石に刻め」
とよく言った。俺の人生で両親を抜きにしたら、大山館長ほど俺に影響を与えた人はいない。
そして、「受けた恩は石に刻め」という言葉を教えて頂いただけでも、大山館長に御会い出来て良かったと思っている。
そして、これもよく言ったのが
「君っ!龍だってね、雲が来ないと天には舞い上がれないんだよ!」
という言葉。
そして、大山館長が言う「雲」とは多くの応援してくれる人々のことだったと思う。
もう、その頃は、大山館長は、西池袋の極真会館も建てて、本も何冊か出て有名人だったよ。
それでも、政治家の毛利松平先生はじめ、大勢の人々の支援があって、世間における「大山倍達」が成り立っていることを忘れたことはなかったね。
若い人々や子供たちの夢を壊さないように、強くて偉く振る舞うことはあったかも知れない。
だけれども、支援してくれる人々への恩義を忘れなかった。
だからこそ、お亡くなりになるその日まで、いや、亡くなったその後も「武道の巨人、空手の偉人、大山倍達」であり続けた訳だ。
空を飛ぶ鳥も同じ、大空に自分を押し上げてくれる風があって空を飛べる。
有名人、有力者が人生で墜落するのは自分を押し上げてくれる人々や家来の恩を忘れるからだよ。
見てると、だいたいそうだね。
龍が雲の力を忘れ、鳥が風の恩を忘れて、自力で飛んでいると自惚れて、人か自分を陰から下から後ろから支えてくれていることの有り難さを忘れて、雲や風や応援してくれる人をかろんじるようになる。「全部、俺の力だ!」と馬鹿な錯覚を起こし、「有り難いこと」を「当たり前」だと馬鹿な勘違いをする。
応援するのが嫌になった雲、風、人が去っていけば、龍も鳥も人も天空から地面へまっ逆さまに堕ちて叩きつけられる。
極めて当たり前のことだ。
上に立つものが幸せでいたかったら、お世話になっている人達や自分の下の者の恩を石に刻んで忘れないことだね。
(聞き書き 不動武)
