●陳建一さんとの思い出♪房州海老の話。
一月ほど前に、陳建一さんがお亡くなりになりました。
心よりご冥福をお祈り致します。
陳さんには本当に感謝しなくてはいけません。
今でこそ、南房総産の伊勢エビを「房州海老」を呼ぶことが広まりましたが、ここまでメジャーになったのは陳さんのお陰です。
15年くらい前に、観光協会の企画部のメンバーで、伊勢よりも千葉県の伊勢エビの漁獲高が多いのに、何故未だに「伊勢エビ」と呼ばれ、「千葉エビ」とか「房州海老」と呼ばれないのか、と言う話になりました。
ズワイガニは「越前ガニ」や「松葉ガニ」と産地の名前が付いてる物もあるのに、何故「伊勢エビ」はそう言われないのかな、と言う事が始めです。
歴史を紐解くと、鎌倉時代には「鎌倉海老」と呼ばれたこともあったとか。
その時の政権に近い産地の呼び名になるのかな?と思い、それでは江戸時代には「房州海老」と呼ばれたかと思いましたがそんなことはありませんでした。
では、伊勢の伊勢エビと南房総の伊勢エビの違いは何か?
漁協の人達に聞いてみると、
1)色が黒い
2)実が甘い
とのこと。
そこで、実際に旅館組合のメンバーで伊勢に行って、伊勢エビを食べました。確かに、南房総産の伊勢エビの方が伊勢の伊勢エビより黒かった。
でも味の微妙な違いはわかりませんでした。
何故黒いかというと、他のエリアの伊勢エビよりも浅瀬に住んでいるので、日に焼けて色が黒いのだそうです。
同じ千葉県でも御宿やいすみの伊勢エビは黒くないんです。面白いですね。
さて、そんな房州海老を売り出そうと観光協会の企画のメンバーでパンフレトを作ったり、宿泊プランを作成したりしていましたが、ぱっとしませんでした。
そんな時、テレビ朝日さんの旅行番組から取材の問い合わせが当館にありました。
そのディレクターさんが当館に事前に泊まってくれて色々お話しをしました。
その際に、房州海老を売り出したいとの話をした所、その方が陳建一さんをよく知っていて、番組の中で房州海老を紹介してくれることになりました。
数日後、観光協会の会長と企画部の部長と僕の3人で(僕は部長だったか、副会長だったかのどちらかでした。で、どっちかは盟友のH君でした)。
H君の車で赤坂の「四川飯店」に地元産の大きな房州海老を何匹も持って行くことになり、車にはディレクターさんがカメラを持って一緒に乗りました。
「房州海老を売り出すドキュメント」みたいな番組です。
四川飯店に到着し、初めて陳さんにご挨拶しました。
あの「料理の鉄人」で、いつも見ていた満面の笑顔で僕たちを迎えてくれました。
すぐに僕たちの持って行った「房州海老」を中華料理に調理してくれました。
テレビで見ているように、大きな中華鍋でさくさく炒め始めました。
そしてそれを実際に試食させて貰いました。
とてもおいしかったのを覚えています。
最後にはチャーハンと名物の麻婆豆腐も出して下さり、すっかり陳さんに魅了されました。
その後、実際に陳さんが千倉にお越し下さり、漁協の房州海老が入っているプールを見学したり、港で房州海老を料理してくれたりして、それが番組になり、放映されました。
お陰で世間で「房州海老」の名前が広まり始めました。
本当に感謝です。
その後、陳さんは南房総産の房州海老を気に入って下さり、四川飯店や系列のスーツァンレストラン陳で、房州海老を使ってくれました。
しかし、何故かいつも僕に電話がかかってきて、僕が漁協に注文して発送していました。札幌や長野、福岡、名古屋など日本各地に送りました。
でも僕は中間マージンを一円も貰ってませんよ(笑)。
日本全国にいくつもあるお店から直接僕宛に電話がかかってきたりしたので、結構忙しかったのを覚えています。
当時は房州海老の値段が安かったので競争力がありましたが、翌年は値段が上がってしまい、やがて注文も途絶えてしまいました。
いい経験をさせて頂きました。
実は僕が加盟している「全国旅館ホテル生活衛生同業組合」の本部ビルの5階と6階に四川飯店さんが入っているんです。
陳さんとお知り合いになる前に、旅館組合の懇親会で何度か利用したことがありました。
今でも陳建一さんの笑顔を思い出します。
ありがとうございました。