●明治学院大学時代(その3)
明学時代は京王線を利用していましたので、明学に行くには、京王線を明大前で降りて井の頭線に乗り換え、渋谷から山手線で目黒下車。
そこから学校まで徒歩でした。
当時、明学に行くにはJRだと目黒駅か五反田駅で降りて徒歩が普通でした。
15分くらい歩いたので、往復ですと毎日結構歩いていました。
今の目黒駅とは若干違っていました。
東口を降りると駅前はロータリーになっていて、大きな「百万弗ビル」と言うビルの1階にマクドナルドとパチンコ屋の入ったビルがありました。
10階建て以上だったと思います。とにかく目立つビルです。
その前を通って毎日通学しました。
確か「銀座アスター」や「つけ麺大王」の前を通って通った記憶があります。
「八芳園」の前も歩いた記憶があります。
軽音学部のロックセクションは正門を入ってすぐ右側にある「ベル芝」という学食みたいな場所が溜まり場でした。
そこでランチ食べたり、バンドの打ち合わせしたりしました。
聞くところによるともうベル芝はなくなったそうで、残念です。
学校の雰囲気は同じミッション系でも立教とは違い、落ち着いてました。
高校も同じ敷地内になるのですが、わさわさした感じはなく、時間がうるやかに流れている感じがしました。
バンドを掛け持ちしていて、練習も毎日あったし、授業も目一杯取っていたし、時間はなかったはずですが、思い出の中ではとてもゆったりした明学時代の印象があります。
軽音学部の新歓コンパは以前もこのブログで述べたのですが、渋谷で行われました。
確か、年末の忘年会は「百万弗ビル」の上の方にある居酒屋だったか、ホールを貸しきりで行った記憶があります。
何せ、「ロック」、「フォーク」、「ジャズ」、「フーション」、「カントリー」などのセクションの全員が集まりますから100人以上いたのでは、と思います。
ステージでは酔いが回って最高潮の先輩方の演奏も行われました。
ローリングストーンズの「悲しみのアンジー」はそこで初めて聞きましたが、酔って演奏するせいか、ずっと「アインジー、アインジー」って歌ってたのを覚えています。
ドゥービーの「リッスントゥザミュージック」や「ロングトレインランニング」は「カントリー」セクションのバンドが演奏してました。
「ロック」セクションではないんですね。雰囲気はカントリーと言えばそうですが、ロックだと思うんですよね。
どの体験も新鮮でした。
初めての東京生活。
懐かしい思い出です。