南房総千倉・魚拓荘鈴木屋 ・ さざえのつぶやき(ブログ)・ お魚料理をお部屋か個室で楽しむ宿♪ 

魚拓荘鈴木屋 ロゴ





南房総市千倉で【旅人の宿 魚拓荘鈴木屋】


と言う旅館を営んでいる若旦那、千倉さざえ(男)です。

最新の南房総情報やランチ情報、癒しスポット、宿泊プラン等、


現地在住ならではの情報を発信。

庖丁式、親父バンド、サッカー、母校・立教大学の事等も♪







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【安心情報】


情報がないのは心配。だから情報を集めました。


魚、野菜、水には常に気をつけています。


仕入れにも十分注意しています。





◆距離◆


当館のある千倉から福島の原発までは約300キロ。





◆空気(放射線量)◆


当館から約60キロ離れている市原での千葉県の検査結果





◆水道水◆


千葉県の検査結果(南房総市)





◆農産物◆


千葉県の検査結果





◆水産物◆


千葉県の検査結果




房総半島の沖には「黒潮」と言う強い海流が南から北へ流れています。


つまり北から流れてくる水は犬吠埼のあたりでブロックされ、東へ流れて


いく事になります。


ちょっと安心ですよね。



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◆交通情報◆


南房総市のホームページより












◆サーファーの方へ◆


◎千倉界隈の波情報




◎台風の進路予想




◆近くのスポーツ施設


体育館や野球場、グランドなど





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魚拓のある宿だから 魚拓荘鈴木屋




明治32年創業、千葉県南房総市千倉。


日本で唯一、料理の神様 高家神社(たかべじんじゃ)のある街・・・





16室の昔ながらの小さな旅館。





かつて千倉漁港は千葉県の3大漁港として、栄え、それは活気に満ちていました。


当館の初代は四国・丸亀藩の出身で、この千倉に居を構え、


最初は漁師さん相手の料理屋として創業しました。





漁から帰った漁師さんたちは魚を売ったお金で当館の宴会場で毎晩のように宴会だったとか。


やがて、その魚を買い付けに来る商人さん達が泊るようになり、料理旅館となっていきました。


以来、代を重ね、私で4代目となります。


私の祖父が高家神社奉賛会の会長をやらせて頂き、父もその職を引き継ぎました。


今、奉賛会自体がなくなりましたが、地元の調理師さん達で「たかべ庖丁会」と言う


組織を作り、包丁式の技術を地元にも残そうと努力しています。





千倉港にあがる新鮮な魚介類や地元の野菜、お米を中心としたご夕食はお部屋か個室で。


当館では、ご夫婦やご家族の皆様が誰にも気兼ねすることなく、ゆったりとした時間をお過ごし頂けます様に、スタッフ一同お手伝いさせて頂きます。





庭から引いて沸かしているお風呂は身体が芯から温まり、一晩中ご利用可能。


商店街の真ん中にあり、地元の商店での買い物もまた楽し。




釣りのできる千倉港、サーフィンや海水浴にお薦めビーチまでは徒歩約5分。





疲れが溜まったら、ぶらりと保養にいらして下さい。


【魚拓荘鈴木屋】は ”旅人の宿” でありたいと思います。







★部屋数 16室


★お風呂 2か所


★宴会場、会議室あり(無線LANあり)


★駐車場あり





http://www.gyotakuso.com/





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千倉の小さな酒屋・のむのむ便り
お酒、ビール、焼酎を入れて貰ってます。
 ライターのKさんは京都出身♪


 








コンサルタント藤村正宏のエクスマブログ








    
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●お一人様ご利用 「海の幸コース」 のお刺身盛り合わせ♪

当館は漁師さん相手の料理屋として創業しました。

その後、港にたくさん揚がる新鮮な魚介類を買い付けにくる方々をお泊めするようになり、旅館部も始まったと父に聞いています。

と言う訳で、昔からお仕事関係のお一人様のご宿泊も非常に多いです。

現在は、お魚料理を召し上がりに来るご夫婦もしくは男性や女性の小グループのお客様が多いとはいえ、特に平日は男女問わずお一人様にご利用頂いております。

ありがとうございます。

バイクや自転車でいらっしゃる方、サーフィンの方、ドライブの方、各駅の電車旅のお客様など、皆様色々です。

 

こちらは先日、海の幸コース、お一人様でご宿泊の時のお刺身一例。

 

5種盛り刺身、イサキ、カジキ、鯛、金目鯛

 

左側の姿の隣は「イサキ」。

その右上は「カジキ」

下が「鯛」。

カジキの右側で皮が付いてるのが「金目鯛」。

その右の花造りが「カンパチ」。

5点盛りです。

 

おいしそうでした!!

 

【魚拓荘鈴木屋】

 

【宿泊予約】

●ブラスパロットの奇跡♪

もう40年以上前になりますが、大学4年生の時、JRお茶の水駅・聖橋口の

目の前にできた不二家のレストラン「ブラスパロット」で一年間、アルバイトしていました。

僕の所属していた大学のゼミのOBが当時、不二家さんに勤めていて、新規オープンのメンバーを募集していました。

ゼミの時に教授がゼミのメンバーに、誰か手伝ってくれないかと聞きました。

僕は3年が終わった段階で、卒業単位は全部取っていて、4年次はゼミに出てゼミ論を提出すればいいだけでしたし、3年生まで2年間やっていた婦人靴のダイアナのアルバイトも終わっていましたので、「やります」と手をあげました。

結局4年生では僕一人、3年生から一人、オープニングスタッフとしてブラスパロットに参加しました。

この話は過去数回、このブログで報告させて頂きました

オープニングスタッフでしたので、アルバイトとは言え、当時銀座にあった不二家本社で研修を受けました。

トレーの持ち方や料理、ドリンクの提供の仕方など、翌年、ホテルに就職する予定だった僕にはいい体験になりました。

 

全員が同時スタートのアルバイトですから、みんなが仲良くなりました。

社員さん以外では僕が大学4年生で、一番年上。

他の方たちは高校卒業したばかりの人たちや、短大の1年生の女子や、演劇のプロダクションに入ってるひとなど様々でしたが、みんな仲良しでした。

仕事終わりにカラオケ行ったり、何人かでディズニーに遊びに行ったりしました。

僕の大学4年生の一年間は、池袋ではなく、お茶の水で過ごした時間の方が多かったかも。

 

4年の卒業とともに、アルバイトも辞め、ブラスパロットに行く機会も少なくなり、そのうちにブラスパロットはなくなってしまいました。

 

当時から今まで連絡を取っている友人は数人いますが、ほとんどの方とはもう連絡が取れなくなりましたので、ブログの中で連絡とりたい旨を記載したところ、なんと数名と連絡が取れました。

そのうちの一人はオーストラリア在住だったのですが、帰国時に魚拓荘鈴木屋に泊りに来てくれて今ではラインの友達になっています。

 

そして数日前、突然別の昔の仲間から電話がかかってきました。

やはりブラスパロットで出会って、今まで付き合いが続いていた4人のうちの一人がウェブでブラスパロットを検索したら僕のブログが一番上に出てきたとのこと。嬉しいですね。

来年、その仲間たちも泊まりに来てくれることになりました。

こんな奇跡ってあるんですね。

4人のうち、一緒に仕事したのは一人だけですが、他の3人はどうやら僕と入れ替えで入ってきた方たちの様です。

でも社員さんの話や、メニューの話で盛り上がりそうで、今から楽しみです。

 

1983年にブラスパロットで働いていたメンバーの方々!

このブログ見たらメッセージ下さい。

僕は当時、神野マネージャーから「けん」と呼ばれてました。

 

お茶の水駅前のビル、ディスクユニオン

■このビルにブラスパロットはありました

 

 

【魚拓荘鈴木屋】

 

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●ジェフユナイテッド千葉、J1 昇格おめでとうございます♪

ジェフユナイテッド千葉が、悲願のJ1昇格を成し遂げました。

おめでとうございます。

J1には千葉県から2チームが加盟していて、流石サッカー王国と思っていましたが、2009年にその2チームともJ2に降格していました。

柏レイソルはその後比較的早くにJ1に昇格しましたが、ジェフは長いJ2生活が続いていました。

僕にとっては、場所的に柏より市原・千葉市の方が近いし、フクダ電子アリーナには何回か試合見に行ったことがあるので、ジェフの方がホームチーム感があります。

 

僕が子供の頃は、高校サッカーと言えば、神奈川、埼玉、千葉、静岡に名門校が多く、サッカーが盛んな県のイメージがありました。

でも今年のJリーグはJ1、J2とも茨城をホームタウンとするチームが優勝ですから茨城時代ですね。

 

長いJ2時代から念願のJ1復帰。

これからも大変ですが、頑張って下さい!!

 

僕は高校生になり、サッカー部に入りました。

ポジションは左のバックス、今で言うディフェンダーですね。

当時、サッカー部ではセンターフォワードが一番目立つし、上手な人のポジションでした。

バックスはと言えば、どちらかと言うとドリブルもそんなにうまくなく、足も速くない人がやるポジションでした。

僕もそうで、中学時代は百貫デブと言われるほど太っておりましたので、足も遅く、サッカーは高校生になって初めて始めたスポーツでしたので、ドリブルも上手ではなく、まさに当時の典型的なバックス選手でした。

でもキック力はそれなりにありました。

当時の戦術ではバックスは相手ウィングのボールを奪ったら、長友の様に相手のフィールドまでドリブルで持ち込むなんてことはやってはいけません。すぐに相手陣内奥まで蹴りこむことが良しとされていました。

そういう面ではそれなりのボールを蹴れてたかもしれません。

 

大学ではFC立教と言うサークルに所属していました。当時、僕らの学年は10人くらいいましたが、先輩は全部で10人に満たず、もう一つのサッカー愛好会は40人以上いたと思いますので、FC立教は小さなサッカーサークルでした。

最近、ネットで見たのですが、現在はFC立教が約180人、立教サッカー愛好会が約120人と、逆転してるんですね。

びっくりしました。

 

今は地元で40歳以上のおじさん限定の「オーバー40」と言う集まりに入れて頂いていて、月に2回、サッカー(フットサル)をやっています。

 

若い人たちのトリッキーなフェイントに付いていけないので40歳以上としたのですが、このサークルももう20年くらい続いていて、最近は40歳でも十分トリッキーな人が入っていらっしゃいます。

そして、還暦になった人には赤い60のナンバーのTシャツをプレゼントしてくれます。

体力の続く限り続けたいなと思っています。

 

サッカーユニフォーム姿でボールを持つ人物

 

【魚拓荘鈴木屋】

 

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