仕事で忙しくなると、
なんやかんやでイライラしたり、
アンテナをしっかりと張れなかったり、
できるだけ無駄なものを削ぎ落とそうとしたり、

そんななんやかんやで、
感受性ってのぁ少しずつ減っていくもので。



でもさ。
やっぱ、
心を震わせるものをビビッと感じたり、
やわらかな刺激にニュルッと溶けてみたり、
二度と無い何かにギュッとしたりとか、
そんなこんなしていたいじゃん。

日常のあちこちにも、
そんなもん腐るほど積み重なってんだからさ。



そんなわけで、
感受性を取り戻すために、
旅に出たり、
音楽を聴いたり、
くだらないことを言ったり、
恋をしたり、
無茶をしたり。

それは、人間にとって、感受性回復プログラムなんだぜ。
そうなんだぜ。



歳をとればとるほど、
いろんな経験とか、
いろんなしがらみとか、
いろんな理性とかが、
サランラップを眼に貼り付けてくみたく少しずつフィルターばっかかけていきやがって、
んで、
いつの間にか不感症、なんてそんな話。

心を勃起させていかなきゃ、
人生なんてなんも気持ち良くなんかないんだぜ。


だから。
日々。
日々。
すり減らした感受性を取り戻しながら、
心は過敏なくらいでいれたらいいなぁ、と思うのだけれど。
けれど。


できてるかなぁ?
会社までのいつもの道。

開けた空に、桜が満開だった1月前。

今日気が付いたら、
傍らのアーチには藤が鮮やかで、
すっかり緑だけになったエゾヤマザクラの木が、
あんなに開けてた空を覆い隠してた。


いつの間にこんなに伸びてたかな?




昔から言われるのは、
いつも見てるから、
変化に気付かないんだぜって。

そうかな?



たとえば、
いつも一緒にいるコが髪型を変えたのに気付かなかったりするとかなんだとか。

俺らは目をこらしているもの以外には目なんて見えていない生き物で。
目に映っているものなんて何も見てなくて、
頭の中にある、過去のスタンダードな姿を頭の中でこねくり回してるに過ぎないので。



大事な何かを手に入れた時に、
もいっこ大事な何かを手に入れようとして、
或る朝、
気付いたら、
最初の大事な何かは、
自分の思っているものとすっかり違った形になってたりとか。



あの頃の気持ちは、
変わらないように精一杯、精一杯して、
そんで初めて変わらずにいられるんだぜ。



愛情も、
欲望も、
倦怠も、
飽食の時代sa。
そうなのsa。



或る日は今日?
毎日こんな時間まで仕事とか。

昼は行き交う人々に辟易する札幌駅周辺も、
会社から帰るこの時間には人っ子一人いなくて、
なんだか偉くなったような気分と、
なんだか孤独の絶縁にいるような感覚と、
両極端に二つが混ざり合って、
いろんなことを思い出したり、
いろんなことを夢想したり、
いろんなことを絶望したりする。



なんだかんだでネオンが影響してるのか、
晴れてるはずなのに星が1つ2つしか見えない空。


なんとなく無意識に小島さんの「恋の極楽特急」を口ずさんだりなんだったりして。


最近、
なんだか落ち着く場所ってのが何処なのかわからなくなったりして、
いろいろ思うこともあるけど。


自分のあり方は変わらないのは、
いつだって知ってる。

結論なんて無いから、
その過程で、
いつでも泣いて泣いて泣いて泣いたりばっかでも。

結論なんて出しちゃったら、
そこではい、終わりって。
泣くことすら出来なくなんだぜ。


俺が俺だったり、
誰が誰だったり、

喜べるのも、
悲しめるのも。