乗り遅れっちまったかなしみに。


眼の前で、バスが行ってしまうのは、
それは哀しいものです。

走っても、走っても追いつけない、この哀しさ。
それはまるで、チャンスの神様の寓話や、
去ってしまった恋人への未練にも似ています。

計画は、
台無し。


でも、
更地の上にしか、
バベルの塔は建たないのです。




バスに乗り遅れて乗った南北線にて。


だい。
いつか晴れた日に、君と野に咲く花探そう。


はい、御存知、達郎さんの「いつか晴れた日に」の一節ですが。

野に咲く花を探すというのは、もちろんメタファーでありまして、
それが、ぶらぶら散歩をするでも、
公園でのんびりするでも、
行為は何でも良くて、
それが「幸せを感じられること」に各自が置き換えればいいわけで。

そこで、冒頭の一節を、具体的に頭の中でイメージして下さい。


その時に、
一緒に野に咲く花を探す「君」は、
誰を思い浮かべましたか?


それが、
間違いなく答えです。



と、
めぐぅの文章にインスパイアされて、
「晴れ」をテーマに短文を書いてみましたが。

D’s Ave.時代からかれこれ12年文章を書き続けてきて、
こういう文体で文章書いたのは初めてなので、
キャラじゃないね!そうだね!


まぁ、
人間ってのぁ、インスピレーションの生物なので。
ある意味で、
五感を通したもの全てが、
それぞれのオリジナルなインスピレーションのバイアスを通した、
勝手極まりない感覚の産物に過ぎないので。

同じものを見ても、
同じ言葉で表現しても、
厳密な意味で「他人と同じものを共有している」ということは皆無であって。

だったら、
それが想像だろうと妄想だろうと構わねんで、
自分の中で勝手にいろんなもんを弄くり回しちまえばいいでしょ、
って思うわけです。

だから。
人間にとって、大事なことは、
「何を思うか」
に尽きます。

それが許されることだったり許されないことだったり、
何だったりかんだったりで、
他人に対して自分の気持ちを誤魔化すこともあれば、
自分に対して自分の気持ちを誤魔化すこともあります。

でも、
どんな事を思うにせよ、
少なくとも、それを思っているのこそが自分なので。

それを思っている自分を、
少なくとも自分に対しては誤魔化したりしないで、
いつでも、
大好きで、
いてほしいな。
って、
いつも思うよ。



そんなこんなで、
かれこれ10年くらい、
自分の中のテーマは、
「やさしくなること」
でした。

その中で、
他人にやさしい気持ちになるためには、
自分にすごくやさしくなれなければならない、
というポリシーだけは貫いてきたつもりだけれども。
でも。

少しは、やさしいひとになれてるかな?



そんなこんなを思う夕暮れ。
鴫立つ沢でも、
浦の苫屋でもない、
無機質な巨大コンクリの中だけど。



今夜は、
先月で他部署に異動したコの送別会。
思えば、
自分もすっかり年月が経って、
来る人、
往く人。


お酒を飲むのも何気に久々なんで、
ほろ酔うぞいっ!
土曜日。

すまん。
今週は休ませてオクレ。
とて、
緊急呼び出しが無いことを祈りつつ、
十勝岳まで入浴に行く。


幸いにして、
道中、電話対応で何とかなるレベルの連絡しかなく、
無事、夜には十勝岳到着。


一息ついて、酸性の湯をたたえる、ぬるめの露天に腰掛け、ふと見上げると、
満天の星空。


昼は、雲一つ無いという形容がこんなに相応しいのも無い、
というくらいの快晴だったから、
こんなにプラネタリウムみたいな星空になるのも、
そりゃぁ、そうなのだろうけど。
でも。


札幌で31年前に生まれ、
札幌で31年間過ごしていると、
星が見える、
っていうだけのことが、
こんなに特別だよ。


それはきっと、
海が見えてきてはしゃぐ心を、
海の何がそんなに嬉しいの?
って、
港町育ちのコにたしなめられるように、
世の中の半分とかそれ以上の人にとっては、
当たり前のようにそこにあるものなのかもだけど。


きっと百年とか二百年とか前までは、
どこにいても、
見上げればそこは星空。


そんな、
変哲も無い当たり前のことに、
特別と感動できる喜びと、
そんな、
変哲も無い当たり前のことが、
特別になってしまった悲しみよ。




札幌の空は、
今日も、薄い色だ。