人間はあんまり考えてはいけない。
考えるとろくな事が無い。
それは、たぶん、全ての人が理解していながら、
それは、たぶん、全ての人が実行できない命題。

抑圧は絶対的なものでは無く、
他者との関係に生じる相対的なもの。
相対的なものを解消するには、
絶対的なものへ転化させてやればいいわけだが、
自我という存在そのものが相対的なものでしかない以上、
そこのジレンマに閉塞されるのは不可避。


或る人は云う。
「考えろ。考えるんだ。」
或る人は云う。
「考えるな。考えないんだ。」

バランスなのかい?そうなんだね。
バランスという名のアンバランスのもとで、
我々の精神の均衡が保たれ、
我々の精神の安定が阻害される。
何かを規定しようという作業上の二律背反。
解決策は毀己?


レゾンデートルが追いつけない速度で転がってる。
何くに於いて、
如何なる断に拠りて、
己の立ちし場を信ぜんと欲すれば良いか。


何を思うにしても、
結局はそんなのは、
自信と卑下の間を征き戻るロプノール。

諸事を顧みて、どんな土台を自分の中に設定したところで、
そこに確かな何かが無ければ、
そんなんは結局、砂上の楼閣。


積み上げても、積み上げても、
すぐに一からの賽の河原。
積み上げるという失望。
積み上げないという停滞。


揺ら愚馬鹿離の日々。
例えば、全ての物理的物質が、
分子を透過した光の結像に過ぎないように、
結局は、全ての観念的存在も、
脳内を透過した感情の結像に過ぎないわけで。

それならば、
何がどう形成するも、
何がどう罅割するも、
何がどう安定するも、
何がどう崩壊するも、
そんなのはそれぞれの脳内で生み出したステータス。

ドーパミンや、
セロトニンや、
アドレナリンや、
そんなモノアミンがシナプスを通って、
そんで、泣いたり、笑ったり。

ちょっとしたはずみで、結果なんてどうにでも変わる。


不確かなものに何を期待して、
不確かなものに何を失望する?