松山千春 東京厚生年金会館ファイナリスト | 人は誰も君のブログ

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松山千春、浜田省吾、
昭和アーティストのライブ、作品を中心におもうまま語っていこうと思います。宜しくお願いします。






松山千春の東京年金会館ファイナリストは

映像作品にもなっていて当時の様子が伺える

ふと松山千春でこの東京厚生年金会館ライブで

感じる事ですがセールス面で勢いのあった頃

日本武道館でなく松山千春は関東のメイン会場

として東京厚生年金会館を使用してきた

1980年代前半までなら余裕で日本武道館を

ソールドアウトする力があったにも、頑なに

東京厚生年金会館公演を使用し続けた


イベンターとかの関係もあったのかもしれな

が当時不思議に思ったものだ

関東エリアで大会場といえぱイレギュラーで

日比谷野外音楽堂ぐらいで東京国際フォーラム

を使用するまではとにかく東京厚生年金会館だ

った記憶がある


1980年代後半から秋ツアーは3daysが恒例とな

り、そのファイルはツアー最多のセットリスト

を披露しツアーの事実上のファイナルを思わせ

る、とっておきのライブ空間を演出してきた


やはりキャパでなく日本の中心かつメインな

会場としての歴史と品格を創り上げてきた

証ではと感じた


だからか、この会館に思いれがある全ての

観客なら泣かれるだろうなと

号泣して当然だろうなと

またそんな思いでライブに参加され続けられ

た事に尊敬の念を抱きます

代わりに関東メイン会場となった東京国際

フォーラムは東京厚生年金会館につぐ名会場

になるのだろうか

そんな未来想像してみる


確かではないですが東京厚生年金会館の

連続公演としてはチャゲ&アスカが10周年の

時に10連続公演を達成したと記憶する

松山千春の5day公演を抜いたと思った

最多公演数はさだまさし

最多連続公演はチャゲ&アスカ


しかしファイナリストは松山千春


勢いのあった時代に日本武道館など大会場に

シフトしてたらファイナリストの栄誉は

松山千春に微笑まなかったかもしれない


またセトリは17曲


松山千春の東京厚生年金会館の歴史において


17曲はあまりに少なすぎたが、よく見ると


考えにくく考えぬかれた選曲となっている


「父さん」「大いなる愛よ夢よ」個人的に


この2曲が松山千春の会館への感謝と別れ


だったと思います