1 怨み
いったん怒りがうまれたらなかなかきえなくて、何日でも何ヶ月でも一生でも続くこと。

2 軽視する性格
いつでも自分のことを高く評価して、他人のよいところを軽視して観る性格。人の才能・能力・美貌・体力などの長所を認めたくなくて、何か言いがかりをつけtえ軽視するのです。これも怒りなのです。

3 張りあうこと
他人と調和して仲良く生きることがdけいない。いつも他人と競争し、t青そうとする気持で、他人に打ち勝つ気持で生きている。まわりの人々に対して挑戦的なので、結果として張り合うことになる。これも怒りです。

4 嫉妬すること
他人の良いところを認めたくない気持ですが、そのエネルギーを自分の内心に向けて暗くなるのです

5 物惜しみ
俗に言うケチということです。ケチであるならば欲張ることではないかと思われるかもしれませんが、本当は違います。自分が持っているものを他人も使用して喜ぶのは嫌なのです。分かち合ってみんなで楽しみましょう、という性格ではないのです。ですから位性格です。したがって物惜しみは怒りなのです。

6 反抗的
いつまでたっても人は完璧にならないものです。だから我々は他人から学んで、他人の死どうを受け手成長しなくてはなりません。他人から学ぶことは、本当は死ぬまでやらなくてはならないことなのです。しかし、他人にやるべきことをあれこれと言われると受け入れがたく、拒絶反応が怒る。これも怒りです。

7 後悔
後悔するのは格好いいことだと勘違いしているのです。反省することとは違います。過去の失敗・過ちを思い出しては悩むことです。かなり暗い性格です。性質の悪い異界なのです。

8 激怒です
異常な怒りという意味でもいいでしょう。何も理由がないにもかかわらず、怒ることです。理由があって怒った場合でも、その怒りは並外れて強烈なものでうs。人を殴ったり殺したりする場合の怒りは、この怒りです。



『怒らないこと』P19-21
2 私に対しても、怒ったときには、能力もないのに論文を続けてとか、すぐに批判する。何もたいした能力ないのにとか。
あなたの中に光が流れこんでいきますように。
私はあいをこめてその光につきそい、
この上無い喜びとともに、
あなたの生命のいとなみを見守ります。
それはあなたをすこやかにするでしょう。
それはあなたを支えてくれるでしょう。
それはあなたの心を明るくしてくれるでしょう。
人生を歩み始めるあなたのために、
心からこの私の喜びの気持ちが、あなたの生きる意思と結びつきますように。
そして、この意志あどんな時でも、どんなところでも、
自分自身で強く存在し続けますように。


3歳くらいから9歳くらいまでの子は、

私の頭も、私の足も、神様の姿です。
私は心にも、両手にも、神様の働きを感じます。
私が口を開いて話す時、私は神様の意志に従います。
どんなものの中にも、お母さんやお父さんやすべての愛する人の中にも、
動物や草花や木や石の中にも、神様の姿が見えます。
だから怖いものは何もありません。
私のまわりにはあいだけが有るのです。

41
『シュタイナー教育の4つの気質 付ー生きる意志と幼児教育・他』高橋巌著 イザラ書房 1988年
74 猛獣はそのまま走らせて、自分はさっと脇にそれる。あるいはその場で停まる。そうすると勢いづいている猛獣は急にブレーキをかけられません。「とんでもないことになった」と恐怖感、脅迫観に教われても、逃げずに踏みとどまれば、その感情は消えてしまう。くれぐれも、恐怖感に追われて走りだしてはいけません。恐怖という猛獣が暴れまわり、走りまわっても、自分まで走ってはいけないのです。

90 一瞬にして生まれてくる怒りまでもみえてくるようになれば、一応「怒りを克服している」

どんな些細な怒りについてもしっかりと気づいていくためには、まず怒りについてよく知る必要がある。心で湧き上がる感情が、「怒り」と知らなければ、気づくことはできません。

92 「怒り」とは、基本的には「これは嫌だ」「これはだめだ」という反応です。

95 怒りは溜まれば溜まるほど強い破壊力を発揮します。放射能と同じです。溜まれば溜まるほど危険です。外に向いたら外が壊れるし、自分に向かえば自分が崩れます。

100 最初のふ通の怒りがドーサ。怒りを妄想で繁殖してしまうのがウパなーは。怒りは「繁殖させるものではないのだ」としっかり理解しましょう。例え怒っても繰り返し怒るなかれ、と覚えて下さい

140 もし怒ってしまったら、なにもしないで、何も言わないで、そのとき産まれた怒りをほうっておきます。怒りに「考える」という燃料をあげないで、心まで止めて下さい。頭の思考も、言葉を発することも、身体を動かすことも突然止めて、フリーズ状態になってみてください。ただ止まって黙っていればいい。

人は皆、怒りが込みあげるとやけに行動的になるのです。(略)これが放射線を浴びる(被曝)するよりも危険なのです。「怒ったら停まるんだよ」

怒ってしまったら自分と戦う必要もないし、相手を交易する必要もない。そのまま身体を止めておくだけ。「怒ったら止まる」くれぐれも怒りと戦って、その怒りに燃料を与えてはいけません。

157 「自分というなにかが実在する」と思い込むと、次から口へと怒りが湧いてくるのです。なぜかというと、観るものや聴く音、あらゆることが自分で管理できないからです。(略)私たちはいつでも、しっかり真理を学んで自分を管理しなくてはならないのです。

161 本当は「自我」という殻は幻覚です。しかしこの幻覚があるので、怒りが際限なく生まれてしまいます。例え私が「雨は降ってほしくない」と思っても、雨はやみません。私に「聞きたい音、聞きたくない音」を判断する権利があるものでしょうか。その人が自分に対しtえ何を言うのか、聞く法で管理するなんて無理な話です。

自我で、幻覚で、自分意外のものを管理仕様としているのです。

たとえば、誰かが「もう、うるさいわね。あなたの声が大きくて」と思ったとするでしょう?それはその人が私の声を管理しようとしていることになります。仮に「あなたの気分が悪くなるのなら」と私のほうで声を調節して小さくしたとしましょう。すると、今度は私の気分が悪くなります。

164 世の中の音を自分の好き勝手に管理することはできないし、見えるものを管理することもできません。しかし人間は結局、それをやろうとしています。

174 「怖い」という「怒り」が自分の中で燃えてしまいます。自己破壊です。その怒りを克服するためには、理解が必要なのです。

177 「適度・適量を知る」「余分なものはカットする」という生き方をします。

自分にはどの程度が必要で、どの程度なら管理できるかを問題にします。

適量・適度というのは自分で管理・管轄できる範囲です。管理しすぎても自己破壊ですし、管理できなくなっても自己破壊です。

「いくらあってもいい」ではなくて「どの程度ならば管理できるのか」で考えるべきです。

182 人のはなしを聞いて腹が立つ場合も同じです。本当に怒っているのは、耳で音を感じていることだけ。それを脳で解釈して「私」が怒っている。しかし、その怒っている「私」はあとから割り込んだもの。

本当は「自分」というのはただ流れていくだけです。聴覚が流れて消えていく。感覚が流れて消えていく。寒くなれば寒いという感じが流れて消えていく。自分には何も管理できません。
自分というものははじめからないのです。

184 すべての物事は希望通りにいかない、因果法則の通りになアレルのみということです。

「自我」という錯覚によって怒り憎しみが現れます。しかし、本当は、ものごとはただ単に変化しているだけです。

189 なにかを欲しいと思ったときに「必要」と「欲しい」のさをつけてみるといいでしょう。おいしいものをもっと食べたいという希望があったときにも、必要と欲しいのさを見極めて、必要以上にとらないようにするのです。それが正しい謙虚な態度です。

198 自我が錯覚だと理解できてはじめて、人々が皆ことごとく苦労して生きていることに気づくのです。エゴの錯覚が生み出す矛盾で皆、苦しんでいることを発見するのです。エゴの錯覚に気づかず四苦八苦して生きている人々に対して、微塵も嫌な気持も怒りの気持もおこらなくなるのです。かわりにすべての生命に対して憐れみの気持、慈しみの気持が起きてしまうのです。それが怒りの終焉でもあります。

怒らない性格とは、真理を理解することによって、智慧によって、おのずから現れてくる人格です。


206 良いことはしにくい。悪いことはいとも簡単にできる

217 目的をつくるときでも、ブッダの智慧を借りたほうが安心です。まず目的を達した時をイメージします。そしてそれは自分のためになるか、それで自分は幸福になるかを推測してみます。自分に「役に立つかどうか」
たとえ苦しいことでも、「実現したらみんなの役に立つ」ということであれば、充実感をエられます。
周りの人の役に立つか、人類一般の役に立つか、そこまで考えて「悪くない」と思ったら道徳的な判断で実行すればよい。

実行する間でも、「私の」「周りの」「人類の」役に立つのかというチェックをしていきます。もし途中で結果が悪くなると気づいたら、そこで実行はやめます。
負うなのはキツイのです。
人には「誰かの役に立っている」という実感が必要です。小さなことでも「私は結構役に立っているんだ」と思えれば、楽に生きられます。

なにかをやろうとするときには、欲でするのも、怒りでするのもだめなのです。必要なのは喜びを感じることです。
何かをやるうえで、喜び・充実感を感じなさい、達成感を感じなさいということが大切なポイントです。それが成長の道、脳を開発する道です。

怒りで行うことは、一つ一つ、もれなく苦しいのです。

脳科学的に観あえても、脳が喜びを感じると動きます。ストレスを感じるとうつになってしまいます。

はりきりすぎない。適当な努力でなんのことなく自分のパートをやればいいのです。

仕事や子育てなら、「喜びや楽しみを感じればうまくいく」

227 
私は幸せでありますように
私の親しい人々が幸せでありますように
生きとし行けるものが幸せでありますように

という言葉を、頭で繰り返し繰り返し念じることで、もう怒らなくなってしまうし、字がもなくなってしまいます。

233 人間は怒りやすい生き物ですから、強引にでも怒りの反対の気持「慈しみ」を植えつけないとうまくいきません。
「役に立とう」「嫌なきもちでは生きない」「みんなが幸せでありますように」という気持はわれわれに本来ないものですから、飢えるのです。

慈しみで生きますよ。