『怒らないこと』 アルボムッレ・スマナサーラ 
主人がこの本を読んで少し怒らなくなったように思う。けど、変わりに、自分を卑下するようになって、それもこっちとしては怖い。だからまだ根本的には改善されていないけど、どういう本なのか読んでみた。1より2のほうが熟成されているかもしれない。怒りについて読めば読むほど、なんでこんなことと付き合わないといけなくなったのか、そんなくだらない原因のために自分は苦しんでいたのかという哀しみが浮かび上がって悔しくなりそうになったけど、読み続けていくうちに、自分自身の弱さに気付かされた。「怒らない」ということは、「怒っている」人と出会ったときに自分がどう対処したらいいかという心のもちようについても教えてくれる。その意味で、読んで良かった。

以下メモ。
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16「怒り」が生まれると「喜び」を失う
(略)自分が今起こっているかどうかわからない場合は、「今、私は楽しい?」「今、私は喜びを感じている?」と自問自答してみればいいのです。「べつに楽しくはない」「何かつまらない」と感じるならば、そのときは心のどこかに怒りの感情があります。「退屈だ」「嫌だ」などの感情があるときは、心に怒りがあるのです。

「ああ楽しい」「幸せだなぁ」「わくわくしている」というときには、怒りはありません。

26 対象を容認すればそこに愛情が生まれてくるし、拒絶したらそこに怒りが生まれてきます。
ですから、怒るか否かは個人の人格の問題です。明るく生きるか。あるいは苦しくて、悔しくて、文句だらけの人生になるか。それはその人しだいであって、それ以外に原因はないのです。

31 怒るのも、愛情をつくるのも、その個人の勝手である」ということを、まず理解して下さい。怒るのは誰のせいでもありません。「怒るのは私のせい」なのです。

よって、「自分を直せば、怒りの感情を完璧に追い払ってしまい、愛情の感情、あるいは幸福の感情だけで生きていられる。その可能性が十分ある」

32 怒る理由をひとつひとつ分析してみると、「自分の好き勝手にいろいろなことを判断して怒っている」というしくみがあります。(略)「相手が正しい」と思ったら、怒ることはありません。

他人に怒る場合は「私が正しくて相手方が間違っている」という立場で怒りますが、自分に怒る場合はどうでしょうか。→自分は正しいと思っているから。

相手が間違っているのなら、「それはこういうことで間違っていますよ。だから二度と間違わないようにしましょう」とニコニコ顔で言えば本当はそれですむはずです。
それなのになぜ怒るのか。「自分は正しい。自分の事ばも正しい。自分の考え方は正しい」という概念あ頭にあるから。

「自分が正しいという考え方は、非合理的で、非真実で、嘘で、ありえないことだ。このありえないことを頭で徹底的に信じている自分ほどの大馬鹿者は、世の中にいない」とはっきり理解したら、もう怒らなくなってしまうのです。

OC けど、自分が正しいと思っているっていうことを自覚出来る人って少ない気がする。特に怒りっぽい人は。小さい時に受けたトラウマが原因だったとしてもそうなんだろうか。

たとえお釈迦様でも、完璧にしゃべるということができるわけではない。お釈迦様はそれを知っていて、「この人が怒って、ベロを出して私をからかって帰るのは当たり前だ」と、それ以外のことはべつに何も思わないのです。

41 自分は完全ではないし、他人もけっして完全な結果を求めないという思考が、この世の中で我々が落ち着いて生きていられる秘訣です。

46 親切にされたことなどはものの見事に忘れるのです。かわりに、いじめられたことだけ石に刻んだ字のごとく、生涯覚えておく。それで苦しむのは、かつて被害を受けた自分自身なのです。いじめた側が苦しむわけではありません。いじめる側に相手を生涯苦しませる意図はまったくないのです。

55 仏教では、正しいことを実行することが一番大事。気にするべきなのは、「その行動は正しいか正しくないか」という点だけです。

60 我々が、何かを見たり聴いたり、味わったり嗅いだり、それから考えたりしたものに対して生まれる「嫌だ」という拒絶の感情が怒りです。「これは食べたくない」とか「あの人とはしゃべりたくない」とか「あっちへは生きたくない」とか思うエネルギーを怒りと言うのです。

しかし、「怒り」というのは、その人の心の中から生まれてくる感情ですから、ひとつだけは言えます。「自分を治すことができれば、怒りから逃れることができる」

68 「正しい怒り」は存在しない。
怒りをコントロールしなければ、誰一人として幸福になれないのです。だから我々は、あまり自分に甘えないで、怒りが産まれないように性格を調整するべきです。

OC だから、幸せな結婚とは、相手といて、怒りの感情がでてこないか、もしくは出てきそうになってもコントロールできる範囲のものかにかかっているんだと思った。

怒りがうまれないようにすることは、「怒りと戦う」こととは違います。怒りと戦おうとする感情もまた「怒り」なので、良くないのです。そうではなくて「なんとかして、怒らないような人格を育てよう」とうことなのです。

73 つまり「赦してあげてください」ということです。どこまで許すのかというと、「どこまでも」です。許しにはリミットがないのです。その教えは、間違いなく正しくて、それで幸福がエられる。神の世界が自分に現れる。「神の世界」とは「幸福という状態」

「人が何をしようとも、どうなろうとも、私はその人を許します。その人を拒絶せず、愛情を持ちます」とすべてを許す気持になれたら、その人の心は愛情と幸福だけでいっぱいになってしまうのです。大切なのは「赦す」という行為なのです。

77 怒りは、自分の内蔵とホルモン関係のすべての器官を燃やしてしまうのです。
一番先に影響を受けるのは、内蔵です。心臓にしても、肺にしても、腎臓にしても、内蔵というものは24時間ずっと仕事をしています。その細胞が怒りによって早く廊下してしまって、自分自身が知らないうちにじわじわと病気になっていくのです。

怒りが産まれた瞬間に、身体には猛毒あはいってしまうのです。たとえわずかでも、怒るのはからだに良くないとしっかり覚えておいて下さい。

80 怒る人々は、まわりのみんなに限りなく迷惑をかけています。人間は幸福を味わいたくて必死なのに、そういう人々がみんなの幸福を一瞬にして奪ってしまうのです。幸せの大泥棒です。(略)ところが、怒りの人は我々の生命でいちばん大事なものを奪ってしまいます。「人間の生きがい」を奪います。(略)人の幸福と生きがいを盗む「怒りの泥棒」は、他人から奪ったもので幸福になるわけではありません。ですから怒ることは、泥棒の中でもいちばん性質の悪い泥棒なのです。

82 我々の感情はいつでも、環境によって大きな影響を受けている。

怒った人は鬼か悪魔になって、強烈で恐ろしい放射能のような波動をからだからだします。

89 心というものは、同じことを繰り返して言い聞かせると、意外とあっさりそのとおりになってしまうものです。

95 仏教祖の場合、お寺で悪いことをした人には、完全に無視するのです。無視の跋を受けるのは、道徳を守らない人、みんなの決まりも調和も守らない人、相手をいじめることばかり考えていて、わがまま勝手で自分本位な人です。無視する側は、その人に「どうぞ自由にやってください」と好きにさせてあげますあ、社会で調和を守らない限りは、自分の社会の一陰として扱うのは無理です。この無視の跋は、本人が自分の謝った生き方を改めて、謝るまで続きます。

108 「悪いことをする人に悪いことで返す」ということではなくて、「自分の悪いことの結果は自分で受けられるようにしてあげる」ということ。この「鏡を見せる」という方法は役に立ちますからちょっと覚えておいて下さい。
どうしてもひどく自分を責め立てる人に困ったら、言い返すのでもやり返すのでもなくて、鏡を見せることです。それは、本人が立ち直るために一番簡単な方法です。

110 一瞬一瞬の無常に完全に気づいている「ビェパッサナー」の知恵で生きている。

117 立派な人になろうではないか。尊い人になってみようではないか。偉大なる性格をつくってみようではないか。できなくても真似事でもしてみれば立派になれるのだから

中村元『ブッダのことば』

120 「怒りあ生まれたら、それをコントロールする」ということです。やり方は、「薬で、猛毒をなくすように」です。つまりどのようにするかというと、からだに怒りが生まれたら、それを蛇の猛毒のように考えてすう薬で消してしまうのです。「蛇が古い皮を脱皮するように、怒りを脱皮して下さい」「怒りを死ぬくらいの猛毒と見て下さい」

128 自分の心を、ひびがひとつ入った鐘にしてみなさい」ひびが入っていたら、たたいても鐘の音はしません。どんな攻撃をうけても、こちらからは怒りの音は出さないことです。

134 人が自分に対して、根拠があってしゃべっても、根拠がなくてしゃべっても、落ち着いていましょう。偉大なるこころを持ちましょう。人が自分に対して、慈しみの心でしゃべっても、怒ってしゃべっても、嫉妬してしゃべっても、心は広く持ちましょう。どんなんときでも心が落ち着いているように、生きてみることです。

135 「人からどんなことを言われても、私は空のような心でいます」と決めている人の心には、誰も絵を描くことはできないということです。「人が優しい言葉をしゃべっても、きつい言葉をしゃべっても、あの5つの中のどの言葉を言われても、落ち着いているぞ」という人間を目指して下さい。

139 例えわずかでも、怒ることはすごく恐ろしいことだ」と自分に言い聞かせて下さいもしも怒ってしまったら、すぐ「あっ、自分は生命の次元でどん底に落ちた。ここにいてはいけない」と一刻も早く来づて、人間の時点に戻ってくるようにするべきなのです。「怒るのは、最低で、無知な人である」「怒るのは、人間性を捨てることだ」ということを理解して下さい。「怒っている自分には、理解力も合理性も客観性も何もないのだ」ということを心の底から受け止めて下さい。努力して怒りを抑えこむのではないのです。自分の心の怒りに気づいたら、おこれ無くなってしまうのです。

142 怒りとは自分の中から生まれるものですから、解決方法は、「毒そのもの」を抜くことしかありません。「今の瞬間の自分に気づくこと」です。それが世の中で一番科学的な、怒りの毒を抜く方法なのです。ですから、怒りが生まれたら「あっ、怒りだ。怒りだ。これは怒りの感情だ」とすぐ自分を観て下さい。「今この瞬間、私は気持が悪い。これは怒りの感情だ。ということは今、私は怒っているんだ:」と、外に向いている自分の目を、すぐに内に向けて下さい。

最初は、「人が何か言うと、すぐに怒ってしまう」というところまでは仕方がありません。でも、それからも延々と人の言葉に振り回されるのではなく、怒った瞬間に、「これは怒りだ。怒りだ」と観て下さい。

そうすると、怒りは産まれたその瞬間で消えてしまうはずです。消えてしまったら、心は次の瞬間を感じようとすることができます。

怒りあ消えたら、すごく気持が良くなるし、元気になれるのです。すぐに幸福を感じられるでしょう。

いつでも怒りの感情に悩まされることなく、おだやかに人の話を聞いていられるのです。怒りを治める方法というのはそれなのです。すぐ自分の心を見ること。心を観ることで怒りはすうに消えます。一番大事なことは「自分を観る」ただそれだけです。

144 怒ってしまったら、すぐにその瞬間に幸福は危機に瀕しています。一刻も早く怒りの炎を消さなければなりません。
「怒るのは負け」臆病で弱くて自信がない人ほど、偉そうに怒るのです。怒る人というのはすべて、自分にはまったく自信がないし、社会に堂々と胸を張っていきていことをしていたらられない人。

149 そんなことをやってはいけません」ときっぱりと言う。「そんなことをする子は、お母さんは嫌いです。そういうことは格好悪いのだから、いけません」
誰かがわるいことをしていたら「それは悪いことですから、やめなさい」と言うだけ。それだけで終わるのです。
「それは良くないからやめなさい」→言った人には自信があり、正しいことを言っている。
自信がないのに自分の言うことを聞いて欲しいと思う人がたくさんいるから、世の中は無茶苦茶になっている。

OC 主人が機嫌が悪くなってきたら、「それは良くないからやめてください」と自信を持って言うこと。そんな事言ったらまた怒られそうだけど、「それは良くないからやめてください」と言っても姿勢を改めないなら、自分がその場から立ち去るしかない。この前、「なんで(私)はいつもそうなんだ」と、将来のことを聞かれて答えられない私を責められて、過去のことが蘇り、また怒られると怖くなり、頭の左半分が痛くなった。その時も、責められ始めたら、責められ始めていることに気づいて「そんな風に人を観るのは良くないからやめてください」と冷静に伝える。それでも「そんな事言ってるからいつまでたってもよくないんじゃないか」とかまた責められる攻撃が始まりそうになったら、「怒ることは良くないからやめてください」とだけ伝えて、自分がその場を立ち去る。私にはそれに耐える力がないので、立ち去りますと伝えたらいいのかな。

153 まずは何をされても怒らないとうことを自分にかしてみましょう。

OC そうか、私は主人となる人には自分よりも高い人間性を求めていた。それは、それだけ自分に自信がないからなんだ。けど、お父さんがお母さんに暴力を振るう姿をずっと観ながら育った今の夫は、「怒りをコントロール」するという点においては、人間以下の状態であると思ってもいい。そのような夫と暮らすということは、夫に怒りが現れ始めたら「それは良くないことですよ。だからやめてください」と自信をもって伝え続けるということなのかもしれない。幸い夫は、自分のよくないところは治したいという気持をもっている。そして、自分はお父さんのようにはなりたくないという意思もある。だから、側にいる私ができることとは、夫が怖くなってくるまえに、
「今怒りが生まれ始めているんちゃう?それは良くないことだからやめてください」と冷静に伝えることなんだと思った。「(私)が敏感すぎるからだ」とか、「どんなことに気づかない位の鈍感力を養った方がいい」とか、私がまた責められ始めたら「人を責めるのは良くないことなので、やめてください」といって、まだ続きそうだったら、「これは良くない状況だから少し落ち着くまで離れていましょう」とその場を娘と立ち去る。ただそれだけでいいんだと思う。それプラス、笑い飛ばせるようになればもっといいのかもしれない。「あなた、怒っていますよ。苦しそうですよ。顔がひきつっていますよ。声のトーンが変わりました。それで大丈夫ですか?心配ですよ」「それは良くないことだと思うので、やめてくださいな」「はははっ」って笑い飛ばせるようになれらば最高なのかもしれない。
自信がないとうことと謙虚ということとは違うのだろう。自分に自信があるから謙虚になれる。
私は自分に自信がない。
そこを乗り越えましょうと、神様が与えてくださった試練なんだと思う。

155 悪い行為そのものに注意するのは正しくても、お互いに他人に怒る権利はありません。

もし自分が悪くもないのに目上の人に怒られたら、「ちょっとの間放っておいてあげよう」と思うことです。

158 このように、状況がどのように変わっても、それを拒絶したり否定したりしない心を育てれば、そこには怒りの生まれる余地はありません。ずっと幸福というものを味わえるのです。

自分の明るさだけは消さないように守と、そういう問題はすぐに解決するのです。

165 「私はこれほどの者が」と思うのと同じく、「私には能力がない」と思うのもやはりエゴです。「この人にはいろいろな能力があるが、私にはそんな能力がないから悔しい」と思うから、相手をねたむ気持が出てくるのです。けど、能力がなくても、なんの不都合もないでしょう?その塩とをあなたがしなければならない理由はありません。できる人がやってくれます。何事においても、各人あ能力に応じた仕事をすればいいというだけの話です。「私が」「私が」というエゴを捨てれば、なんの問題もないのです。

170 「どうしたら成功するだろう?」と計画して生きればよいのです。計画の長さは10分くらいで十分です。「この10分間で、自分がやらなくてはいけないことをやり遂げるんだ」「この10分間でやることは、精一杯やって成功するんだ」というくらいがちょうどいいのです。そうすれば、成功するたびに喜びや幸福感を覚えられるのです。そうした小さな計画のユニットをつなげて、自分の人生にするのです

いつもならここで怒り出すはずの瞬間に、怒らないように心がけてみてください。そのあとの状況は、必ず自分の希望通りに運ぶはずです。怒らないでいる瞬間には、自分がその状況に打ち勝っているということをしっかり感じて覚えておいて下さい

172 自分の心に芽生えた怒りを瞬時にさっちして、怒らないでいられたら、素晴らしいことが起きます。「この問題をどうするべきか」と知恵が働いて、相手の怒りにも勝てるのです。そしてこの「勝ちました」という刺激はとても、気持がいいのです。

ポイントは、相手の怒りや言うことにとらわれずに、問題だけを取りだいsて解決することです。「この人はこういう感情でしゃべっている。この人はこういう感情でしゃべっている。けれど実際のところ、問題はこういうことだ」と考えてみる。

相手の怒りを乗り越えることはすごく面白いし、乗り越えたら自分にすごく自信あついてくる。怒ったら負けです。でも、怒りっぽい相手にかつのはとても簡単なのです。

176 自分に対していろいろなことをしてくるようになると問題ですね。自分が何も悪いことをしていないのに、相手が自分にsonnをさせたり、自分をけなしたり、自分を馬鹿にしたり、自分を差別したりしようとする。そんなときはどうしたらいいのでしょう?

そんなときに怒らずにニコニコしていたら、とことんバカにされるのではないか、と思ってしまうかもしれんません。でも、誰かが自分を馬鹿にしょうとするときでさえ、怒ったら認めたことになってしまって、相手の勝ちになってしまうのです。

何を言われ手も「どうぞご勝手に。どうぞご自由に」という態度でいればいいのです。

OC なるほど。何もしてないのに怒られて、落ち込んでしまったら、それは相手の勝ちになってしまう。相手を認めたことになってしまう。だから、何を言われてもお来られても「どうぞお勝手に。どうぞご自由に」という姿勢を貫いていたらいいんだろう。

自分を水晶の玉のようにイメージするのもいい方法です。心を光化あ焼いている水晶の玉のようにしておけば、相手からどんな色の水をつけられても、たとえすごく臭いものをつけらrても、ふけばすっかり綺麗になるでしょう?そういう心を持っていれば、外からの攻撃にはだいたい対処できてしまうのです。反対に、スポンジのようにたっぷりと吸いとってしまったら、負けなのです。

OC 水晶玉のイメージ。光輝いている水晶玉のように心をしておく。水晶玉のような心でいる。水晶玉のような心でいるイメージ。主人と話す時は、心を水晶玉のようにしておく。光輝く水晶玉。水晶玉。相手からどんな色の水をつけられても吹けばすっかり綺麗になる。水晶玉。スポンジではなく、光輝く水晶玉。

177 それでも相手が自分を攻撃しょうとするのなら、力強く教えてあげましょう。社会にも、他人にも迷惑をかける人がたまにいますが、そういう人は無知の塊です。そういう場合は、その人に「二度とそういうことをするな。そういうことをしたら、私もそれなりに対応する」ときつく言ったほうがいいのです。
いくら「私は怒りません」といっても、自分を小さくして逃げる必要はないのです。そうではなくて、堂々たる精神は怒りとは無縁ということです。ですから、きつく教えるときも、怒ったら自分の負になります。けっして怒らずに、知恵や知識を使って。

やりたい保津あいの人には鏡を見せる。
180 自分が落ち着いて怒らないのをいいことに、攻撃したり、けなしたりと、やりたい放題やってくる人がいたら、鏡を見せることです。自分が怒るのではありません。「相手に鏡を見せる」という法則で言い返すか、相手のやった文だけきっちりやり返すか。(略)自分を弁解したりすると、相手の怒りをまるごと飲み込んだことになります。自分がひどく嫌な気持になっているかr,あののしっている相手の希望がかなっているのです。とういことは、反対に怒り返している自分がすでに相手に負けていることです。そこで、鏡を見せるとは至って簡単です。ののしっている相手に対して「ああ、そちらはすごく怒っているのだ。苦しいでyそうね。手も震えているようだ。簡単に怒るような性格みたいです。これからもいろいろ大変なことに出会うでしょうね。それで大丈夫ですか?心配ですよ」のように、とにかく相手が言うことに反論せず、相手の心境を善悪判断しないで、心配する気持で説明してあげればいいのです。このやり方で両方幸福になります。

182 「笑って生活したい」と心に言い聞かせて下さい。「何があろうとも笑うんだ」と決め、怒っても、すうに笑ってしまえばいいのです。それでかなりの怒りが消えてしまいます。

184 人を笑われるというのは、かなりの智慧や知識、理解力が必要。

188 「家の中にいても、家の外にいても笑える。仕事がうまくいっても、仕事が失敗しても笑える」

24時間楽しく生活をする人には、何をみても何か面白いことが見つかってしまう。

190 どんなものの中にも面白いことは見つかります。「何ひとつ完全じゃない」という立場で世界を見れば、笑いのたねがどんどん見つかるのです。

191 状況を、その背景も含めて把握する」そのためには、まず落ち着くことです。
ちょっとしたUnderstandingも怒りをなくす一つの方法です。たとえ自分が何か失敗して叱られることになっても、ただ「ああ嫌だ」と思うのではなくて、「自分がこういう失敗をしたから、この人はこういうふうにしゃべっているのだ。失敗はこれぐらいだから、本当はこういえばいいんだけど、ちょっと言いすぎているな」などと客観的に見ていられます。

195 怒らずにいられない人との付き合い方
そういうときはいつも以上に冷静になって、客観的に物事を観ることです。
「自分も相手も同じ被害者だ」「この人には自信がなく不安だから、人をいじめよう、けなそう、無視しようとしているのだ。私の能力を場かいにしょうとしているのは、この人に能力がないからだ。この人は自分の怒りを表しているだけで、かわいそうな被害者だ」とその人の心を見てあげることです。

怒りを自分でなくせない人間は、自分の心に怒りの毒が生まれたら、そのエネルギーを外煮出さなくてはいけません。ですから、怒っている人は、そのためにしゃべっているだけなのです。こちらとしては大変迷惑ですが、聞いている側に悪いところはありません。

能力のない上司が有能な部下をけなしているとします。そういう場合は、けなされているほうの部下が、心の中で、「この人は歳をとっていて、能力もない。それで自分のことが心配で悩んでいて、そのストレスを発散しているんだ。だから、その状態から救い出してあげよう」と思いながら、その人の話しを聞けばいいのです。
話しは聞いてあげても、相手の怒りを感情的に引き受けて気落ちする必要はまったくありません。その人は、自分の身体にたまったゴミを外荷台sているだけなのですから、わざわざ自分がゴミ箱になる筆王はありません。

怒っている人の状態は、何かひどいものを食べておなかを壊して履いているのと同じなのです。その人の言葉や行動はたまっている毒を出しているだけですから、きれいになって落ち着くまで思う存分出させてあげましょう「あの人が吐いたものを食べて、私までお腹をこわす必要はない」という態度でよいのです。

周りの人が怒って話しているのにつられて自分も怒るということは、「腐ったものを食べた人が吐いたものを拾って食べるようなものだ」と肝に命じておきましょう。決して受け入れてはいけないのです。心をそういう状態にまで育てられれば、相手の怒りに対する怒りなど、なんのことはなく即座に消えてしまいます。

201 怒らないことによって、精神的にも肉体的にもすごく力強い人間になれます。
怒った瞬間にははずかしくなるべきです。もしも怒ってしまったら、すぐに「ああ、自分は弱いんだ。精神的にも、肉体的にも、弱いんだ」と思って下さい。
怒りのことを「汚いゴミだ」「間違いの塊だ」と思って下さい。怒りに対して、恥ずかしがって下さい。それくらいしないと、怒りというものは消えないのです。

そのために、我々の不幸を創りだす「怒り」だえは、けっして心の中に入らないようにすることです。そうすれば、直ぐその場で、その瞬間に、我々は幸福を味わうことができると思います。それと同時に、怒りを治める訓練を積むことによって、確実に智慧も成長して、物事がどんどん見えてくるようになります。


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『怒らないこと2』 アルボムッレ・スマナサーラ

「怒らないこと。それは人生を幸せに生きるために欠かせない、大切な心構えです。しかし、「怒ることは悪い。だから怒らないようにしょう」と頭ではわかっていても、実際にはそうはなりません。「怒る」ということは、そうとうに根深い問題なのです。
 この本でお話しようとすることは、「怒らないこと」というのは、実は人が生涯をかけるにふさわしい、人生の目標とするに値するテーマなのだということです。怒らないということは、とても勇気のいることです。だらしのない人格には到底ムリなことです。心を成長させるということなのです。その道程を一歩一歩、階段を登るように実践していくなら、人生は間違いなく幸せになります。「怒らないこと」が達成されたとき、人は幸せになれます。せっかく人として生まれて生きているのですから「幸福になる」という、とても大きな仕事をやりきってみてはいかがでしょう。
 世の中はおかしなことに、「怒るのはよくない」と言っている言葉とは裏腹です。本当のところでは「怒りはあくである」と、きちんとわかっていないのです。世間の本音は「いざとなったら怒るのもしょうがない。それで解決することもある」というものです。しかし、心の科学である仏教の立場から言わせていただくなら、「どんな怒りであろうと、怒りによる行為の結果は、かならず不幸である」ということです。
 怒りは猛毒です。仏教では「病気」という言葉を使っています。怒りに心を汚染されたら人間の成長は止まってしまいます。怒りには、更に深い心の真理、生命の真理が隠されています。生命の根本的な問題が関わっているのです。そしてお釈迦様は、生命にとって根本的な、怒りの心を直すお医者様なのです。
 怒りは、智慧と理解で克服するものです。我慢するもの、抑えつけるものではりません。怒りの克服とは、幸福になるプロセス、自分が成長できるプロセスです。それを一歩、一歩、進んでいくことです。ためしにでもやってみて、まったく損はありません。人生をかける気持で、気長に取り組んでいっていただきたいと思います。

135少しでも心の明るさが暗くなったら、「怒りの最近が入っている」と気づきましょう。明るい心が変化して、ちょっとでも暗くなってきたら「怒りが割り込んできた」と気づくようにして下さい。怒りのごく初期段階では、明るさがなくなって「気持ち悪いさ」「嫌な感じ」が生まれてきます。「なんだか気持ち悪い」と早く気づいたほうがいい。

「怒りを観察する」ということは、「怒りと戦うなよ」ということです。「怒りをなくしてやるぞ」と思ってはいけません。怒りをなくそうというその気持ちも怒りです。智慧で怒りはなくなるのです。怒りは、理解することでなくなるのであって、戦ってなくすものではありません。