スティーブン R. コヴィー著『7つの習慣』1996年 キング・ベアー出版

p44 しかし、本当に問題なのは夫だけだろうか。夫之欠点に対して過剰に反応し、自分之生活や幸せをすべて彼の行動に依存させてはいないだろうか。

p45 依存している人は、欲しい結果を得るために他人に頼らなければならない。自立している人は、自分の努力によって欲しい結果を得ることができる。(略)仮に私が肉体的に依存しているとしたら、あなたの手助けが必要になるだろう。精神的に依存していれば、(私之自尊心と安定性があなたの意見や私二対する評価に依存している場合)あなたに嫌われでもしたら大打撃を受けるだろう。知的に依存しているとすれば、生活の問題や課題について、あなたが考えてくれないと何も解決できないだろう。
しかし、自立していれば、肉体的に自分で行動できるし、知的に自分で考えることができる。そして様々なレベルで思考することができ、創造的に自分之考えを分析、整理し、分かりやすい方法でそれを表現することができる。精神的にも内的な安定性があり、他人が私のことをどう思おうと関係なく自尊心を持つことができる。自分之方向性は自分の中から出るものだからである。

自立は依存よりはるかに成熟した状態。しかし、自立は最も高いレベルではない。

真之自立を達成することにより、周りの状況に左右されるのではなく、逆に周りの状況に作用を及ぼすことができるようになる。これは、状況や他人に対する依存性から解放されることであり、それなりにふさわしい目標だと言えるだろう。しかし、自立は有意義な生活の最終的な目標ではない。

人間は本来、極めて相互依存的なものである。相互依存は自立よりはるかに成熟した高度な概念である。(略)精神的な相互依存ができていれば、内的に自分自身之価値を強く感じながらも愛の必要性を認め、他の人に愛を与えることも、他の人からの愛を受け取ることもできる。そして、知的な相互依存をしていれば、自分の考えだけではなく、他の人之優れたアイディアや思考をも活かすことができる。

相互依存を達成している人は、他の人と深くかつ有意義な関係を築くことができ、彼ら之持つ巨大な能力や可能性といった資源を自由に活用できる。しかしながら、相互依存とは、自立した人しか選べない領域である。依存している人が相互依存に入ることはどうしてもできない。なぜなら、彼らにはそれだけの人格と自制の力がないからである。

78 問題は自分の外にあると観g萎えるならば、その考えこそが問題である。

84 刺激→反応
   から
  刺激→選択の自由(自覚、想像力、良心、自由意思)→反応
 
 この後者が主体性のモデル。

86 主体性を持つということは、率先力を発揮するだけではなく、人間として自分之人生に対する責任を取るということである。私たちの行動は、周り之状況からではなく、私たち自身の選択によって決まるのだ。
主体性なる人は、「自分の反応を選択する能力」を発揮している。彼らは自分の行動に対する責任をとり、状況や環境、または条件づけのせいにしようとはしない。彼らの行動は自らの価値観に基づく意識的な選択之結果であり、状況によって起きる一時的な感情之結果ではない。

「自分の価値観に基づき行動する」ことは、主体的な人の最も基本的な性質といえる。主体的な人は深く考え、選択肢、内面化した価値観に基づいて自らを支配する。
「今の状況はこれまで私が行なってきた選択の結果だ」

「私の許可なくして誰も私を傷つけることはできない。自分自身がみじめになることを選んだのだ。」
自分の身に何が起こるかではなく、それにどう反応するかが重要なのだ。

かえって人生のつらく、厳しい経験によってこそ人格は形成され、内的な力が育成される。それによって難しい状況に対応する能力が高まり、他の人にも模範を示し感動と励ましを与えることができるようになるのだ。


OC
それはあくまで自分が元気なときだけだと思う。やりすぎるとうつ病になってしまうのではないだろうか。自分の「身体」は心に正直だから。無理はしすぎてはいけない。

104 反応的な人は関心の輪に集中している。他人の欠点、周り之環境、自分のコントロールの及ばない状況などに集中する。これらのものに集中すると、人のせいにする態度や反応的な言葉、あるいは被害者意識を創りだすことになる。反応的な人は消極的なエネルギーを発生させ、影響を及ぼせる事柄をおろそかにするので影響の輪は次第に小さくなる。関心之輪に集中する限りは、そのなかに入っている事柄に支配されてしまう。関心の輪に集中する人は、問題を良い方向にむかせるために必要な主体性と率先力を発揮していないのである。
主体的な人は、努力と時間を影響の輪に集中させ、自らが影響できる事柄に働きかける。彼らの使うエネルギーは積極的なものであり、その結果として、影響の輪が大きく広がることになる。

106 状況について心配するより自分自身に働きかけることによって、はじめて状況そのものにも影響を及ぼすことができたのである。


OC DVの場合でもそうなのだろうか。

109 「主よ、変えるべき変えられることを変える勇気を、変えられないことを受け入れる平和を、そしてその区別をつける知恵をあたえたまえ。
全くコントロールできない問題については、自分之態度を変える必要がある。気に入らなくても、変えられない状況に対して、笑顔をつくり、穏やかな気持でそれを受け入れるのである。


OCしかし、子どもの教育にとってそれが悪い場合はどうしたりいのだろうか。

114 問題は自分の外にあると観g萎えるならば、その考えこそが問題である。それは自分の外にある事柄に支配されることを容認することであり、変化に対するパラダイムが、アウトサイド院になることである。つまり、私たちが変わることができる以前に、あるいは状況を改善することができる前に、外にある事柄が変わらなければならないという考え方である。

主体的なアプローチは、インサイド合うとで変わることである。自分のあり方(自分の内にあるもの)を変えることにより、自分の外にあるものをプラス方向に転換させることができる。


OCしかし、例えば、タイ北部の貧しい暮らしを、こつこつと平和に暮らしている人たちはどうなのだろうか。自分のあり方を変えるだけで、外からくる大きな力に影響を及ぼしていくことはできるのだろうか。

116 結婚生活に問題を抱えているとすれば、夫之欠点を指摘することに何の意味があるだろう。やがては夫に影響を及ぼす力もなくなるだろう。批判し、とがめ続ければ、彼女はあなたの思いやりのなさを理由に自分の悪い行動を正当化できると感じるだろう。あなたの批判は、改めさせようとしている夫の行動よりも有害なものなのだ。良い影響を及ぼす力は、みるみる消え失せてしまうだろう。
 本当にその状況を改善したいのであれば、コントロールできる唯一のものー自分自身ーに働きかけることである。夫をただそうとすることをやめて、自ら之欠点を取り除くことに働きかけることである。(略)最も主体性を発揮する方法は、ただ単に心穏にすべてを受け入れ、幸福になることである。幸も不幸もいずれも主体的な選択の結果にすぎない。主体的な人として、自分之天気を持ち合わせることはできる。幸せになると決めて、コントロールできない要因を受け入れて、コントロールできるものに努力を集中させることができるのだ。


120 小さな約束をつくり、それを守。裁く人より光を与える人になり、批判者より模範になる。問題を創りだす人ではなく、問題之解決に貢献する人になる。他人之弱点について争うことをやめる。自分の弱点を弁護することもやめる。間違いを犯したときに、素直にそれを認め、修正し、それからすぐ学ぶようにする。他人のせいにしたり、彼らを批判したりする無駄なエネルギーを使わないようにする。コントロールできることに働きかけて欲しい。自分自身を変えるようにし、自分之あり方に集中してみてほしい。

他人之弱点や欠点を批判する目ではなく、慈しみ深い目で見て欲しい。彼らが何をしているのか、何を怠っているかが問題ではなく、それに対してあなたがどういう反応を選択するか、あなたは何をすべきかが問題なのだ。
「自分自身の人格以外のものを変えることで幸福を求める愚かな人は、実を結ばない労働に人生を浪費し、避け用としている哀しみを倍増させるに違いない。

122 近い将来、直面するであろう状況で、過去の経験からして反応的になる可能性が高いものを一つ選んでみる
OC 夫の不機嫌

影響の輪を考慮に入れて、その状況を考えなおしてみる。
OC 夫が不機嫌であっても、その不機嫌に巻き込まれない強さを持つこと。どんな状況でも自分へ、人への愛を忘れない人間になること。自分自身が平和そのものになること。

頭の中でその状況を想像してみてほしい。そして、主体的に反応している自分之姿と行動をイメージしてみる。刺激と反応の間のスペースを思い起こし、その中に存在する選択の自由を活用する約束を自分自身にする。

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もっと色々とイメージトレーニングしてみようっと。

1.夫との関係
夫が不機嫌になる→私は何を言われるかわからず、とても怖くなる→色々昔あったことが思い出されてとても辛い気持になる。絶望感を感じる
 
このループを主体性をもとに変えていく
夫が不機嫌になる→不機嫌になっている夫と自分は別の人間。怖いのは過去のこと。自分は愛溢れる人でいるんだ。平和な心を持ち続けるんだ。そうすることで、自分を高めるんだ。→前向きになる。主体性を発揮できて嬉しくなる。

2.その他
母の感情をすぐに転移してしまう癖がある。
母が楽しいとき→自分も楽しい気分いなる
母が何かに不満を持っているとき→私は何か悪いことをしてしまったかとそわそわしていしまう。
このループを裁ち切り、主体性を持つために
  ↓
母が何かに不満を持っている→母は不満を持っているけど、私は別の人間。私は愛を持ち続けて、平和でいるんだ→主体性をもって行動できたと嬉しくなる。強くなっていく。

母が私に何かをやりなさいと命令する、なんでこうしなかったのかと指摘する→「お母さんのいうことを聞きなさい」と自分の意見は押し込められてしまったときの苦しさを思い出してしまう→なんで、私のこともっと聞いてくれないの、と不満が出てくる→子どもっぽい口調で、「もう、放っておいて」とか言ってしまう→娘之前で恥ずかしいし、母にも申し訳ない思う。
 ↓
このループを裁ち切り、主体性を持つ練習をする
母が私二何かをやりなさいと命令する、なんでこうしなかったのかと指摘する→自分之領域に侵入されると怖がっている自分に気づき、もう大人だから、そんなことないよと言い聞かす→周りの人がどう言おうと、決めるのは自分やし、なんで○○しなかったのかと言われても、その時々精一杯考えて行動しているんだから、仕方ないでしょうって割り切る。自分を責めない。愛を持って行動する。どんなこと言われようと、平和な自分でいられるようにする→みんな平和になる。

父が女性蔑視なことを言う→そう思うのは父であり、それを私二期待していたとしても、それをやるかやらないかは私が決めることだから、大丈夫。やらないからって父は機嫌を損ねることはない。むしろ、言われたことに対して過剰に反応して、ブルーになって怒ってしまう方がだれにとっても良くないことだから。平和を意識する。そして、鍛えていく。

難しいと思うけど、今まで出来ていなかった分、練習する場所がいっぱいある。
できるようになる。
穏やかなおばあちゃんになるための修行。できるようになる。