オランダ球界へ挑戦する日本人へ、インタビュー ‐前編‐ | 蘭野球事始 〜オランダ野球風聞書〜

蘭野球事始 〜オランダ野球風聞書〜

自称日本一オランダ野球に詳しいブロガー。オランダ代表から国内リーグホーフトクラッセのことまで紹介していきます。オランダ野球の魅力が伝われば幸いです。 twitter(@macchakiromen)

昨年、激闘の末ネプチューンズの優勝で幕を閉じたホーフトクラッセ。ストーブリーグでの活発な移籍もあり、2015年シーズンのホーフトクラッセは面白いシーズンになりそうです。

まだ各チーム、スプリングキャンプ中でロースターは確定はしていません。
そんな中、昨年入れ替え戦を制し二部から昇格したDSSにて、日本人の岩本剛投手が練習生として正式契約を目指しスプリングトレーニングに参加しています。

日々奮闘中の岩本選手に今回話を伺いました。


岩本 剛

大阪府出身
中学一年の時に硬式野球を始め、シニアリーグ、ヤングリーグを経験。
和歌山県内の高校へ進学するも、野球部の環境に馴染めず中退。
その後クラーク記念国際高校で高卒資格を取得、日本スクールオブビジネス専門学校へ進学。
社会人野球の東京LBC、ゴールドジムBCと移り、その後プレーの場を海外へと移す。

海外では以前に、クロヌラ・シャークス(オーストラリア)、サムライ・サンディエゴ、テキサス・スターズ(アメリカ)の3チームに所属。一時日本に帰国し、社会人野球の鹿島ドリームスに所属するも、再び海外でのプレーを目指し渡蘭。

2015年シーズンより、オランダ野球トップリーグ・ホーフトクラッセ所属、DSSでプレー。
現在は開幕ロースターを目指し、スプリングキャンプで日々奮闘中。
オランダには数少ない技巧派左腕として、生き残りをかける。


ーー今回は貴重なお時間を頂きありがとうございます。さて、さっそく岩本さんの野球歴についてお伺いしてもよろしいでしょうか。

「小学校二年から野球を始めました。硬式は中学一年からシニア、ヤングと経験し、高校は野球で和歌山の高校へ進学しました。」

ーープロフィールでは、高校で一度野球を辞めていますね。一度辞めたはずの野球と、その後どのように付き合っていたのでしょうか。

「確かに野球で進学した高校を中退した時点で、一度チームスポーツとしての野球は捨てました。ただ、高校野球部は環境に馴染めず辞めましたが、野球自体は好きなままでした。通信制の高校に通っている間も、一人でランニングや投げ込みをひたすら続けていましたね。」

ーーひたすら一人で練習ですか…。もの凄いモチベーションだったんですね。


「はい、二年間ずっと一人で練習していました…。それだけ、不本意な形で野球を辞めた事からの不完全燃焼感。それと、またいつかチームで野球をしたかったんだと思います。」

ーー最終的に高卒資格を取得し専門学校へ進む事になります。専門学校時代も野球を続けていたのでしょうか。

「もともとは就職を考えて、その専門学校へ入学しました。ただその専門学校は系列校各自で野球のチームを持っていまして。専門学校ですが、私のチームも30人は所属していました。その学校で久しぶりに、チームでプレーする機会を得る事になりました。」

ーーその時どのような心境でしたか。

「プレー出来る事自体は本当に嬉しかったです。ただそれと同時に怖さもありました。その理由はいくつかあるのですが、実践からあまりにも遠ざかっていた事。実践感覚は無いに等しかったです。そして、高校時代同様ピッチャーをしていましたが、久しぶりにバッターに向かって投げる事も本当に怖かったですね。」

ーー体の面ではどうでしたか。

「しばらく経てば慣れてきました。若かった事が幸いしたんだと思います。ただ、やはりブランクの大きさを感じましたね。今、二年間ブランクが空くと思うとゾッとしますが、当時はすぐ野球モードの体に切り替わりました。二年間、一人でトレーニングを続けて良かったな、と本当に思いましたね。」

ーー専門学校の後にクラブチームに所属されています。やはりまだまだ野球を続けたい気持ちがあったのでしょうか。

「そうですね。二年間のブランクを経て、二年間専門学校で野球をしました。感覚もどんどん蘇ってきて、もう少し続けたい、もう少し上のレベルでやりたい、と欲が出てきました。最終的に都内のクラブチームに計六年ほど所属したのですが、その六年で更に野球欲が出てきまして。

ーーその後、活躍の場を海外に移すわけですね。

………この後、あるきっかけで海外で野球をする事になります。この続きはまた後日。