あくまで架空インタビューです。事実と思われるエピソードや、キースとグレッグが過去にインタビューで語ったことを膨らませ、「創作」しています。(一部ウソも含まれていますw)
GL=グレッグ・レイク
HA=秋 浩輝
HA「セカンド・アルバムの『タルカス』の話を聞かせてください。この組曲はどういうプロセスから生まれたんですか?」
GL「カールが『イラプション』の10拍子のリズムを考え出したところから出発した。キースがカールのリズムに合わせて例のリフを作ったんだ。それを俺にピアノで聴かせてくれた。だけど、俺は初めはあまり良いとは思わなかった。メロディが全然なかったからだ。だから『そういうタイプの曲はやりたくない。キミのソロ・アルバムでやれば?』と言ったんだ。リズム取るの難しかったし(笑)」
HA「ええ、そのあたりのことはキースがインタビューに答えてました。そこでキースとの間に確執が生じたわけですね。キースはその時、バンドを解散しようとまで思ったらしいですよ」
GL「いや、俺は確執だとは思ってない。共同作業で何か良いものを作ろうと思ったら、衝突が起こるのはよくあることだよ。そこで俺は、キースが作った『イラプション』『ミサ聖祭』『アイコノクラスト』などのリズミカルな曲とは対照的なバラード曲を組み込むと、バランスの取れた組曲になるだろうと思って、『戦場』を作ったんだ。一応、整合性のあるストーリーを考えながら詞も書いた。それらを繋げているうちに、『これはすごい組曲になるぞ!』という予感がしてきた。レコーディングが終わる頃には、俺たちのメインの方向性はこれだと確信が持てたよ」
HA「なるほど。ふたりのコンビネーションの凄さが解るような気がします。互いの特質をうまく生かした結果、素晴らしい組曲が生まれたんですね。それは和気藹々としたムードの中で生まれたものではなく、火花を散らすような激しいライバル意識や緊張感の中でこそ生まれ得たものだということですね」
GL「その通りだ。仲良しクラブのぬるま湯の中に浸っていたら、絶対に良いものはできない」
HA「納得です。ライブ・パフォーマンスについてですが、ライブを積み重ねるごとにステージングが派手になっていきましたね。怪獣タルカスは登場するわ、火や煙は噴くわ、グランドピアノごと宙づり回転して弾くわ(笑)」
GL「タルカスの火を噴くタイミングが狂って、キースが火傷したことあるよ。オーディエンスを驚かそうと、次から次へとエキサイティングな演出を考えるようになったんだ。ある意味、命懸けだったね」
HA「そういった演出に対して、称賛もあったけど、まるでサーカスみたいだという批判もありましたね」
GL「キースはショーマン・シップが強かったからね。演出だけで実力が伴っていないという批判に対しては、強く反撥してたね。演奏家としてのプライドをいたく傷つけられたんだろう」
HA「それはとても気の毒です。正当な評価をされないことほど、辛いものはありませんものね。話は変わりますが、『タルカス』は世界中ですごい売れ行きでした。そのあとリリースされた『展覧会の絵』はそれ以上に大ヒットしました。頭の柔軟なクラシック・ファンからも称賛されました。ロックは聴かないけど、ELPだけは聴くという、独自のファンがたくさんつきましたね。それらのことがあって、あなた方は何か変わりましたか?」
GL「そうだな。オーディエンスに媚を売ることなく、自分たちがやりたいようにやって、世界のトップに立つことができたのは、大きな自信になったよ。そのあと、『トリロジー』と『恐怖の頭脳改革』も大ヒットしたし。1972年から1974年までの3年間は、あまりにも忙し過ぎて、頭と体がおかしくなりそうだった。『Brain Salad Surgery Tour』では、ほとんど毎日4万人クラスのスタジアムを渡り歩き、毎日数百人の人たちと会った。毎日眩しいライトを浴び続けて、一日が終わる頃には目の奥に激痛が走るようになった」
HA「それはプロ・ミュージシャンの中でも、ごく一握りの人間にしか味わえない感覚なのですよ。みんなそうなることを夢見ながら、地道な活動をしているわけで……」
GL「あぁ、俺も下積みの時代があったから、よく解るよ。クリムゾンより前のバンドにいた頃は、色々大変な思いもした。バンに楽器を積んで、ドサ回りをしていた時期の話だ。ライブが終わると、夜中に車を飛ばして次のライブ会場がある街に移動するんだけど、ある日、夜中に運転するのを嫌がったメンバーが道端に車を止めて車中で寝ようと提案した。みんな賛成したので逆らうことができなかったんだが、俺は車の中で寝るのは嫌だった。その日、すごく体調が悪くて震えが止まらなかったんだよ。結局、一睡も出来ず、朝までがたがた震えながら起きていた。目的地に着いた時には昏睡状態に陥っていた。栄養失調で免疫力がなくなり、肺炎に罹っていたんだ。ずっと金が無くてさ、ろくろく飯食ってなかったからね。その頃が人生最悪の時期だったと思う」
HA「それは大変でしたね。でも、成功して良かったですね」
GL「あぁ、俺は中卒だったし、ミュージシャンやる以外は何もできなかった。アルバイトで駅の便所掃除もやったことあるよ」
HA「たしか中学を卒業したあと、製図工として働いていたんですよね」
GL「あぁ、でも、すぐに嫌気がさして辞めたよ。両親には『製図工として働き続けても将来の見通しは暗い。それより好きな音楽で生計を立てたいんだ』と言ったら、ふたりともすぐに許してくれた。母はピアノ教師やっていたから音楽に理解があったし、父は音楽とは縁のない人間だったけど、『おまえの人生なんだから、おまえの好きなように生きろ』と言ってくれた。両親にはとても感謝してるよ」
HA「普通は、『そんな一か八かのギャンブルはやめろ!』と言いますよね」
GL「あぁ、それが普通だと思う」
HA「1972年の初来日のことを、もう少し聞かせてください。たしかコンサートの合間に後楽園か甲子園で野球観戦したそうですね」
GL「そう。日本人はとても熱心な野球ファンが多いので驚いたよ」
HA「その時、ジャイアンツの長島選手にサイン・ボールを貰ったんですよね? で、お返しにリリースしたばかりの『トリロジー』をプレゼントしたと聞いています」
GL「あぁ、よく覚えているよ。ミスターナガシマ……妙に明るい人だったなぁ」
HA「はい、無駄に明るい人です。『トリロジー』家に持って帰って、ちゃんと聴いたそうですよ」
GL「それは嬉しいな。で、感想は?」
HA「『ん~ナイスですね!』と言ったらしいです(笑)」
GL「ナ、ナイスだと? 我々はELPだっ!」
……グレッグ、急に怒り出す
HA「あ、いや、そういう意味じゃなくて、意味不明の英語を喋る人でして(汗) いちばん有名なセリフは、『メイクドラマ』です(汗)」
GL「メイクドラマ??? なんじゃ、そりゃ?」


