カルトの罪 オウム真理教4(再) | 秋 浩輝のONE MAN BAND

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はじめに言葉はない

もちろん麻原と実行犯達に情状酌量の余地はまったくなく、実行犯は各々死刑に処するのが妥当だろう。これはあくまで私の持論で、異論も当然あるだろうが、基本的に人を殺めた人間は、殺害した人数に拘わらず、死刑に処するべきだと思っている。だが現行は「永山基準」というものが存在し、2人以上殺害しないと死刑にはならない。殺害人数によって刑罰が異なるというのはおかしくないだろうか? しかも加害者が未成年者の場合、少年法に守られ、死刑にはならない。私は加害者が未成年であっても死刑に処するべきだと思っている。人権派の弁護士や教育家は、少年法の話になった途端、加害者の更生と未来について話し始める。少年法はそのためにも必要不可欠な法律だと。だが、そこには被害者遺族への想いがすっぽり抜け落ちている。被害者遺族にとっては、加害者が成人であろうが、少年であろうが、まったく関係がない。むしろ更生などしてシャバに出てこられると、やり切れなさ、加害者に対する恨みが更に増すのである。(だから「敵討ち」を恐れて、被害者遺族に加害者の情報は一切教えないのだろう) 被害者遺族は、被害者が理不尽な理由でこの世に存在していないこと…その喪失感は、生きている間中ずっとつきまとう。また、被害者が殺害された時に、殺害されるに至る何らかの因果関係が自分にあったとすれば、「もし、自分があの時、○○○れば、彼(彼女)は殺されずにすんだのに…」と「たら、れば」を用いて考える。そして自責の念に駆られ、一生後悔し続けるのである。

人を殺害した以上、殺害した人間に人権などはない。人権は被害者とその遺族にある。また、殺人罪に時効があるなどトンでもない法律である。(その後、法律が改正されてなくなったが、良いことだ)人間は人間を殺害する決意をしたなら、自分も命が無くなることを承知の上、実行すべきである。それだけの決意がなければ、人を殺めてはいけない。それが人間の倫理である。

 

それはさておき、オウム事件の実行犯達、つまり麻原にマインドコントロールされた主要幹部達は、どうしようもないクズのような人間の集まりなのだろうか? マインドコントロールの解けた実行犯のうちのひとり、慶応大学医学部出身の医師林郁夫は、本来常識的で温厚、知的で思慮深い人間だった。彼は自分の犯した罪の重さと大きさに恐れおののき、慟哭した。そして、被害者やその遺族に対して心から謝罪したのである。遺族の一部は彼の真摯な態度を汲み取り、死刑判決を望まなかった。裁判所はそれらの状況を酌んで、異例の早さで判決を下した。無期懲役であった。

 

他の実行犯にしても、マインドコントロールが解けてしまえば、ごくふつうの真面目で頭の良い人間だった。(未だに解けていない実行犯もいるようだが)どんな資質を持った人間がマインドコントロールされやすいのだろうか? 人格や頭の良し悪しはほとんど関係がなく、どちらかと言えば生真面目な完全主義者が多いように思われる。脇目も振らず受験勉強などひとつのことを粘り強く実行出来るような、そして、その結果、世間や一般常識を解らないまま育っていったような…そのことが精神的に未熟な人格を持った人間を形成したのではないか。もちろんそうなってしまったのは、本人の責任が一番大きいのだが、レベルの高い大学さえ入れれば、良いところに就職出来て、良い暮らしが出来る、そのためにはひたすら受験勉強に励み、成績さえ良ければ誉められ、あとは何も言われない…といった日本の教育制度、社会制度にも問題があるのではないか。オウムはそういった日本の社会構造の歪みが生んだ仇花といっても過言ではない。

 

 

ヘッドギア
マインドコントロールするために作られ、使われた。
おそらく、電流を流しているだけのものだろうが、
アタマが痺れて思考力が衰え、
心理的にコントロールされたような気になるのだろう。
 
(続く)