「凪子は血の繋がっていない父親光男のことは、どう思っていたんだろうな?」
「どうなんでしょうね。少なくても母親に抱いた憎悪の感情はないんじゃないっすかね?」
「むしろ、同情したというか、憐れんでいたんじゃないかと思うんだよ。生まれた子供が自分の子供かどうか解らない父親の哀しさみたいなものを、若いうちから凪子は知ってしまった。元々、気持ちの優しい凪子は、そんな生い立ちもあって、男を癒すことができる女になっていった。考え過ぎかな?」
「いいえ、俺も同感っす」
「凪子は自分の本当の父親が誰かを知っているんだろうか? 淑子を問い詰める必要があるな。それと、凪子にはつき合っている男がいるはずだ。そちらの線も洗ってみないとな」
「それを探すのが先決ですね」
下坂は淑子に光男の死因を聞いた時の淑子の慌てた様子が心に引っ掛かっていた。ほんとうに心臓の病気で亡くなったのだろうか。光男の死因の確認と凪子の実の父親が誰なのかを探ることにした。
光男の病死に関しては、当時、有沢一家が住んでいた愛媛県の県警に問い合わせて、すぐに判明した。淑子が言っていた心臓の病気で死亡したという話は大嘘だった。光男は凪子が高校2年の終わり頃、つまり今から9年前、行方不明になっていたのである。淑子は光男が姿を消してからすぐに失踪宣言をしたようだ。その7年後……つまり、今から2年前、失踪届は受理され、法律上、死亡したものと見做されたのである。
下坂と石村は、凪子の大学時代の友だちや知人らに徹底的に聞き込みをかけたが、柴崎以外に凪子とつき合った男は浮上してこなかった。
本当にいなかったのだろうか? あれだけの顔とスタイルをした女の恋愛歴が、たった1回の不倫だけというのは、あまりにも不自然だ。そうとう周囲に気を遣いながら、慎重に行動していたのだろうか。だとすれば、世間に知られるとまずい不倫が多かったのではないだろうか。柴崎との不倫が会社でバレてしまったことで、より慎重になったとも考えられる。
凪子のアパートの周辺で聞き込みをしているうち、隣りに住んでいるOLから、凪子が殺害された日、凪子の部屋で大声で叫ぶ若い男の声や女の泣き声を聞いたという証言を得た。凪子の死亡推定時刻は午後10時~11時位と判明したのだが、OLがそれらの声を聞いたのは、午後10時過ぎだったらしいので、ひょっとすると若い男の声は犯人かもしれない。女の泣き声は凪子で間違いないだろう。そのあと、OLはすぐに寝てしまったらしく、それ以降のことは解らないということだった。さらに、近所にも聞き込み捜査をかけたが、目撃者はいなかった。だが、これは大きな収穫だった。犯人は若い男とほぼ断定することができるからだ。
凪子が殺されてから一週間後、葬儀が行われた。
葬儀に出席した親族は、淑子側の親戚7人だけで、光男側の親戚は誰も来なかった。喪主を務めた淑子は憔悴し切っていた。時折、よろけそうになるのを、姉淳子が横で支えていた。 淳子は夫の勤め先が東京だったため、結婚以来、ずっと東京の郊外で暮らしている。 昔から淑子のことをとても可愛がっていた、妹思いの優しい姉だった。
葬儀は岡野社長と総務課長をしている息子の岡野庸史が仕切っていた。岡野社長は前日、葬儀屋ときっちり打ち合わせをしており、社員たちに丁寧に段取りを説明、それぞれの役割を指示していた。
和子は総務課の同僚、星明子とともに受付を担当することになった。和子は改めて社長の人間の器の大きさや優しさを感じていた。息子の庸史は和子の直属の上司だが、社長と同様、とても優しくて男前だ。また仕事のできる人で、社員たちからの人望も厚い。まだ独身だが、将来は社長の後を継いで、岡野出版を大きくしていくに違いない。
去年の正月、会社の新年会が岡野課長のマンションで行われた。4LDKの高級マンションで、部屋は独身とは思えないほどきれいに片付いていた。料理は業者から手配されたものだろうが、高級なおせち料理だった。デザートはお菓子作りが趣味という岡野課長自ら作ったものらしく、極上のスイーツだった。なんて細やかな気配りができる男性だろう。和子は密かに岡野課長に好意を寄せていたが、奥手の和子は、つゆほどもそんな素振りを見せたことはなかった。
凪子の葬儀が終わりに近づいた頃、和子は気分が悪くなり、葬儀場の控え室で休んでいた。
会社で一番親しかった同僚を失ったのは辛い……辛過ぎる。1日に何度も、あの殺害現場を思い出す。その度に、気分が悪くなる。そして、涙が溢れてくる。あの光景は、一生忘れることができないだろう。毎晩、凪子が誰かに殴り殺される夢を見ては、はっとして目が覚める。寝汗をびっしょり掻いている。犯人の顔はぼやけていて、誰だか解らない……。
もうひとつ隣りの控え室から男同士の話し声が聞こえてきた。
岡野社長と岡野課長の声だ。
……いったい何を話しているんだろう?
和子は耳をそばだてた。
(続く)
