短編小説 凪子4(全10話) | 秋 浩輝のONE MAN BAND

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はじめに言葉はない

 大帝国印刷本社は10階建の大きなビルを構えていた。全国に支社支店を持つ日本最大の印刷会社である。明治の終わり頃、製版技術がアメリカから日本に持ち込まれたが、大帝国印刷も元は製版屋からスタートしている。東京空襲で一度すべてを失ったが、数年後、見事に再建した。よほど経営能力に長けた一族だったのだろう。今は同族経営の4代目社長である。


 下坂と石村は、1階の受付で警察手帳を見せ、柴崎浩二の呼び出しを依頼した。柴崎は42歳、総務課課長だ。おそらく凪子の上司だったのだろう。
 凪子が辞めてから数年経つのに、今頃になって電話をするのは、個人的な何かがあるに違いない。少しして柴崎がやってきた。何かおどおどしている。
「ここじゃ何ですから、どうぞこちらに」
 柴崎はふたりを同じ1階にあるラウンジに案内した。

 

 

「警察が私にいったいどんなご用件でしょうか?」
「有沢凪子さん、ご存知ですよね?」
「はぁ、たしか数年前までうちにいた女性だと思いますが」
「有沢さん、亡くなったんですよ」
「えっ、そうなんですか、それはお気の毒に……。ご病気か、事故かですか?」
 柴崎は、ほんとうに驚いている様子だった。
「我々は殺されたとみています」
「殺された? ……でも、そのことが私に関係あるとでも?」
「昨日の午後、あなたは有沢さんに電話されましたね? わざわざ会社にまで。 いったい何の用があったんですか?」
 柴崎の目が一瞬泳いだのを下坂は見逃さなかった。
「いや、それはその……、辞職した時の書類の件で……私、疑われてるんですか?」
「書類の件? 今頃になってですか? おいっ、嘘をついてもすぐにバレるんだぞ!」

 突然、下坂は声を荒らげ、凄んでみせた。
 柴崎は怒鳴られ、体をびくっと震わせた。所詮は気の小さな男なのだ。少し間があったあと、柴崎は観念したように喋り始めた。
 

「有沢さんとは以前つき合っていました」
「ほう、やっぱりな」
「昨日は妻とケンカをして、むしゃくしゃしていたものですから、久しぶりに有沢さんと話がしたくなって……」
「話? 体だけのつき合いじゃないのか?」
「いや、その、有沢さんと一緒に居ると癒されるというか……」
「まあ、いい。それで昨日、久しぶりに会ったんだな? 何時頃だ?」
「はい、会いました。えっと…午後7時です。で、でも私、彼女を殺したりなんかしていません!」
「会ってどうした? 有沢さんのアパートに行ったんだろ」
「いいえ、街中の喫茶店で会って、話をしただけです」
「嘘をつけ! そのあとアパートに行って、別れ話がこじれて殺したんだろ!」
「いや、ほんとうに行ってません。信じてください! 実は最近、携帯へ電話しても出てくれないし、メールやラインもスルーされるので、その理由を聞きたくて会社に電話しました。で、なんとか会えたんですが、『愛する人ができたから、もう会うことはできません』と言われて、7時半には店を出ました。そのあと、彼女は自転車に乗って、さっさと帰ってしまったんです」
 柴崎は必死に訴えた。その表情に嘘はなさそうだった。
「わかった。いずれまた、ゆっくり話を聞かせてもらおうか」

 下坂と石村は大帝国印刷を引き上げた。
 下坂は、石村の言った『不倫体質の女』、柴崎の言った『癒される』といった言葉に、何かしら引っ掛かるものを感じていた。さらに凪子が柴崎に言った『愛する人ができた』という言葉……。凪子が柴崎と、もう二度と会いたくないために、ついた嘘とも考えられるし、真実だとも考えられる。真実だとすれば相手は誰なのか。元より、柴崎が嘘をついていないということを前提にした話ではあるが。
 念のため、喫茶店の店員に確認すると、ふたりが7時から7時半の間、店に居たのは間違いないと証言が取れた。年齢差のあるカップルだったので、印象に残っていたそうだ。
 そのあと、柴野はしばらく本屋で時間を潰してから家に帰ったと言っているが、まだ死亡推定時刻がはっきりしていないし、本屋にいたというアリバイの裏が取れていないので、アリバイが成立したとはいえない。
 凪子の部屋に残されていた凪子以外の指紋は数人分採取できたが、前歴者のデータベースと一致するものはなかった。
「どうします?」
「そうだな、仏さんのお母さんに会ってみるか」
「そうっすね」

(続く)

 

 

2015.3.12