2024年10月12日

試合終了を知らせる長い笛が京田辺グランドに鳴り響き、私が歩んできた16年間のサッカー人生が幕を閉じた。惜しみない拍手が鳴り響く中、共に闘ってきた仲間達が朗らかな笑顔を浮かべている。この時の私がどんな表情をしていたのかはわからない。
だが、
試合後に見上げた空と同じように、雲一つない清々しい気持ちだった。



お待たせいたしました!
全米が泣いた部員ブログ『なぜ私は今日も京田辺グラウンドへ向かうのか』を2年前に執筆し、一躍話題の男となった丸井翔太朗です。

ついに今回、待望の部員ブログ第二弾を執筆する決心がつきました。
第二弾を書くというのは、難しいものですね。たくさんの方から「次の部員ブログはまだか?」というお言葉をいただいておりましたが、大ヒットとなった前回作を超えなければならないプレッシャーに押しつぶされ、なかなか筆を執ることができませんでした。
ですが、先日の『引退』をきっかけにもう一度筆を執ってみようではないかと思い、執筆することにしました。これまでの私の全てをこの部員ブログで表現します。是非、最後まで読んでみてください。そして1人の男が歩んできたサッカー人生のフィナーレを見届けていってください。



私のサッカー人生は小学1年のある日、突然幕を開けました。
どこに向かうのかも教えられないまま父に車で連れられ、気づいたらグランドに立っていたのです。その日はそのまま『富野SC』というサッカークラブの練習に参加させられました。
来週も、その次の週も。
こうして、私はサッカーを始めた自覚がないまま、勝手にサッカー人生の幕を開けられたのでした。

その後、送り迎えがなくても自分で通えるよう、近所の『朱六FC』というクラブに移籍します。この頃から徐々に平凡な小学生の日々がサッカー漬けの日々に変わっていったのでした。

中学生になった私は、『佐川滋賀football academy』というクラブに入部。とにかく厳しいクラブでした。真夏の猛暑にも真冬の大雪にもかまわず、一日中グランドでトレーニングを積みました。合宿では、朝の5時から走り込み、日中は対外試合と走り込みを交互にこなし、夕飯の後も走り込みました。食事の量も管理され、人間が三日間で食べる食事量を一晩で口の中に詰め込まれます。控えめに言って地獄の日々でした。ですが今思うと、この期間の成長は計り知れないものでした。

その後入部した『大谷高校サッカー部』での日々はとても充実していました。決して強豪といわれるチームではありませんでしたが、全員が一丸となって全国大会を目指した日々は、間違いなく青春そのものでした。本当に良い仲間と指導者に出会えたと思います。

そして私は大学生になりました。セレクションという大きな壁があったものの、なんとかその壁を乗り越え、『同志社大学サッカー部』に入部。入部できたのは良いものの、そこからが地獄でした。初めての練習では、あまりのレベルの高さに空いた口が塞がらず、ただただグランドに立ち尽くしたまま二時間のトレーニングが終了。私の実力では全く歯が立たなかったのです。それは学年が上がっても変わりませんでした。常についていくのに必死。4年になっても実力のある生意気な後輩たちに必死に喰らいつく日々でした。

そして2024年10月12日、気が付けば最後の試合を終え、サッカー人生を引退したのでした。


ざっと私のサッカー人生を振り返ってきましたが、私はこの16年間で気づいたことがあります。
それは、「監督にバレずにサボる方法」や「ミスをしても自分のミスじゃないように見せかける方法」ではありません。まぁそれも身につけましたが。

私が16年間で気づいたこと、それは、
「天才はいない」ということです。

少し語弊がありそうですね。天才的なプレーができる人と出会わなかった訳ではありません。山のように出会ってきました。
小学生の頃から私はいわゆるエリートではありませんでした。自分より実力がある選手に必死についていく日々を歩んできました。もちろん、ずば抜けた実力を持つ選手ともたくさん出会いました。

そんな日々の中で、私は自分より実力がある彼らのことを「天才」だと決めつけていました。天才だから、試合で点を取ることも、神がかったパスを出すことも、ドリブルで相手を抜き去っていくことも、何でもさらっとできてしまうのだと。彼らは天才だから、私がどれだけ努力を積み重ねたところで超えられるわけがない。そう決めつけていました。

大学サッカーの世界では特に天才的な選手と多く出会いました。自分がどれだけ頑張ってもできないスーパープレーをさらっとやってのけるのです。あきらかに天才です。

しかし、ある時私は見てしまいました。
彼らが誰よりも早くグランドに来て、黙々と自分の課題と向き合っていたのを。
基礎練習をひたすら繰り返したり、走り込みをしたり、筋トレをしたり。

そうです。天才だと決めつけていた彼らは、実は誰よりも努力していたのです。
もちろん天賦の才も持ち合わせているでしょうが、それだけであの実力を身につけていたのではなかったのです。あの天才的なプレーの裏には、誰よりも積み重ねた努力があったのです。

そのことを知ったとき、私は大きなショックを受けました。天才だから超えられなくて当然と思っていた彼らは、私の何倍も何十倍も努力をしていたのですから。
超えられなかったのは私の努力不足でした。そのことに気づくのが遅かったから、私はプロサッカー選手になれなかったのかもしれません。

ですが、

「天才はいない」

そのことに気づくと、努力次第で何でもできるような気がしてきました。それはサッカーだけではないと思います。

きっとこのブログを読んでいるあなたも、努力次第でなんでもできるんです。



そろそろ書きすぎですね。最後に今の素直な気持ちを書き残して、引退ブログを締めくくりたいと思います。

「もう一度サッカーに夢中になりたい。」
「監督や仲間に怒られながら、それでもがむしゃらにボールに向かって走りたい。」
「苦しさを楽しみ、失敗を笑い合い、勝利に歓喜したい。」

引退してから毎日寂しさを感じています。
それぐらい熱い日々だったと今になって気づいたのです。
こんなにも充実した16年間をくれた仲間、指導者の方々、両親、そして、このブログを心待ちにしてくださっていた皆様には、感謝でいっぱいです。

ですが、いつまでも過去を引きずるわけにはいきません。

仕事での昇進、結婚、マイホーム、芥川賞受賞、、、
私には、まだまだたくさんの叶えたい夢が残っています。

サッカー人生は引退しましたが、今日から新たなステージで夢に向かった突っ走ります。
サッカーを通して学んだ努力の大切さを忘れずに。



最後まで読んでいただきありがとうございました!
最後まで読んでくださった皆様は是非、いいねとリツイートをしちゃってください。



これにて私のサッカー人生は一旦幕を下ろします。
次はどんな人生が幕を開けるのか、私も楽しみです。
またどこかでお会いしましょう。