今回引退ブログを担当させていただきます。文化情報学部4回生の平手翔です。
グラウンドに行くという当たり前の日常は過去のものになりましたが、卒論に追われているため依然かなりの頻度で京田辺キャンパスに足を運んでいるのが現状です。
先週は週6ペースで共同研究者である高橋悠雅君と顔を合わせましたが、もう飽きてきましたね。
彼とは1回生の頃から苦楽を共にした仲ですが、引退時に写真を撮っていないことには後日気が付きました。
ブログを書くのはおそらく人生で最後でしょう。何について書くか悩みましたが、夢と葛藤に関する話を。
小さい頃の夢は当然、プロサッカー選手になることでした。当時からメンタルが強いタイプではありませんでしたが、自分ならなれると思っていました。
そんな中、夢を口に出さなくなったのは中学生の頃でしょうか。正確には出せなくなったのです。少しずつ見えてくる限界と突きつけられる現実、周りからの期待とそれに応えられない自分への失望。その全てが葛藤となり、気がつけば私は目標を見失っていました。
それでも私は明確な新しい目標を持って高校サッカーへと歩みを進めました。
「父親と同じユニフォームを着て全国大会に出る。」
プロになるという夢と向き合えなくなった自分にとって、今まで支えてくれた家族、特にサッカーと出会わせてくれた父親への恩返しこそがサッカーを続ける1番の理由でした。後付けの美談に聞こえるかもしれませんが本当の話です。
高校では素晴らしい3年間を過ごすことができましたが、高校サッカーの引退をサッカー人生の引退と決めていた私は、大学への練習参加も全て断り、高校3年生の11月、密かに追い続けていた夢と完全に決別しました。
さて、ここで矛盾が発生していますね。私は大学までサッカーを続けています。
理由は簡単で、新しいことにチャレンジする勇気がなかったからです。情けない。
それに関連してもう1つ、私にとって同志社大学体育会サッカー部は、初めて何の目標も持たずに飛び込んだ場所でした。
だからこそ、大学で新しくサッカーを始めたり、1度離れたサッカーともう1度向き合うという覚悟を持って日々努力している女子チームの選手達のことを本当に尊敬しているし、プロになるという夢を追いかけて大学サッカーに挑み続けているチームメイトは、私には死ぬほど輝いて見えます。そんな仲間と同じチームで戦えたことは私にとって誇りです。
毎日芝生のグラウンドで練習ができることへの感動から始まった大学サッカー生活。最後の試合終了のホイッスルを聞いた瞬間、涙が溢れるくらいには濃い時間を過ごしました。これといった目標はなくても、自分なりに努力し、成長した4年間だったと思います。
全ての指導者、マネージャー、トレーナー、学生コーチ、家族、そしてチームメイトに感謝します。
想定よりも長くなってしまいました。ここまで読んでいただいた方はきっと暇だったのでしょう。冗談です。ありがとうございます。