皆さん、こんちには。
同志社大学法学部の吉川祥五です。
(訴訟や契約など、法律に関する相談はいつでも無料で受け付けています。気軽にご相談ください。)
僕は巷で有名な『月まで走れ』の関大一高サッカー部出身です。そのご縁もあり、関大サッカー部の方々に知り合いが多く、関大サッカー部の激アツなブログを日々読ませてもらっています。
今日はらしくないかもしれませんが、それに感化されてアツいブログを書こうと思います。
僕が体育会サッカー部に入った理由は複数あるが、その大きな理由の1つは、高校時代の偉大な先輩の言葉にある。
それは、僕が同志社大学に入学することを決断し、報告した際に頂いた「また味方でやりたかったけど、敵として試合するの楽しみやな」という言葉である。
僕が高3の時に、2回生ですでに学生リーグで大活躍していて、その先輩と学生リーグで同じピッチに立って試合をしたい、その人を超えたい、そしてお世話になった方々に頑張っている姿を見せたいという想いが、僕の大学サッカーの大きな原動力になった。
目標を掲げ、頑張ろうと入部したが、今までのサッカー人生と大学サッカーが環境や雰囲気などの違いが難しく、悩む時期があった。しかし、先輩からプレーを教わったり盗んだりして、徐々に貢献できるようにもなってきた。
そして、Iリーグ、新人戦など経験を積んで、今年の3月末、Aチームに昇格することができた。
掲げていた目標に少し近づき、一気にこのチャンスを掴もうとモチベーションを高く持って、今までやってきた自分の力を出そうと思っていたにも関わらず、実際は何も自分のプレーを出すことができなかった。通用しなかったというより、萎縮していたのか、出すことすらできなかった。Bでやってきたプレーをすれば通用するのも分かっていた。しかし何もできなかった。毎日が悔しかったし、毎日のサッカーが楽しくなかった。
正直サッカー人生でこんな感情は初めてだった。今まではきつい練習や長い通学もサッカーのやりがいや楽しさがあったからこそ頑張れてきた。しかし、その当時はなにもないそんな日々だった。なんでサッカーやってるのかも分からなくなり、「Bチームに落としてください」ってお願いしに行こうと悩んだりもして、自分の弱さに、情けなさに涙することもあった。
その後すぐ、Bチームへの移動が連絡されて、正直ほっとする気持ちがあった。向上心が無くなった訳ではない、でもその当時の僕はこのままでは成長できない、Bでもっと力をつける必要があると感じていたのだろう。
そこからは、BチームでIリーグの全国大会出場を目指して、切磋琢磨して頑張った。チームの中心となって少しはやれたんじゃないかなと思う。あの悔しさを味わって、さらに選手としても人としても成長できた感じている。
入部当時掲げた目標を果たすことはできず、悔しい気持ちはあるけれど、この目標を掲げていたからこそ成長できたことがあるし、見れた景色もあると思う。
果たせなかったのは、自分が妥協してしまったり楽な道を選んだ結果だと思うし、まわりにはもっと努力してる仲間がいるのも事実で、なるべくしてなったんじゃないかなって思う。
しかし、この2シーズンの自分の行動や道のりに後悔はない。この2年間で学んだことは自分に大きな影響を与えて、大きな財産となった。そしてなにより楽しくサッカーができたからである。
大学では、高校時代のように先輩と同じピッチには立てなかったけれど、先輩やお世話になっている方々に、これからの自分の活躍が耳に入るように努力し月まで走り続けたいと思う。
残り2年、どのような姿でいたいのか、正直まだ分からないけれど、『月まで走れ』の精神で後悔の残らない最高な大学サッカーにしたい。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。